塾の講師をやりはじめたころ、最初は本当に照れくさかったです。
特に教員免許も持っていないし、教育実習だっていったことがない。
子供を教えた経験は大学時代に3年やっていた(いま思えば一番長いキャリア・・・・)YMCAでのサッカー教室くらい。
先生と呼ばれるのがとても照れくさかったのです。
まだ若かった私は先生ってつけなくていいよと生徒に言った覚えがあります。
しかしやはりそれはよくないのだと痛感しました。
教育という点で大切なこと。それは信頼関係を高めること。
先生と呼ばせることだけで信頼関係が構築できるとは思いませんが、やはり先生という言葉には今までの様々な先生たちの思いがつまっているはずで、その思いを引き継いでいるという責任感を持つと同時に、それをしっかりと使って教育に取り組むべきだと思いました。
そのほか、こどもにはだめだものはだめだときちんと伝えなくてはなりません。
まぁそこにあまり執着すると謙虚さを失ってしまいそうだと思いますが、その子の10年後、20年後を見据えたとき、目の前にいる生徒を見るのではなく、その先にあるその人間像を見据えて話をしなければならないと思っています。
そのときに先を生きているという責任をもって話ができるのではないかと思います。いまでもまだまだ未熟ではありますが、その当時はそんなことはまだまだわかっておらず、勢いでがんばっていたように思います。
話が変わりますが、これを書いていて、生徒がやめてしまうときのあのせつなさを思い出しました。
学校ではありえないのですが、やはりいろいろな事情で塾をやめていく生徒が何名かいました。もちろん成績が上がらないという理由でやめる生徒もいましたが、家庭の事情でどうしてもやめなければならない生徒もいました。
そういうことを解決できる力など自分にはないし、できるという思いあがりなどは持っていませんが、ただただ悲しいという気持ちになりました。
いま思い出しても本当につらい経験です。
「先生、おれはまだ通いたいんだけどさ・・・」
だからこそ、自分ができることであれば精一杯するべきなのだと感じていました。
本当にいろいろな生徒に出会いましたが、もう今では大学生になっているでしょう。
あるいは社会人になっている生徒もいると思います。
みんな元気にがんばってくれているとよいのですが。