自分のあるべき姿を考える上でも再度過去の振り返りをしてみたいと思います。
今回は私の3社目の会社でのことです。
3社目はいよいよ自分が大学を卒業するときに最初に志望していた塾講師の職に就きました。
地元からもすっかり離れた関東地区に住むことになりました。27歳のときですか。
いま考えると自分のキャリアのなかで一番長い時間を過ごすことになった職場でした。
この職場では本当にいろいろなことを学びました。
授業の作り方、授業の教え方、こどもとの信頼関係、保護者との信頼関係、同僚との信頼関係、自分で考えることの大切さとおもしろさ。
そんななかでも特に感じたのは、こどもから気づかされることの多さでした。
こどもはなにに関しても素直な空気をかもし出します。
自分の準備が不十分のときは手ごたえが悪い。こちらが気の抜いた対応をすると、あっという間にひいていってしまう。
そして、なんだかクラスの雰囲気がよかったなと思うと、それはよい授業に対する評価であったり。
1クラス25名前後の塾でしたから、そういった空気がとても流れる環境だったということも良かった点だと思います。
そういう素直な反応だからこそ、自分のやっていることの正しさ、あるいは間違いということに気づくことができたのだと思います。
そういう意味で、今ある自分の正しさへの考え方はこの職場でさらに強くなったのは間違いないと思っています。
なかなか大人になると正しさに対してのフィードバックがなくなりますからね
もうひとつそういう気づきを促進してくれたのが、塾の方針でした。
いまの時代の集団塾にしては珍しく、基本的にマニュアルはありませんでした。
通常であれば、たとえば三単現のSであれば、こういう導入で、こういう例文をだして、こうやって教えましょうというのが、大体の大手の塾にはあると思いますが、その塾にはそういうものがまったくありませんでした。
ですから、先生によってはまったく教え方が違ったりするわけです。
均一サービスという点をとってみれば、それはよくないのかもしれませんが、よくよく考えると教育において均一サービスなど無理な話なわけです。
授業は生き物ですから、型にはめることなんてできません。
まぁできますけどおもしろくないと思いますし、それをやる講師のモチベーションがまったく違うのだと思います。
そういった環境だったからこそ、自分の作った授業という自覚と責任が湧き、その授業に対する子供たちの素直な反応を受け入れることができたのだと思います。
なによりそういう塾の方針をもっていた塾長がすばらしいといまでも尊敬しています。