マニュアル。
この言葉はあまりよい響きをださないときがあるのではないでしょうか。
マニュアルというと思い浮かぶのが、融通が利かない、その通りやってもうまくいかない、その通りやらなくてもうまくやれるなどなど。(私の勝手な感覚ですが)
しかし、本当にそうでしょうか。私が思うのは、それはいままでマニュアルが必ずそこにあったからこそ言える言葉なのかなと思います。(学生時代は教科書がそれにあたるでしょう。)
本当にマニュアルは役に立たないのか。
一度、まったくマニュアルのないところで働いたときその大切さを痛切に感じました。
かくいう私もマニュアルというものはどちらかというと軽視しているほうでした。
しかし、最初の会社に入り、精肉部に配属されたものの、肉のさばき方などまったく知らない私には、そこにあったマニュアルは必需品でした。
スーパーは少し前までは職人といっても過言ではなく、肉の切り方にしろ、魚のさばき方にしろ、目で見て盗め時代だったようです。
そして、当時まだその名残がありました。
しかし、マニュアルを見ながら作ることで、いままでより早く、そして上手に、そしてより多くの人が上達していました。(もちろん職人芸の域までいくと、そこにマニュアルは太刀打ちできないように思いますが。)
その後転職した先では、なんのマニュアルもありませんでした。
自分で考え、自分で勉強し、自分で切り開いていく。
おそらくそのとき改めてマニュアルの大切さを実感したのではないでしょうか。
その後、マニュアルを作る立場になりした。とても大切な仕事です。一字一句に意味があり、助詞ですら気を遣い、どうしたらはじめての人でも使いこなせるか、安心して取り組めるかということを必死に考えて作っていました。
そうすると、ほかのマニュアルを読むときに違った視点から見ることができるようになりました。なぜここでその表現が使われているのか。なぜひらがななのか。なぜここで一行あいているのか。そんなことを考えながら見るようになりました。
そのおかげで、研修のファシリテーターになるための研修のときは非常に助かりました。
その研修には本当に事細かなマニュアルがありました。それだけ思いの詰まったものなんだなぁと思い、一語一句を抜かさないように、間違えないようにすべて覚えました。
そうすることで、自分ひとりでやっているのではなく、これをつくった人たちといっしょになって大切なことを人に伝えられるんだと感じてやっていました。
だから覚えることはなんの苦痛でもありませんでした。
ここで自分が感じたことは、
マニュアルは英知の結晶であるから、大切にしなければならないということ。
少しできるようになったからといって、マニュアルを軽視するということは、それまでの人たちの努力を軽視することになるからやめるべきだということ。
マニュアルを読むときはもし自分がそれを作ったのであればという視点でも読んでみること。そして大切なことはマニュアルは必ず1年に1度は見直さなければならないということ。(これを怠ると使えないマニュアルになってしまいます。)
こんなところでしょうか。