父の死で一番大変なのは部屋の片付け

ほぼ毎日父のアパートに行っていました

出来ることは精一杯しようと覚悟して、200%の力を出し切ったと思う

まだ足りない、何かやらなきゃ…そんな私に主人が「もう何もしなくて大丈夫だよ」と言ってくれました

もちろん何もしない訳にはいかないですが、その気持ちが心底嬉しかった

歯の痛みでこの3年体力も落ちてしまって身体はもつのか心配だった


途中で悲しくなって作業の手を止めてしまったときもありました

一人では無かったので何とか終わりが見えました


その合間に、歯の痛みの治療のため福岡に行ってきました

本当は休みたい…それが本音でもあったけど、これも道なんだと受け入れました

初診だけ主人についてきてもらいました

30分刻みの時間なので診察はあっという間に終わったけれど、

やっと理解してくれる人がいる、それが嬉しくてやはり行って良かったなと思った


ただ薬の飲み合わせが上手くいかず、来月の受診のときに話し合いましょうとのこと

数日落ち込んだけれど、少し気分は盛り返しました

人それぞれ痛みのパターンが違うのだろうし、きっとこういうこともあるんだろうな


調子のいいときもあるのですが、ここ3ヶ月ぐらい調子が良くありません

梅雨の時期等の気圧の変化に影響してるのでは?とあくまでも想像だけど、そんな気がしています

父のスマホとネットはどうなってるのか

通帳にソフトバンクの引き落としがあったためショップに行き次の日に予約をいれました

家をよく観察するとソフトバンク光のルーターがあり、

もしかして同じプランで入っているのでは?と確認すると大正解


スマホは店舗で解約でき、そのままソフトバンク光の方はカスタマセンターに繋いでくれて電話で手続きがはじまる

さらに電話のプランもプラスされてることを知る


ソフトバンク光とNTTの機器をそれぞれに送り返す必要がありそれで完了

ネットを止めるのも昔みたいに立ち会う必要はなく、遠隔で出来るらしく驚いた


そもそも知らないものに対して動かなきゃならないので、慎重に確認しなきゃいけないので神経を使う


ソフトバンク光のルーターは箱を自分で準備し、送料は自分負担で送る

返送先は、電話終了後にショートメールのリンクの住所で分かるとのこと

ショートメールは私のスマホに送ってもらうことにして、マイソフトバンクにログインすることを促されて、

私のスマホはソフトバンクじゃないので、はい詰んだ


NTT機器の方は○日前後に、送付キットが送られてきてそこに返送に必要なモノが書かれているらしい

アパートの退去で掃除をしているのでそこまで待っていられない、ここも詰んだ


カスタマーセンターに聞くしかないじゃないか!

電話番号を調べるも結構これが細かく番号が分かれてたり、

そもそも私の求めるジャンルがない

総合電話にするしかない、時間も調べて

ノートに必要な内容をしっかりメモし準備万端にして電話


まずはNTT、まあまあスムーズに繋がるも形式的なやり取りで多少伝わりずらかったが、

ソフトバンクのカスタマセンターから返品の品物が足りないと違約金?的なものが発生すると言われたが、

例えばケーブルが一つ足りないとしても請求はありませんと言われホッと一安心

ルーターに繋がっている線を全て持って帰って、じっくり確認すれば何とかなりそう


ソフトバンクの送付先はネットで調べていたので、それを読み上げて間違いがないかどうか確認すれば良いだけだし簡単じゃん!と軽く考えていたら、

AIの音声でいきなり電話番号を言うことになり思わず無言になってしまった

よく分からないまま話は進み、何とか繋がるも担当が違い光の方の担当に変わってもらった


電話番号を聞かれ書類を必死に探したりスマホから探したりするも、該当する番号が見つからず

かなり遠回りをしながらもネットで調べた住所で間違いはなかった

私の事情を汲み取ってくれて、着払いで送ってくださいと言われたけど、

負担してくださいと言われたのですがと不安になりながら確認すると、着払いで大丈夫ですよと再度言われたけど、

本当にそれでいいのかドキドキするけど信じることにしよう


この時の担当の方は女性だったけど人間味を感じ取れる人だったな

言葉の端々に丁寧かつ優しさを感じた

あまりの優しさに電話を切った後、涙が出てきた

家族のつとめだとは言え、正直やりきれない気持ちになる

父とはあまり会っていなくて、心が全く追い付いておらず、

心の整理もそんな簡単じゃない

つかれるとかしんどいとか考える間もない


お悔やみを申し上げます

そんな言葉にも嬉しくて泣けてくる


結局最後はありがとうっていう感情になるんだよなぁ

不思議




父が亡くなった


父とは折り合いが悪く、元気だったとき喧嘩もしてしまった

私は昭和思考の父に対する苦悩がずっとあった


父が入院したと知らせがあった次の日、病院から連絡

複雑な気持ちで現実を受け入れられないまま、すぐに選択を迫られることが山のようにあり

やらなればならないこと、考えなければならないことが次から次へと沸いてくる

そのふとした合間に悲しみや後悔が沸き起こる

涙も出なかった


葬儀は母のときにしていただいたお寺さんにお願いし、

父を引き取りにきたとき、急に悲しくなって人目を気にせず号泣した

火葬場でお別れするときも、二度と会えないことが現実になり

今までの人生で一番というぐらい泣き崩れた

主人や友人が慰めてくれた


スマホには父のことを知らせる個人的な友人知人はいなかったので

葬儀はせずお経をあげていただくだけの、いたってシンプルなお見送り

お寺から火葬場に移動する5分ぐらいの時間にわざわざきてくれた友人

仕事の合間に時間をつくってくれて火葬場まで会いにきてくれた友人

父のことは母の葬儀のときに面識がある程度だったのに

私の多くないささやかな人間関係をありがたく幸せを感じた

私に頼れる身内がいないことを友人は知っているので

動揺する私のために病院までわざわざ来てくれた


さかのぼること3年前から歯の痛みで苦しんでいる訳だけど

それはとても孤独な戦いで、でも色々と見えてくるものもあって

私が友達だと信じていた関係は違うのかな…と

母が亡くなったときにすぐに連絡していた友人と、今とでは変わってしまったけれど、

疎遠だと思っていた友人に知らせたときは

「落ち着いたらゆっくり話そう」って優しい言葉をかけてくれた

私って幸せなのかも?って嬉しくもなった


母のときはぐっと悲しみを耐えたせいか、主人と二人きりになったときや、

一人のとき突然泣いたりしてそれが2ヶ月ぐらい続いたと思う

父のときは見送る人数も少ないせいか、悲しみを吐き出したので、

時々思い出しては悲しくて涙は出るもののあの時ほどではない

そうやって母の時と今を比べながら過ごしている

まだ亡くなって3日目なので、色んな手続きやら家の整理等で気が張りつめているからかもしれないけど…


家の問題が一番大きくて、賃貸アパートなので部屋の明け渡しのため、主人と二人で必死に片付けをしているけど

それが終われば背中の荷物も軽くなるだろう