「今週末はゆっくりできる」と思うと、のんびりするほうに頭が向いてしまう。すみません。そういう性格はどうやっても直せないようでして、先週はもう一度ブログ書くまでには至りませんでした。
まあ、そういうゆるゆるなブログと思ってお許しください。
1984年10月28日。距離が3200mから2000mに短縮されて第1回目となる第90回天皇賞(秋)が東京競馬場で行われました。
ミスターシービーは単勝1.7倍の1番人気。いつものように最後方から進み、3角から追撃を開始すると、観衆がどーっと沸いたのを思い出します。
逃げたのはキョウエイレア。いまラップを見ると、1000m通過は60秒2と抑えめで、残り1000mから11秒7→11秒4と上げていく変則的なペース。残り400mでは一杯になって、押し出されるようにカツラギエースが先頭に立ちます。
カツラギエースの西浦騎手は外を見ながらミスターシービーを待って追い出しましたが、残り200mでは脚が違いすぎました。毎日王冠と違い、ペースが流れてくれたのも味方したと思いますが、ミスターシービーが無事4冠目を奪取。先行各馬は厳しくなって、2・3着には大外から追い込んだテュデナムキング、ロンググレイスが入り、カツラギエースは5着でした。
http://jra.jp/gallery/dendo/horse13.html
ダービーのときにも触れましたが、ミスターシービーという馬にはたくさんのファンがいた一方、逆にアンチも多くいました。この天皇賞の前後には「アイドルホースであるミスターシービーのために距離を短くした」のような誹謗中傷を数多く聞きました。どう考えてもそんなわけないのに。
若く血気盛んだった筆者は、そのたびにつかみかからんばかりに反論していましたが、やっぱり「陰謀論」って楽しいらしく、はびこってしまうんですよね。これは好き嫌いの問題なんですが、若い頃にこういう経験をしたせいか、筆者は「暗号馬券」とか「こじつけ馬券」の類いが嫌いです。だって、「これこれこういう暗号があったから」このレースはこういう結果になった、なんて、そんなわけないじゃないですか(笑)。
能力を出し切った勝ち馬や、一生懸命仕上げた関係者、素晴らしい騎乗をした騎手に失礼すぎると思うんです。もちろん、こういう予想はあくまで遊びなんだし、いろんな予想方法があってもいいというのはその通りなんですが…。あくまで好き嫌いの話ですよ。
さて、天皇賞の日に戻ります。筆者は、ミスターシービーの快挙にひとり府中の居酒屋で祝杯を上げ、隣り合わせた競馬ファンとぐでんぐでんになるまで飲んだ記憶があります。今じゃ考えにくいことかもしれませんが、携帯電話もなかった昔、居酒屋に一人で飲みに来ている酔客はいっぱいいましたし、近くで飲んでいる人と意気投合して一緒に飲む、なんていうことも普通にありました。今でも場所や業態によってはそんな感じがあるかと思いますが、当時はその頻度が激しかったと記憶しています。
当時の筆者は大学7年生。仕送りもとっくに打ち切られ、アルバイトで生計を立てていました。同級生たちは普通にサラリーマンをしていましたし、みんな忙しく、競馬場に誘うのは申し訳ない気持ちもありました。
ただ、最終レースが終わったらそのへんの飲み屋で知らない人と仲良くなればいい、と気楽に考えていたのも事実。今より人同士の敷居が低い、幸せな(脳天気な?)時代だったと言えるかもしれません。
このあと、ミスターシービーとその関係者には辛い時期が待っています。ようやく大学を卒業した筆者にも大変な時期がやってきますが、そのへんは次回ということで、なにとぞご容赦くださいませ。