ミスターシービー三冠と青臭い24歳 | 市丸博司の『競馬界の照明係』

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市丸博司でございます。恐らく15年以上、かなり長いこと書いていなかったブログに、還暦超えて再挑戦します。よろしくお願いします。

 安田記念には参りました。完膚なきまでの敗戦とはこのことかと思います。「競馬予想TV!」のGI回収率も6位に落ち、宝塚記念の出走権を失いました。
 いろいろ書きたいことはあるのですが、「言い訳を潔しとしない」のは、この仕事をやっていく上で大事にしたいこと。敢えて何も書きません。覆水盆に返らず。結果を次以降の予想に活かしていく以外に、われわれはどうしようもないのです。
「すべての結果は必然である」という言葉が私は結構好きです。先週の結果は、上位5人の予想家を「宝塚記念で予想するにふさわしい」と認めたということでしょう。上位5人のみなさんに拍手を送り、宝塚記念でのご健闘を祈りたいと思います。

 さて、ミスターシービーです。大昔のお恥ずかしい話ですが、やっぱりこの話を書かないと先に進めないので、書いてしまいます。ミスターシービー三冠の年、24歳だった若き市丸は、ある女性と付き合っていました。強いミスターシービーのレースを共にテレビで見ながら、幸せな時間を過ごしました。
 ミスターシービーは三冠制覇の後、JCも有馬記念もパスします。そして、市丸はというと、いろいろありまして、シービー三冠の翌年1月に彼女から別れを告げられました。初めての失恋らしい失恋です。

 このときのことは、いまだに忘れません。なにしろ、「起きているのが苦痛」でした。一切の食べ物は身体が受け付けず、辛い以外の感情がない。「起きた」ことがわかった瞬間から、ともかく早く寝てしまいたいと強く思いました。
 幸い水分だけは摂れたので、生きるために必要な作業をなんとかして終えたあとは、毎日、可能な限り早めに酒を飲みました。入手できる範囲でできるだけ強く、早く酔っ払う酒を飲む。酔っ払って朦朧としてくると、なんとか辛さを紛らすことができました。そして眠くなってくると、混沌とした意識の中で、妙な嬉しさを感じたのを覚えています。
 でもまあ、人間というのは「忘れる」生き物なんですよね。どんなにひどい状況でも、1か月もすれば忘れちゃうんです。そして、次第に普通の状態に戻っていく。幸いアルコール依存になることもなく、精神的に厳しくなることもなく、忘れることによってすべての生活が徐々に通常に戻っていきました。

 そして、ミスターシービーはといえば、この春は蹄を悪くするなどして全休。秋の毎日王冠で、三冠達成した菊花賞以来、最初のレースを迎えます。
 筆者は、ミスターシービーの毎日王冠を心待ちにしていました。約1年間レースに使えず、雌伏して自らの身体と戦い、少しずつ少しずつレースに使える状態にまで回復してきたミスターシービー。若き筆者は、それを自分の状況と重ね合わせていました。秋になれば、秋になれば全部うまくいく、と。(青臭くてごめんなさい)
 その1984年の毎日王冠は、東京競馬場に初めてターフビジョンが導入された週の重賞として行われました。逆に言うと、この年まで競馬場に大きなビジョンはなく、競馬場で見ている観客は実際のレースだけを肉眼や双眼鏡で見ていたのです。現在50歳以下の競馬ファンには、何のことやらわからないかもしれませんね。古い話ですみません。
 このときは、3角手前で後方を進むミスターシービーがターフビジョンに大映しになると、それまで競馬場では聞いたことのなかった悲鳴のような歓声が上がりました。そして、上がり3ハロン33秒7という、当時としては信じられない上がりタイムで追い込んだものの、カツラギエースの2着に敗れています。
 筆者は、ミスターシービーが届かなかったことよりも、元気に復活してくれたこと、そしていつもの強烈な末脚を見せてくれたことが嬉しく、府中の居酒屋で幸せに飲みました。これなら、天皇賞・秋は勝てると確信しながら。

 今週末は久々に「競馬予想TV!」お休みですので、今週中にもう一回更新できるといいなあと思います。今後ともよろしくお願いいたします。