(初稿:10月16日)
当ブログは元々「地域委員会」の在り方に対する疑問が発端として開設された。それがやがて「減税日本」の問題、「河村たかし」への懐疑として、市民に市政を取り戻すべきという意見に集約してきた。モデルチェンジに伴い、以前お送りいただいたロゴマークを、当ブログのタイトルの横にあしらってみた。
所謂「減税日本」の掲げた3大公約の内、地域委員会と減税については散々問題点を指摘している、しかし議員報酬半減については冷淡であるというご意見もいただいている。
議員報酬論議は、議会改革論議の一端であると思っているが、私は議会改革論議は市政にとって優先順位が低い問題であると認識している。
いま、名古屋市政をレストランに喩えてみましょう。レストランに食事を求めてお客さんが来店するように、行政機関に様々な行政サービスを求めて市民がやってくる。行政サービスがレストランで出される食事であるとすれば、さしずめウェイター、ウェイトレスが市の行政職員という事になるかもしれない。
ここで、議会というのはレストランの厨房に喩えられると思う。
議員は厨房で行政サービスを設計して作り上げる。調理人と捉えられないだろうか。
では、議会改革論議とは何に当たるだろうか?
私は「厨房の掃除」がそれに当たるのではないかと感じる。厨房は清潔に保たれなければならない、その為には日々の清掃が重要であることは間違いない。しかし、それはあくまでも最終的に供される食事の為の環境整備であって目的ではない。議会改革ばかりを言い募る議員というのは、ずっと厨房の掃除をし続ける料理人に思える。ちょっとサイコチックで怖い。
なので、議会改革や議員歳費の問題は他人に任せておけば良いし、他の課題が解決してからで充分であると思っていた。
しかし、やはりこの報酬の半減というのは極端に過ぎるようだ。
名古屋にとって、この2年ほどの間は減税であるとか地域委員会、またはこのような議員報酬の議論で市政が停滞している。この停滞は市政を毀損しているとみなしても間違いではない。待機児童対策の遅れがその一例である。
そして、この議員報酬議論は名古屋市会を毀損している。
この春の市議選において、減税日本ナゴヤが第一党に躍り出たといわれるが、実はこの要因に議員報酬の半減が寄与していたのではないかと言われている。つまり、この春の市議選において、名古屋市政を担おうという有為な新人が、報酬半減議論に気圧されて立候補をためらったのではないかと言われているのだ。
「市民のための市議として、高い理想があれば報酬の議論は差し置いても立候補する筈だ」というような精神論はレベルが低い。生活給としての800万円であればその議論も聞けるけれども議員の報酬は「報酬」であって「給与」ではない。市長の「給与」とごっちゃにしてのこの春の議論では、二の足を踏むのも当然だ。市政の実際を知っている優秀な者ほどこの春の市議選での立候補は思いもよらない事だっただろう。
そして、既に過去のエントリーでも述べたように某党の政治インターンが「名古屋市会だけは立候補できない、活動できない」と述べている。
このままでは名古屋市会には優秀な人材が参入して来なくなる。
更にここで、議員定数まで半減せよというならば、その人は政治音痴も甚だしい。
どのような集団であっても、有為な人材と「そうでもない者」の比率というのは一定であろうと思われる。現在一定程度「そうでもない者」が居たからといって、定数を削減すれば、「そうでもない者」と同時に有為な人材も削減する事になるのは目に見えている。
こうやって議会を弱体化して喜ぶのは市当局の官僚組織だけになる。
昨年の議会解散、リコール署名から続いたこのヒステリックな議論を冷静に評価する必要がある。
そもそも、あれだけ大騒ぎして名古屋市会は議員報酬を半減したわけであるが、それで削減できた金額は6億円である。先の減税で法人市民税の減税額トップ3社に戻された金額が6億以上なのである。ただでさえ儲かっている会社なのだから、減税による削減にも何等かの制限を設けることができていたらこの6億円を取り返して、優秀な議員のために報酬を与えても何等問題ないというものだ。
(ちなみに、ガタガタ騒いでいる海外視察は120万円×75人でも9千万円のオーダーである、空想的な理念と現実の問題解決とのギャップというのはこのようなものだ)
誰しも単純に捉えれば「市議会議員はたった80日働いただけで1600万円も貰っている、この報酬を半減させます」といえば肯定するだろう。しかし、本当に市議は80日しか働いていなかったか?現在、減税日本ナゴヤの市議たちに聞いてみたい。彼等はほとんど毎日市役所に「通勤」している(市議にとって市役所に登庁することは、仕事の一つであって全てではないのだが、そういう意味では過剰に登庁しているともいえる)
また、1600万円というのも「報酬」とはいえ、例えば個人事業主や商店で言えば「売上げ」に相当するものであって、ここから各種経費を差し引けば収入は驚くほど低くなる。(①政務調査費を「経費」と思い違いしている人々もいるが、政務調査費には按分率があり、政務調査費を使うためには自費負担を被らなければならなくなる。つまり仕事をすればするほど収入は減るという事になる、②また市長は「給与」である。市長の800万円はそのほとんどが収入となる)
更に言えば「半減」には何の根拠も無い。実際に家族を持ち、市議としての仕事をしつつ、この報酬では生活が成り立たないという者もいる。
また、落ち着いて考えてみよう「なぜ、市民が1600万円が高く、半減が正当と考えるのか?その考えの元となるものはなにか?」私は理性や政策的な判断ではなくて、単純な、やっかみや僻み、妬みなどの感情であると思われる。
将来の名古屋のためにはこの厄介な感情論を乗り越えなければならない。
しかし、こういった負の感情というものはなかなかに力が強く、根が深い。名古屋市政を蝕むだけに飽き足らず、愛知県議会にまで影響を及ぼそうとしている。
某県議と会話の機会を得たので忌憚のない意見を伺ってみた。
「現在、県議会議員は年間1590万円の報酬から11%を削減して1410万円としている。長引く不況の中で、震災復興のための増税も取りざたされている。各地方自治体も、より一層の行政改革を進めて歳出の削減に努めなければならないことは明白で、公務員給与の削減を求める必要もある。そのために議員自らも報酬を削減するべきであろうという事から削減されている、これについては否やは無い」
「しかし、こういった報酬議論については、800万円にも理論はあろうし、1500万円にも理論はある。なんなら無報酬という理論もあるわけで、どれが正しいとは判然としない。名古屋市議会においては、マニフェストとして掲げ、選挙で判断を求めた。その過程を経ていない愛知県議会としては、第三者委員会による勧告を求めるなど客観的な判断をまず問いたい」
「判断の際には、様々なファクター、検討要因があると思う。
その1つが、議員のモチベーション、または議員になろうとする者へのモチベーションが保てるのかという危惧がある。議会が、単なる行政の追認機関で良いのであれば安い報酬でも良いだろう。無料の(または一時金による)市民ボランティアが数人集められて評価をするのでも良いかもしれない。(ちょうど、名古屋市で始められようとしている「公開市民参加による外部評価」がそれに近いかもしれない)
しかし、県議として県政で政策立案、予算認定などを責任をもってするには、一定の能力を備えた者を県議として迎える必要があるだろう。そう考えた場合、民間企業の報酬等と比較して議員報酬が、人材を募るために効果的であるかを検討する必要があるだろう」
「その2として、自分には具体的に希望する政策案がある(その中身については今の段階でこのブログで公表することはできませんが、おおよそのアウトラインを聞いたところでは、非常に面白い政策であろうと思います:筆者注)その政策についての研究もしたいけれども、それにはやはり経費が必要となる。」
「今、減税日本という政党にとっては、報酬削減は有権者にアッピールする『政治を動かす手段』として捉えられる。そして、有権者に対するアッピールは常に重要である。しかし、減税日本の県議が議会内努力を放棄して報酬800万円にし、その先の愛知県政がどうなるというようなビジョン、つまり目的も見えてこない。先にも述べたような自分が暖めている政策の立案を諦めてまでこの『政治を動かす手段』に同意すべきなのか、この選択は難しい」
と、だいたい以上のようなご意見であった。
私としては、<今>の議員報酬議論よりも、名古屋市や愛知県の<明日>のための議員報酬議論が必要ではないかと考える。今一度落ち着いて、エモーショナルな議論ではなく、根拠のある冷静な議論が必要であろうと思う。
追記(10月29日):
掲載について、様々な制約等もあり遅れに遅れた。
なんとか月内に決着したいものと、無理強いをした。
本日の段階で掲載を強行いたします。
なお、追加のご意見をいただき、それについても
整理した状態を確認願うべきかもしれませんが、
時間的制約もあるので見送ってしまいます。
以下が追加のご意見(からの抜粋です)
「『できるだけ優秀な人に議員になってもらい、
死にものぐるいで頑張って、社会を良くして欲しい』
大多数の日本人はそう考えていると思う。
これを実現する時に、果たして報酬はいくらが良いか、
その採用試験である選挙は、どんな制度が良いか。
これが、報酬問題についての本質的な議論だ」
「報酬がいくらか、といった待遇だけの問題では無く、
採用試験が幅広く開かれた、平等な競争になっているという事だ。
家庭環境がどうだとか、学歴がどうだとかいった事に捕われず、
平等な試験を実施して、高い競争率の中で、
本当にやる気がある人を採用する。
そして、成果を出した人には高い給料を支払う」
「市長の言う様に、
『減税で(手取りの)給料が増えるから、
日本中から愛知ナゴヤに人が集まる』
という事が正しいとすれば、
『議員報酬削減で(手取りの)給料が減るから、
愛知ナゴヤから、議員になりたい人が出て行ってしまう』
のでは無いか」
「『議員は働いていない割に、
高い給料をもらいすぎ。だから給料を下げるべき』
という後ろ向きの議論では、(河村市長の意図と反して)
議員はどんどん働かなくなるし、
却って、お金持ちや世襲議員が増えて
優秀な若者は敬遠してしまうだろう」
「そして、議員の人事制度において報酬以上に
大切である、選挙制度の改革には一切触れられていない。
投票率30%、競争率1.5倍の選挙制度では、
優秀な人が集まる可能性は極端に低い。
いま、必要な事は、
一人でも多くの人に
『議員の報酬と、採用制度(つまり選挙制度)』
の議論に参加してもらい、
議員と政治の質を高めて行く事だ。
その第一歩として、第三者委員会を設置して、
幅広くこの議論を進める事をまずやりたい」
選挙制度も含めて、有為な人材を吸収できる議会が望まれる事でしょう。
「ジャクソン流民主主義」という歴史の教訓もありました。愛知、名古屋を当時のアメリカのような破綻に導かないためにも、再度の議論が必要です。