今日は、前回のブログの続編です
私が、自分の根源を思い出すためにしていること、
それは
できるだけ情報から離れる
ことです。
私たちは、普通に生活しているだけでもう十分すぎるほどにいろいろな情報が入ってきています。
それに加え、さらに自分から情報を追うことは、自分の脳内をただひたすら混乱に導いていることだということに気がつきました。
ここ最近、
自分からせっせと
情報を探しにいかない
ことを心掛けながら生活をしています。
ここで言う「情報」は、例え
自分にとって良い情報であっても
です。
私は平日、朝5時半に起きて家族が持って行くお弁当の準備を始めるのですが、今まではその時間に自分が好きな人のYouTube動画をイヤホンで聞きながら作業をするのがルーティンでした。
1週間ほど前からこのルーティンをやめて、一つ一つの作業を意識的に、心を込めてすることにしました。
すると数日があったとき、とても面白いことが起きました。
これまで無意識にしていたリンゴの皮むき、ぶどうを洗う作業がとても新鮮に感じてきたのです。
今まで完全に見落としていたものに、ハッと気づいた感覚でした。
今朝なんかは、みかんの皮を手で剥きながら、
みかんの筋ってこんな感じで入っているんだな〜
このみかん、小さくてかわいいな〜
みずみずしい〜
子供たち、
きっとこのみかんを食べたら喜ぶだろうな〜
など、みかん一つからとてもたくさんの発見と癒やしを得ました。
39年生きてきた中で一番「みかん」について考え、感じた時間でした(笑)
そして、このみかんと向き合った一分足らずの時間がとても楽しかったのです!
もちろん、完全に情報を断つなんてことはできないし、必要な情報は取り入れるべきだと思います。
ただ、
優先順位を
外からの情報にするのではなく、
自分の声にする
これかなと思います。
スマホやパソコン、テレビからいろんな情報を得るのもとても楽しいし、ワクワクするのですが、そういった情報から得る喜びよりも「自分」と一緒に過ごす時間から得る喜びの方が大きいことに気がつきました。
そして、自分と一緒に過ごす時間はとても楽しいです。
外からの情報よりは刺激的ではないですが、自分と一緒にいると心が和み、穏やかで、何よりも平和です。
本当の自分、真我は、自分にとって必要なことをすでに全て把握しています。
ただ静かに
自分の声に耳を傾けていると、
自分から求めていかなくても、
必要な情報は自然と入ってくる
これが最近、私が体感したことです
最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。
私の住んでいる地域は今日、曇り空です
すてきな一日をお過ごしくださいませ
ドイツより、愛を込めて