私は、今までずっと自分を大切にしてきませんでした。
自分を大切にする
方法がわからなかった
と言った方が適切かもしれません。
そんな私が、
自分をもっと大切にしたい
自分をもっと愛したい
と自然に思うようになったのは、
「わたし」という存在が、ただの人間としての存在ではなく、
「わたし」の本質が
真我であり、大いなる存在である
(「神」「ハイヤーセレフ」など呼び方はなんでも)
ということに気づいたからです。
「わたし」の本質が
真我であり、大いなる存在である
ことに気づいたのは、瞑想をしている時に初めて自分の真我とつながった時です。
これは私の体験なのですが、
瞑想を始めてしばらくしたときに体の感覚が薄れてきて、自分の内面を深く感じるようになりました。
そのままずっと内面に意識を向けていると、自然と涙が出てきました。
悲しいとか、嬉しいとかそういった感情は全くなく、ただ、涙があふれてきました。
そして次の瞬間、言葉では表現しきれないほどの大きな愛に包まれて、これまでに感じたことのない安堵感と解放感を感じました。
これこそが
本当のわたし、わたしの本質だ
という感覚がふわっと出てきました。
この体験をしてから、「わたし」という存在がただの肉体を持った個人としての存在ではなく、源は大いなる存在なのだということを確信しました。
私がこれまで大切にできなかった、愛せなかった「自分」は、ただ、
エゴが勝手に決めつけ判断した、
ニセの自分
でした。
それに気づいた時、
エゴがジャッジする
「ニセの自分」は愛せないけど、
「わたし」の根源、
大いなる存在は無条件で愛せる
と思いました。
例え宗教を信仰していない人でも、「神様」を粗末に扱う扱う人はいませんよね。
本心から、神聖なものを意図的に傷つけようと思う人は絶対にいないと思います。
日常生活の中でときどき自分の根源を忘れてしまっている時、そういった時は大抵いやな気分であることが多いです。
そういうとき、私は
意識的に自分の根源を思い出す
ようにしています。
自分の根源を思い出すと、
愛せない
許せない
大切にできない
などという感情自体、出てきません。
ただただ無条件にすべてを受け入れ、自然と愛せます。
それは、「わたし」という存在が
すべての根源で、神だから。
もはや、「愛する」なんて言葉も必要ないかもしれません。
いつもみるべきものは、エゴが判断する
ニセの「わたし」ではなく、
根源の「わたし」
それだけです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
すてきな一日をお過ごしください
ドイツより、愛を込めて