命のお祝いをしましょう | 英語とエイサーとベリーダンスで世界の架け橋に★沖縄出身福井在住MIRIKAのいちゃりばちょ~で~ブログ★

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英語・エイサー&沖縄民謡・ベリーダンス&フォークロアを通して世界を繋ぐ架け橋になるべく熱い魂(マブイ)を持って活動。「一度会えば皆きょうだい」という意味の沖縄のことわざです。


3時間かけて、想いを込めて書いたブログが、一瞬にして消えてしまいましたガーン
放っておくと本になりそうな勢いで書いてしまう私・・・ですが、何故か、本気で書いた文ほど、よく、消えてしまいます。
でも、あまりにも長すぎたので、「こんなに長く書いたら読んでもらえないよ!」という点からのお告げだと思って、気を取り直して、短く書き直します音譜



3月11日。
日本にとって、世界にとって、忘れられない日となったこの日。

私は、沢山泣きました。
多くの人が涙し、苦しんだ、大きな大きな震災。

沢山の方々が亡くなった、とても悲しい出来事でしたが、あれ程までに、日本が一つになり、世界中から愛をもらました。

まだまだ完全に復興する日は遠い様に見えます。
津波、地震からの復興も遅れている上に、原発事故だってまだ全く収拾がつかないし。

でも、生きている限り、希望はある。
だから、前向いて、前に進んでいこう。



私が大好きな言葉を一つ紹介します。

ヌチヌスージサビラ

―命のお祝いをしましょう

小那覇舞天

(おなはぶーてん)


歯科医師でありながら、演劇人として、沖縄の戦後の復興に一役買った、沖縄のチャップリンと呼ばれる伝説の方の言葉です。

舞天は、戦後のコザ市で、弟子の照屋林助(てるやりんすけ)と共に、三線を持って各家々を回り、「ヌチヌスージサビラ(命のお祝いをしましょう)」といって突然入っていき、歌い、踊りだしました。
その踊りがまたヘンテコな踊りなもんだから、どっと笑いが起こり、皆が明るくなったんですね。

「生き残った者が生き残った命のお祝いをして元気を取り戻さないと、亡くなった人たちも浮かばれないし、沖縄も復興できないのではないか。さあ遊ぼうじゃないか」

そして、弟子の照屋林助さんは、稲美や飛武呂の大先生である、照屋林賢さんのお父さん。
少なからずとも、私達と縁のある方です。

私は、太陽の様に明るい、沖縄の人達の精神が、本当に大好き。
私は、自分の故郷と、故郷の人々を、心から、誇りに思います。



さぁ、みんな。
命のお祝いをしましょう。
今、こうやって生きている、この命を大切に。
命のお祝いをして、元気に、前に進んでいきましょう。