大阪の建築は歴史上では世界最古を誇る。
日本の建築基準には大工がありますが大工でも一般的な住居や改築などを施工する大工と寺社などの建築する宮大工が存在しておりました。そんな中で近年鉄骨造という新しい建造物が登場し地上から数百メートルの高いビルを建てることができるようになった。
大阪が最古の歴史を誇るというのも実は宮大工の施工業者の中に世界最古の歴史を持つ企業があります。大阪市の天王寺区。四天王寺にある金剛組という企業ですが昭和30年代まで金剛よしえさんという人が代々で受け継いでこられた宮大工で棟梁も金剛よしえさん(金剛家の末代)だった。金剛組の歴史が世界最古でありギネス認定も受けている。
始まりは飛鳥時代まで遡ります。時は聖徳太子の時代。当時日本は仏教を導入するか否かの瀬戸際の状態で国も荒れており物部氏のように従来の神々を崇拝すべきという反仏教派と仏教をどんどん導入すべきだとする蘇我派が存在しました。聖徳太子はそんな蘇我氏の恩恵を受けていた天皇だったため政治も仏教を導入した政治へと変わっていきました。
聖徳太子が四天王寺に仏教寺院を建立。その建立にあたっては当時の日本の建築技術ではできないわけでもないのですが、聖徳太子時代つまり飛鳥時代は朝鮮半島の百済国となり親密な関係で日本は大阪の鶴橋周辺一帯が朝鮮の貴族の所領地として多くの朝鮮翻訳者が住んでおりました。逆に百済国にはお隣の伽耶に多くの日本の貴族が移住しておりました。
実効支配していた状態だったため新羅と高句麗は要所に手が出せない状態だった。
飛鳥時代とは日本と朝鮮(百済)の関係が非常に強かった時代でもあり、聖徳太子が四天王寺を建立する際に朝鮮百済から3名の宮大工を招き四天王寺の本堂と五重塔を建立しました。これは技術的なものではなく当時の日本の風習である従来の神々の信仰から仏教へと変えていく第一歩として朝鮮人技術者に建立を命じたものでした。
四天王寺の建立で選ばれた宮大工が金剛・早水・永路の3名であり、この金剛氏が金剛重光という名前でした。この名前から現在の日本人の名前と比べても朝鮮人(百済人)との文化の違いが判りますか?ほぼ同じですよね。聖徳太子の和名は厩戸皇子(うまやどのみこ)。聖徳太子と関係がある推古天皇さんは和風諡号は豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)という名前だった。
昔の人の名前は本当に長かったので恐らく呼びにくいのは言うまでもない。それが聖徳太子とか推古天皇なら言いやすい。金剛重光氏は飛鳥時代の朝鮮人であり韓名も金剛重光でした。
物部氏は強烈な従来型信仰者であり仏教を外国からの侵略とみなしていたようだ。一方の蘇我氏は唐の国つまり現在の中国へ渡って多くの仏教経典を学んだ。当時、唐へ渡ったのは蘇我氏と中臣氏であり中臣氏は当時流行り出した儒学を学んだ。蘇我氏は仏教でも古典的仏教だった。この古典的仏教に法華経が含まれている。
経典はあるものの寺院がなけりゃ仏教を広めることもできない。それを実行しようとしたのは蘇我氏が唐で学んだ経典にそう書かれていたからである。寺院の中に仏像を納め説法したりお経を唱えたり指導をしたりするスタイルでなければ成仏できない形式になっていた。
仏教派と従来派。
物部氏は神武天皇(初代天皇)から天皇家の右腕なりとも深い関係にあった氏家である。神武天皇が日本支配中に大阪河内を所領していたのが物部氏であり神武天皇に多大な力を与えたのも物部氏だった。一方の蘇我氏も同じくして天皇に大きな影響力を与えておりました。
そうした時代に大きな権力争いが生まれたのが仏教派と従来崇拝派だった。外国の侵略とみなしていた物部氏に対して仏教派が態と朝鮮人宮大工を招待して建立したのも争いからきている。あの四天王寺ももともとは従来信仰派だった物部氏の所領地であり建立に際しても奴隷として土工など重労働に利用されたのも物部氏の奴婢・捕虜などを使った。
金剛・早水・永路の朝鮮宮大工を招待したのも、態と嫉妬させて反仏教派を炙り出す作戦だったんでしょう。
四天王寺建立で呼ばれた宮大工の一人、金剛重光さんがその後、四天王寺のお抱え宮大工になり昭和30年代まで一代のみで受け継いで経営していたのが金剛組。現在は高松建設の傘下に入りながらも多くの寺社の修復工事や再建・建立に追善している。他には神輿や山車なども制作している。
ちなみに四天王寺は日本最古の仏教寺院の一つで飛鳥にある法興寺(飛鳥寺)と並んで古い歴史がある。それまでの日本の天皇は仏教に関しては興味がなかったのかといえばそうではない。あの仁徳天皇も実は朝鮮に寺院を建立していたわけで、聖徳太子も蘇我氏も長年仏教を日本に導入したい意思があっても導入できない事情が反仏教派によって政治的にも文化的にも確立していた。
四天王寺と東大寺の違いは?
ちなみに四天王寺は推古天皇期暦593年に建立。関係人物と経典は蘇我氏が唐に赴いて仏教経典を学んでいる。後五五百歳の時代。
東大寺は聖武天皇期暦733年建立。関係人物と経典は天台宗開祖最澄が唐に赴いて古典的仏教を修行し日本へ持ち込んだ。時代は正・像・末の像800歳ごろにあたる。
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大阪北部梅田界隈
大阪南部なんば界隈
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