Thelonious Monk - Crepuscule with Nellie - Berli
aparxa さんが 2009/02/05 にアップロード
Thelonious Monk
Philharmonie, Berliner Jazztage, Berlin/Germany,
7th November 1969
Thelonious Monk, p
Lisa Ono 2007 SUNSET BOSSA-15. Pela Luz dos Olho
Lisa Ono 2007 SUNSET BOSSA ~Tribute to Antonio Carlos Jobim/小野リサ¥5,800 Amazon.co.jp
曲目リスト
Pela luz dos olhos teus (Tom Jobim e Miucha)
15. Pela Luz dos Olhos Teus あなたの瞳の輝きPela Luz Dos Olhos Teus
Tom Jobim
Pela Luz dos Olhos Teus
Tom Jobim e Miucha
(Ela canta)
Quando a luz dos olhos meus
E a luz dos olhos teus
Resolvem se encontrar
Ai, que bom que isso é meu Deus
Que frio que me dá o encontro desse olhar
Mas se a luz dos olhos teus
Resiste aos olhos meus
Só pra me provocar
Meu amor juro por Deus
Me sinto incendiar
(Ele canta)
Meu amor juro por Deus
Que a luz dos olhos meus
Já não pode esperar
Quero a luz dos olhos meus
Na luz dos olhos teus
Sem mais la ra ra ra...
Pela luz dos olhos teus
Eu acho meu amor que só se pode achar
Que a luz dos olhos meus precisa se casar
( La ra ri ra ra ra...)
( La ra ri ra ra ra...)
(Os dois cantam)
Quando a luz dos olhos meus
E a luz dos olhos teus
Resolvem se encontrar
Ai, que bom que isso é meu Deus
Que frio que me dá o encontro desse olhar
Mas se a luz dos olhos teus
Resiste aos olhos meus
Só pra me provocar
Meu amor juro por Deus
Me sinto incendiar
Meu amor juro por Deus
Que a luz dos olhos meus
Já não pode esperar
Quero a luz dos olhos meus
Na luz dos olhos teus
Sem mais la ra ra ra...
Pela luz dos olhos teus
Eu acho meu amor e só se pode achar
Que a luz dos olhos meus precisa se casar
Que a luz dos olhos meus precisa se casar
Que a luz dos olhos meus precisa se casar
Precisa se casar, precisa se casar (repete até o fim)
国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 の調査について思うこと 2
動画と報告書に目を通させていただいた。
限られた期間の中で良く調査していただいたと感謝の念に堪えない。
ぼくも事故以来ずっとフォローしているので、言いたいことは沢山ある。でも、さしあたり第一歩としてはこれで充分だと思う。
このような委員会を国会で編成できるのであれば、課題は山積ではあろうが、政府に対するカウンターオピニオンを作成できる可能性が見えてきたのは、今後への大きな成果だと感じた。行政や司法は全く信用できないので、国会の責任は大きいと言うことを十二分に理解して欲しい。
残された課題は、2点。
まず、行政のあり方を変えなければならないと言うこと。これは議員諸君の責務だ。今後の健闘に期待する。
技術的な問題に関しては、ごく一部しか調査できていないという印象が強いので、今後、常設組織化する必要がある。これは行政の企画しているものではダメだと思う。なにより信任を得られない。全プラントの詳細にわたる技術評価をメーカーを異にしクロスさせゼネコンやプラント設計会社などにも現在の技術水準を持って再評価させる必要があるだろう。その上で現在の立地の地震の可能性から導いた耐震設計に叩き直すという作業がなければ再稼働などあり得ない。当然、他の可能性のある人的事故などへの対応などについても同様だ。これには膨大なコストと時間が掛かる。それは仕方がない。ガスタービンや4S炉に取り組んだ方が時間もコストも掛からないかもしれないと言う気がする。
今回の事故内容でもよく判ったようにこの事故は、原子力の技術問題ではない。装置・プラントと運用とコストの問題なんだよ。学者だけを呼んでもダメなんだ。技術者にも聞く必要があるんだ。

委員長
黒川清(医学博士、東京大学名誉教授、元日本学術会議会長)
黒川 清(くろかわ きよし、1936年 - )は、日本の医学者(内科学・腎臓学・医療政策・科学政策)。学位は医学博士(東京大学・1967年)。東京大学名誉教授、政策研究大学院大学アカデミックフェロー、特定非営利活動法人日本医療政策機構代表理事。
東海大学医学部学部長、東海大学総合医学研究所所長、日本学術会議会長、内閣特別顧問を歴任。
委員
石橋克彦(地震学者、神戸大学名誉教授)
石橋 克彦(いしばし かつひこ、1944年8月1日 - )は日本の地球科学者。神奈川県出身。専門は歴史地震、地震テクトニクス。
東京大学理学部地球物理学科卒業。同大学院理学系研究科博士課程修了。東大地震研究所助手、建設省建築研究所国際地震工学部応用地震学室長を経て、神戸大学都市安全研究センター教授を歴任。現在は神戸大学名誉教授。
1976年の日本地震学会および地震予知連絡会で、東海地震説のもとになった「駿河湾地震説」を発表。マスコミにも盛んに取り上げられ、石橋の名前は一躍有名になり、静岡県周辺の防災対策強化や直前予知体制が官民挙げて進められるきっかけとなった。
1997年、月刊誌に論文「原発震災―破滅を避けるために」を発表[3]。大地震によって原子力発電所が炉心溶融事故を起こし、地震災害と放射能汚染の被害が複合的に絡み合う災害を「原発震災」と名付けて警鐘を鳴らした。以後、日本国内における原子力発電所の耐震性を最新の地震学の知見で見直す必要性や、東海地震想定震源域の真上に立地している浜岡原子力発電所の閉鎖、原発依存からの段階的な脱却、高レベル放射性廃棄物の地層処分を、地震が多い日本国内で実施する計画に関する懸念などを一貫して主張し続けている。2001年、原子力安全委員会耐震指針検討分科会委員に就任し、『発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針』の改訂に関わったが、改訂案が了承される直前の2006年8月になって、内容を不服として委員を辞任した。「原発震災」への懸念は、2011年の東日本大震災で引き起こされた福島第一原子力発電所事故で現実のものとなった。
同年11月には、国会に設置された同原発事故調査委員会の委員への就任が決定。
大島賢三(独立行政法人国際協力機構顧問、元国際連合大使)
大島 賢三(おおしま けんぞう、1943年(昭和18年)5月14日 - )は、日本の外交官。元国連事務次長。前国際連合日本政府代表部特命全権大使。現在、独立行政法人国際協力機構(JICA)顧問。
広島県広島市東区牛田出身[1]。広島大附属高校時代にアメリカ合衆国に1年間留学。
東京大学法学部を経て、1967年4月、外務省入省。フランス語研修、在フランス大使館・在インド大使館・在オーストラリア大使館・在アメリカ大使館勤務などを経て、1990年在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1993年8月国際協力事業団総務部長 1995年8月アジア局審議官、国際社会協力部長、 1997年経済協力局長、人間の安全保障・科学技術協力・国連改革担当大使を務めた。現職への就任前は、1999年総理府国際平和協力本部事務局長として、日本としての平和維持・人道支援プログラムの調整にあたった。2001年中旬、国際連合事務総長のコフィー・アナンにより、国連事務次長(人道問題担当)に任命され、その後、在オーストラリア特命全権大使を2003年9月から2004年12月までの間務めた。
2004年11月、国連大使就任。日本の安保理常任理事国入りを目指し、ドイツなどと共に安保理拡大決議案(G4案)を国連総会に提出したが、米国などの不支持で採決に至らず廃案になった。2006年10月の北朝鮮核実験では、安保理制裁決議採択で各国との調整にあたった。
2007年10月、国際協力機構(JICA)副理事長就任。2011年9月、国際協力機構(JICA)顧問に就任。
広島市出身の大島は二歳の時、自宅で原爆に遭い母親を亡くし自身も被爆者である[2]。そのため、チェルノブイリ原発事故の支援活動に熱心である。国連チェルノブイリ調整官として、報告書「チェルノブイリ原発事故が人体に与えた影響:回復への戦略」(原題:The Human Consequences of the Chernobyl Nuclear Accident:A Strategy for Recovery.)をまとめた。
挫折を繰り返す安保理改革を「まだ終わらぬ」と、安保理拡大決議案の採択を目指し新たな枠組みを模索したが2007年6月、国連大使を退任した。しかし人道調整担当の国連事務次長を務めた経歴から、アフリカの紛争地をよく知り、国連の中でも、緒方貞子、明石康並に知名度の高い日本人ともいわれる。PKOのトップ(事務総長特別代表)などに推す声もある。
崎山比早子(医学博士、元放射線医学総合研究所主任研究官)
崎山 比早子(さきやま ひさこ)元放射線医学総合研究所主任研究官、医学博士、高木学校所属
1965年千葉大学医学部卒業、74年千葉大学大学院医学研究科修了。医学博士。マサチューセッツ工科大学研究員、放射線医学総合研究所主任研究官を経て、1999年から高木学校のメンバーとなる。高木学校は、プルトニウムの危険性を訴え続けた物理学者の故・高木仁三郎が、市民の立場から問題に取り組む市民科学者を育成するために1998年に創設した団体。 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 委員
櫻井正史(弁護士、元名古屋高等検察庁検事長、元防衛省防衛監察監)
櫻井 正史(さくらい まさふみ、1944年(昭和19年)10月 - )は、東京都出身の元検事長。防衛監察本部初代防衛監察監。
1968年(昭和43年)3月:早稲田大学法学部卒業。
1969年(昭和44年):司法修習生
1983年(昭和58年):司法研修所教官
1987年(昭和62年):公安調査庁調査1部参事官
1993年(平成5年)9月:千葉地方検察庁公安部長
1996年(平成8年)4月:東京地方検察庁公安部長
1999年(平成11年)7月:最高検察庁検事
2001年(平成13年)5月:公安調査庁次長
2003年(平成15年)10月:最高検察庁刑事部長
2005年(平成17年)4月:東京地方検察庁検事正
2006年(平成18年)6月:名古屋高等検察庁検事長(2007年7月まで)
2007年(平成19年)9月1日:防衛監察監
2011年(平成23年)8月31日:防衛監察監を退職
田中耕一(化学者、株式会社島津製作所フェロー)
田中 耕一(たなか こういち、1959年8月3日 - )は、日本の化学者・エンジニアである。文化功労者、文化勲章、ノーベル化学賞受賞者。株式会社島津製作所フェロー・田中耕一記念質量分析研究所所長、東京大学医科学研究所客員教授、日本学士院会員。
田中三彦(科学ジャーナリスト)
田中 三彦(たなか みつひこ、1943年 - )は、翻訳家、科学評論家。元原子炉製造技術者。
経歴
栃木県生まれ。1968年東京工業大学工学部生産機械工学科卒業。同年バブコック日立入社、福島第一原子力発電所4号機などの原子炉圧力容器の設計に関わる。1977年退社。サイエンスライターとして、翻訳・科学評論を執筆。「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」呼びかけ人。
野村修也(中央大学大学院法務研究科教授、弁護士)
野村 修也(のむら しゅうや、1962年4月12日 - )は、日本の法学者。専門は商法。学位は法学修士。中央大学法科大学院教授。北海道函館市出身。
森・濱田松本法律事務所弁護士(第二東京弁護士会所属)。金融庁および総務省の法令等遵守調査室長として、民間人でありながら中央省庁の内部から国家公務員のコンプライアンスを監視する役割も担ってきた。
会社法のほか、保険法や運送法を含む商法全般にわたって多数の研究業績がある。金融法やM&Aの実務にも精通している。また、コンプライアンスや内部統制に関する研究でも知られる。
学部および大学院では永井和之の指導を受けた。1998年に中央大学法学部教授に就任してからは、さまざまな公職にも就いている(職歴参照)。代表的な活動としては、金融監督庁(現・金融庁)の参事として金融検査マニュアルの策定にあたったほか、竹中平蔵大臣(当時)の下、金融庁顧問(金融問題タスクフォース・メンバー)として不良債権処理にあたったことが挙げられる。また、法制審議会会社法(現代化関係)部会幹事として2006年に施行した会社法の成立にも尽力した。その他、経済財政諮問会議の専門委員として国の資産債務改革にも努めた。現在は、郵政民営化委員会委員として日本郵政公社の民営化プロセスを監視している。また、新司法試験の開始前から問題の在り方の検討に携わり、第1回目の新司法試験から現在まで考査委員を務めている。
国民年金の不正免除事件で厚生労働省の調査委員を務めたことがきっかけで、5000万件の「宙に浮いた」年金記録問題についての調査委員を歴任。その後、福田康夫内閣総理大臣(当時)の特命を受け、舛添要一厚生労働大臣の下に設置された「年金記録問題特別チーム」の室長に就任した。このチームは、伊藤達也首相補佐官(当時)と連携しつつ、年金記録問題の解決の道筋を検討するとともに、社会保険庁の保管する紙台帳の現況調査や年金記録の遡及訂正案件のデータ調査などを実施し、福田総理(当時)へ報告した。その後、福田改造内閣の発足時に、いったんチームは解散するが、麻生内閣の発足と同時に年金記録の改ざん問題が社会的関心を呼んだのを受けて、2008年10月6日に、舛添要一労働大臣直轄の組織として「標準報酬遡及訂正事案等に関する調査委員会」が組織され、その調査委員長に就任した。同年11月28日に、同調査委員会は、年金記録の改ざん問題について、「現場レベルでの『組織性』」を認定する報告書(野村委員会報告書とか、野村レポートなどと呼ばれる)を公表した。
行政改革にも詳しく、2007年には行政改革推進本部の「官民人材交流センター」の制度設計に参加したほか、2008年には社会保険庁の後継組織である日本年金機構の設立に尽力した。民主党政権の下でも、2011年には、行政刷新会議における独立行政法人改革のWGに参加し、独立行政法人の評価にあたった。また、2012年1月には、大阪市の橋下徹市長より大阪市特別顧問に任命され、市職員の政治活動や労働組合活動の調査を踏まえて職場環境の適正化に向けた提言を行っている。
2011年12月には、憲政史上初めて国会の下に設置された福島原子力発電所事故調査委員会の委員に任命され、同委員会の主査として報告書の取りまとめにあたっている。
その他、経団連や全国銀行協会、各省庁等で、会社法、コンプライアンスに関する講演を行っている。また、テレビのニュース番組においても専門家の立場から解説する機会が多い。かつては、2006年4月から2010年10月27日まで月曜日の朝に放送されている「まーけっとNavi」のレギュラー・コメンテーターとして、最新の法制度等を紹介する「野村修也のテレビ寺子屋」も担当していた(2010年10月27日で終了)。また、日テレNEWS24でデイリープラネット木曜日の「プラネットView 野村修也の木曜政経塾」というコーナーも担当していた。現在は、日本テレビの「真相報道バンキシャ」のご意見番として、月に1度程度レギュラー出演中である。2010年秋には、会計検査庁(会計検査院をモデルとした架空の役所)に採用された詐欺師が役所の無駄遣いを糾弾する、篠原涼子主演のドラマ「黄金の豚」の監修も務めた。
蜂須賀禮子(福島県大熊町商工会会長)
横山禎徳(社会システム・デザイナー、東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム企画・推進責任者)
横山 禎徳(よこやま よしのり、1942年9月16日 - )は社会システムデザイナー、日本の経営コンサルタント。広島県出身。オリックス、三井住友フィナンシャルグループ、三井住友銀行社外取締役。東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(EMP)企画・推進責任者。
略歴
東京大学工学部建築学科卒業、ハーバード大学デザイン大学院修了、マサチューセッツ工科大学経営大学院修了。
前川國男建築設計事務所、デイビス・ブロディアンドアソシエーツを経て、1975年(昭和50年)マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、1987年(昭和62年)同社ディレクター、1989年(平成元年)同社東京支社長を歴任し、2002年(平成14年)6月同社退職。その後、経済産業研究所上席研究員、産業再生機構非常勤監査役、一橋大学大学院国際企業戦略研究科客員教授等を歴任し、現職。
参与(2012年2月9日任命)
木村逸郎(京都大学名誉教授、財団法人大阪科学技術センター顧問)
木村逸郎 [キムライツロウ] 1935年神戸に生まれる。1958年大阪大学工学部電気工学科卒業。1960年同大学工学研究科修士課程原子核工学専攻修了。1961年京都大学に勤務、原子炉実験所助手、助教授、教授を歴任後、88年より工学部原子核工学科教授、99年3月定年退官、同年4月京都大学名誉教授。現在日本学術会議会員、(株)原子力安全システム研究所技術システム研究所長、工学博士、専門は中性子工学、放射線計測学、原子炉安全工学
児玉龍彦(東京大学アイソトープ総合センター長)
児玉 龍彦(こだま たつひこ、1953年(昭和28年)3月22日 - )は、日本の医学者、生物学者。東京大学アイソトープ総合センターセンター長[1]兼[2]東京大学先端科学技術研究センター教授 専門は、内科学、分子生物医学、システム医学領域、血管システム分野。
八田達夫(大阪大学名誉教授、政策研究大学院大学名誉教授
八田 達夫(はった たつお、1943年3月23日 - )は、日本の経済学者。福岡県出身。
前政策研究大学院大学学長、経済産業研究所ファカルティフェロー、大阪大学名誉教授。Ph.D.(ジョンズ・ホプキンス大学)(1973年)。
専門は応用ミクロ経済学、都市経済学、法と経済学など多岐にわたる。
限られた期間の中で良く調査していただいたと感謝の念に堪えない。
ぼくも事故以来ずっとフォローしているので、言いたいことは沢山ある。でも、さしあたり第一歩としてはこれで充分だと思う。
このような委員会を国会で編成できるのであれば、課題は山積ではあろうが、政府に対するカウンターオピニオンを作成できる可能性が見えてきたのは、今後への大きな成果だと感じた。行政や司法は全く信用できないので、国会の責任は大きいと言うことを十二分に理解して欲しい。
残された課題は、2点。
まず、行政のあり方を変えなければならないと言うこと。これは議員諸君の責務だ。今後の健闘に期待する。
技術的な問題に関しては、ごく一部しか調査できていないという印象が強いので、今後、常設組織化する必要がある。これは行政の企画しているものではダメだと思う。なにより信任を得られない。全プラントの詳細にわたる技術評価をメーカーを異にしクロスさせゼネコンやプラント設計会社などにも現在の技術水準を持って再評価させる必要があるだろう。その上で現在の立地の地震の可能性から導いた耐震設計に叩き直すという作業がなければ再稼働などあり得ない。当然、他の可能性のある人的事故などへの対応などについても同様だ。これには膨大なコストと時間が掛かる。それは仕方がない。ガスタービンや4S炉に取り組んだ方が時間もコストも掛からないかもしれないと言う気がする。
今回の事故内容でもよく判ったようにこの事故は、原子力の技術問題ではない。装置・プラントと運用とコストの問題なんだよ。学者だけを呼んでもダメなんだ。技術者にも聞く必要があるんだ。

委員長
黒川清(医学博士、東京大学名誉教授、元日本学術会議会長)黒川 清(くろかわ きよし、1936年 - )は、日本の医学者(内科学・腎臓学・医療政策・科学政策)。学位は医学博士(東京大学・1967年)。東京大学名誉教授、政策研究大学院大学アカデミックフェロー、特定非営利活動法人日本医療政策機構代表理事。
東海大学医学部学部長、東海大学総合医学研究所所長、日本学術会議会長、内閣特別顧問を歴任。
委員
石橋克彦(地震学者、神戸大学名誉教授)石橋 克彦(いしばし かつひこ、1944年8月1日 - )は日本の地球科学者。神奈川県出身。専門は歴史地震、地震テクトニクス。
東京大学理学部地球物理学科卒業。同大学院理学系研究科博士課程修了。東大地震研究所助手、建設省建築研究所国際地震工学部応用地震学室長を経て、神戸大学都市安全研究センター教授を歴任。現在は神戸大学名誉教授。
1976年の日本地震学会および地震予知連絡会で、東海地震説のもとになった「駿河湾地震説」を発表。マスコミにも盛んに取り上げられ、石橋の名前は一躍有名になり、静岡県周辺の防災対策強化や直前予知体制が官民挙げて進められるきっかけとなった。
1997年、月刊誌に論文「原発震災―破滅を避けるために」を発表[3]。大地震によって原子力発電所が炉心溶融事故を起こし、地震災害と放射能汚染の被害が複合的に絡み合う災害を「原発震災」と名付けて警鐘を鳴らした。以後、日本国内における原子力発電所の耐震性を最新の地震学の知見で見直す必要性や、東海地震想定震源域の真上に立地している浜岡原子力発電所の閉鎖、原発依存からの段階的な脱却、高レベル放射性廃棄物の地層処分を、地震が多い日本国内で実施する計画に関する懸念などを一貫して主張し続けている。2001年、原子力安全委員会耐震指針検討分科会委員に就任し、『発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針』の改訂に関わったが、改訂案が了承される直前の2006年8月になって、内容を不服として委員を辞任した。「原発震災」への懸念は、2011年の東日本大震災で引き起こされた福島第一原子力発電所事故で現実のものとなった。
同年11月には、国会に設置された同原発事故調査委員会の委員への就任が決定。
大島賢三(独立行政法人国際協力機構顧問、元国際連合大使)大島 賢三(おおしま けんぞう、1943年(昭和18年)5月14日 - )は、日本の外交官。元国連事務次長。前国際連合日本政府代表部特命全権大使。現在、独立行政法人国際協力機構(JICA)顧問。
広島県広島市東区牛田出身[1]。広島大附属高校時代にアメリカ合衆国に1年間留学。
東京大学法学部を経て、1967年4月、外務省入省。フランス語研修、在フランス大使館・在インド大使館・在オーストラリア大使館・在アメリカ大使館勤務などを経て、1990年在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1993年8月国際協力事業団総務部長 1995年8月アジア局審議官、国際社会協力部長、 1997年経済協力局長、人間の安全保障・科学技術協力・国連改革担当大使を務めた。現職への就任前は、1999年総理府国際平和協力本部事務局長として、日本としての平和維持・人道支援プログラムの調整にあたった。2001年中旬、国際連合事務総長のコフィー・アナンにより、国連事務次長(人道問題担当)に任命され、その後、在オーストラリア特命全権大使を2003年9月から2004年12月までの間務めた。
2004年11月、国連大使就任。日本の安保理常任理事国入りを目指し、ドイツなどと共に安保理拡大決議案(G4案)を国連総会に提出したが、米国などの不支持で採決に至らず廃案になった。2006年10月の北朝鮮核実験では、安保理制裁決議採択で各国との調整にあたった。
2007年10月、国際協力機構(JICA)副理事長就任。2011年9月、国際協力機構(JICA)顧問に就任。
広島市出身の大島は二歳の時、自宅で原爆に遭い母親を亡くし自身も被爆者である[2]。そのため、チェルノブイリ原発事故の支援活動に熱心である。国連チェルノブイリ調整官として、報告書「チェルノブイリ原発事故が人体に与えた影響:回復への戦略」(原題:The Human Consequences of the Chernobyl Nuclear Accident:A Strategy for Recovery.)をまとめた。
挫折を繰り返す安保理改革を「まだ終わらぬ」と、安保理拡大決議案の採択を目指し新たな枠組みを模索したが2007年6月、国連大使を退任した。しかし人道調整担当の国連事務次長を務めた経歴から、アフリカの紛争地をよく知り、国連の中でも、緒方貞子、明石康並に知名度の高い日本人ともいわれる。PKOのトップ(事務総長特別代表)などに推す声もある。
崎山比早子(医学博士、元放射線医学総合研究所主任研究官)崎山 比早子(さきやま ひさこ)元放射線医学総合研究所主任研究官、医学博士、高木学校所属
1965年千葉大学医学部卒業、74年千葉大学大学院医学研究科修了。医学博士。マサチューセッツ工科大学研究員、放射線医学総合研究所主任研究官を経て、1999年から高木学校のメンバーとなる。高木学校は、プルトニウムの危険性を訴え続けた物理学者の故・高木仁三郎が、市民の立場から問題に取り組む市民科学者を育成するために1998年に創設した団体。 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 委員
櫻井正史(弁護士、元名古屋高等検察庁検事長、元防衛省防衛監察監)櫻井 正史(さくらい まさふみ、1944年(昭和19年)10月 - )は、東京都出身の元検事長。防衛監察本部初代防衛監察監。
1968年(昭和43年)3月:早稲田大学法学部卒業。
1969年(昭和44年):司法修習生
1983年(昭和58年):司法研修所教官
1987年(昭和62年):公安調査庁調査1部参事官
1993年(平成5年)9月:千葉地方検察庁公安部長
1996年(平成8年)4月:東京地方検察庁公安部長
1999年(平成11年)7月:最高検察庁検事
2001年(平成13年)5月:公安調査庁次長
2003年(平成15年)10月:最高検察庁刑事部長
2005年(平成17年)4月:東京地方検察庁検事正
2006年(平成18年)6月:名古屋高等検察庁検事長(2007年7月まで)
2007年(平成19年)9月1日:防衛監察監
2011年(平成23年)8月31日:防衛監察監を退職
田中耕一(化学者、株式会社島津製作所フェロー)田中 耕一(たなか こういち、1959年8月3日 - )は、日本の化学者・エンジニアである。文化功労者、文化勲章、ノーベル化学賞受賞者。株式会社島津製作所フェロー・田中耕一記念質量分析研究所所長、東京大学医科学研究所客員教授、日本学士院会員。
田中三彦(科学ジャーナリスト)田中 三彦(たなか みつひこ、1943年 - )は、翻訳家、科学評論家。元原子炉製造技術者。
経歴
栃木県生まれ。1968年東京工業大学工学部生産機械工学科卒業。同年バブコック日立入社、福島第一原子力発電所4号機などの原子炉圧力容器の設計に関わる。1977年退社。サイエンスライターとして、翻訳・科学評論を執筆。「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」呼びかけ人。
野村修也(中央大学大学院法務研究科教授、弁護士)野村 修也(のむら しゅうや、1962年4月12日 - )は、日本の法学者。専門は商法。学位は法学修士。中央大学法科大学院教授。北海道函館市出身。
森・濱田松本法律事務所弁護士(第二東京弁護士会所属)。金融庁および総務省の法令等遵守調査室長として、民間人でありながら中央省庁の内部から国家公務員のコンプライアンスを監視する役割も担ってきた。
会社法のほか、保険法や運送法を含む商法全般にわたって多数の研究業績がある。金融法やM&Aの実務にも精通している。また、コンプライアンスや内部統制に関する研究でも知られる。
学部および大学院では永井和之の指導を受けた。1998年に中央大学法学部教授に就任してからは、さまざまな公職にも就いている(職歴参照)。代表的な活動としては、金融監督庁(現・金融庁)の参事として金融検査マニュアルの策定にあたったほか、竹中平蔵大臣(当時)の下、金融庁顧問(金融問題タスクフォース・メンバー)として不良債権処理にあたったことが挙げられる。また、法制審議会会社法(現代化関係)部会幹事として2006年に施行した会社法の成立にも尽力した。その他、経済財政諮問会議の専門委員として国の資産債務改革にも努めた。現在は、郵政民営化委員会委員として日本郵政公社の民営化プロセスを監視している。また、新司法試験の開始前から問題の在り方の検討に携わり、第1回目の新司法試験から現在まで考査委員を務めている。
国民年金の不正免除事件で厚生労働省の調査委員を務めたことがきっかけで、5000万件の「宙に浮いた」年金記録問題についての調査委員を歴任。その後、福田康夫内閣総理大臣(当時)の特命を受け、舛添要一厚生労働大臣の下に設置された「年金記録問題特別チーム」の室長に就任した。このチームは、伊藤達也首相補佐官(当時)と連携しつつ、年金記録問題の解決の道筋を検討するとともに、社会保険庁の保管する紙台帳の現況調査や年金記録の遡及訂正案件のデータ調査などを実施し、福田総理(当時)へ報告した。その後、福田改造内閣の発足時に、いったんチームは解散するが、麻生内閣の発足と同時に年金記録の改ざん問題が社会的関心を呼んだのを受けて、2008年10月6日に、舛添要一労働大臣直轄の組織として「標準報酬遡及訂正事案等に関する調査委員会」が組織され、その調査委員長に就任した。同年11月28日に、同調査委員会は、年金記録の改ざん問題について、「現場レベルでの『組織性』」を認定する報告書(野村委員会報告書とか、野村レポートなどと呼ばれる)を公表した。
行政改革にも詳しく、2007年には行政改革推進本部の「官民人材交流センター」の制度設計に参加したほか、2008年には社会保険庁の後継組織である日本年金機構の設立に尽力した。民主党政権の下でも、2011年には、行政刷新会議における独立行政法人改革のWGに参加し、独立行政法人の評価にあたった。また、2012年1月には、大阪市の橋下徹市長より大阪市特別顧問に任命され、市職員の政治活動や労働組合活動の調査を踏まえて職場環境の適正化に向けた提言を行っている。
2011年12月には、憲政史上初めて国会の下に設置された福島原子力発電所事故調査委員会の委員に任命され、同委員会の主査として報告書の取りまとめにあたっている。
その他、経団連や全国銀行協会、各省庁等で、会社法、コンプライアンスに関する講演を行っている。また、テレビのニュース番組においても専門家の立場から解説する機会が多い。かつては、2006年4月から2010年10月27日まで月曜日の朝に放送されている「まーけっとNavi」のレギュラー・コメンテーターとして、最新の法制度等を紹介する「野村修也のテレビ寺子屋」も担当していた(2010年10月27日で終了)。また、日テレNEWS24でデイリープラネット木曜日の「プラネットView 野村修也の木曜政経塾」というコーナーも担当していた。現在は、日本テレビの「真相報道バンキシャ」のご意見番として、月に1度程度レギュラー出演中である。2010年秋には、会計検査庁(会計検査院をモデルとした架空の役所)に採用された詐欺師が役所の無駄遣いを糾弾する、篠原涼子主演のドラマ「黄金の豚」の監修も務めた。
蜂須賀禮子(福島県大熊町商工会会長)
横山禎徳(社会システム・デザイナー、東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム企画・推進責任者)横山 禎徳(よこやま よしのり、1942年9月16日 - )は社会システムデザイナー、日本の経営コンサルタント。広島県出身。オリックス、三井住友フィナンシャルグループ、三井住友銀行社外取締役。東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(EMP)企画・推進責任者。
略歴
東京大学工学部建築学科卒業、ハーバード大学デザイン大学院修了、マサチューセッツ工科大学経営大学院修了。
前川國男建築設計事務所、デイビス・ブロディアンドアソシエーツを経て、1975年(昭和50年)マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、1987年(昭和62年)同社ディレクター、1989年(平成元年)同社東京支社長を歴任し、2002年(平成14年)6月同社退職。その後、経済産業研究所上席研究員、産業再生機構非常勤監査役、一橋大学大学院国際企業戦略研究科客員教授等を歴任し、現職。
参与(2012年2月9日任命)
木村逸郎(京都大学名誉教授、財団法人大阪科学技術センター顧問)木村逸郎 [キムライツロウ] 1935年神戸に生まれる。1958年大阪大学工学部電気工学科卒業。1960年同大学工学研究科修士課程原子核工学専攻修了。1961年京都大学に勤務、原子炉実験所助手、助教授、教授を歴任後、88年より工学部原子核工学科教授、99年3月定年退官、同年4月京都大学名誉教授。現在日本学術会議会員、(株)原子力安全システム研究所技術システム研究所長、工学博士、専門は中性子工学、放射線計測学、原子炉安全工学
児玉龍彦(東京大学アイソトープ総合センター長)児玉 龍彦(こだま たつひこ、1953年(昭和28年)3月22日 - )は、日本の医学者、生物学者。東京大学アイソトープ総合センターセンター長[1]兼[2]東京大学先端科学技術研究センター教授 専門は、内科学、分子生物医学、システム医学領域、血管システム分野。
八田達夫(大阪大学名誉教授、政策研究大学院大学名誉教授八田 達夫(はった たつお、1943年3月23日 - )は、日本の経済学者。福岡県出身。
前政策研究大学院大学学長、経済産業研究所ファカルティフェロー、大阪大学名誉教授。Ph.D.(ジョンズ・ホプキンス大学)(1973年)。
専門は応用ミクロ経済学、都市経済学、法と経済学など多岐にわたる。
本日のお買い物

大阪読売の黒田清本と一般理論。一般理論はネットで読んだが、著者の訳業に敬意を表して。
真ん中のはシャーマン戦車のアンテナの基部です。


実物はこんなの倒れてもバネ仕掛けで元に戻ります



一般理論の新訳が出ていました。山形浩生訳。これはネット上にあります。
ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』山形浩生訳(全訳)
間宮訳は長年待望していただけに、がっかりだった。岩波から出て入手しやすくなっただけという印象だ

要約本も出ている。これもネット上に存在する。
ケインズ『雇用と利子とお金の一般理論』要約

原典を読みたいという猛者はこちら。
The General Theory of Employment, Interest and Money John Maynard Keynes (1936)
山形訳のクルーグマン序文
ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』解説
経済についていっぱしの口をきくなら、この要約だけでも良いから読んでおくように。
大人の男の基礎教養だ。

今の経済学徒はこのような優れた経済学書で学べることに感謝しなさい。
クルーグマン ミクロ経済学/東洋経済新報社

¥5,040
Amazon.co.jp
クルーグマンマクロ経済学/東洋経済新報社

¥5,040
Amazon.co.jp
Thelonious Monk - Solitude - Berliner Jazztage 1
aparxa さんが 2009/02/05 にアップロード
Thelonious Monk
Philharmonie, Berliner Jazztage, Berlin/Germany,
7th November 1969
Thelonious Monk, p
20120705 たね蒔きジャーナル「原発危険度ランキング」
tacc77 さんが 2012/07/05 に公開
きょうは、大飯原発3号機で発電が再開され、
国会の福島原発事故調査委員会が
最終報告書を提出するなど、
原発関連で大きな動きがありました。
今夜のゲストは、
超党派の国会議員でつくる「原発ゼロの会」の
阿部知子衆議院議員(社民党)です。
「原発ゼロの会」では、先週、
原発危険度ランキングを発表しました。
http://genpatsuzero.sblo.jp/
福井県の多くの原発が
上位に入っているのが気になります。
阿部さんには、国会事故調の報告書や、
「脱原発」を掲げる小沢新党との関係についても、
話を聞きます。
ノーカット(wma)
http://goo.gl/yRJPL
ぼくのカメラ戦略。
天気が悪くかったり、忙しかったりで、最近、趣味系には手がつかない状態になっているのですが、今月は週末にいろんな予定が入っていて、なかなか時間がもてません。
取り敢えずカメラ系の話題では、ちょこちょこRX100は使ってみていますが、とんでもないよなぁ・・・と言う感想が強くなっていく一方です。近いうちに撮り比べてみますが、これはお世辞抜きで、・・・どうなるんだよと思ってしまうくらい一眼に迫る絵が撮れます。縮小画像ではコンデジで撮ったと識別できる人はまずいないでしょう。
以前にちょっと口を滑らせたことを敷衍しておきます。
問題は、コンデジでここまで出来ると言うことになってくると、今のカメラの棲み分けが一挙に変わってくると言うことになります。
今までのコンデジは多分なくなります。これは携帯に代替されます。これは時間の問題でしょう。
今回のRX100の様な上のランクの実力のあるものは残るでしょう。このランクのカメラは、各社とも準備は出来ているようです。
その上のミラーレスは、もはや、完全にカメラだけをとるとAPS-C一眼カメラに追いついています。レンズもフォーサーズにかんしてはここ数年のうちに主要なレンズは良いものが揃うでしょう。そして、新しいオートフォーカスの測距技術で上位マウントのオートフォーカスレンズも不自由なく使えるようになると思います。
APS-Cも、今後、もうワンランクステップアップするでしょうけど、そんなにミラーレスと差はつけられないと思います。このセグメントの圧倒的な優位性は、今まで標準を確保していたので大量のレンズ資産があると言うことです。フルサイズのレンズもAPS-Cで使用した方が全画面的な画質は高いです。但し、これは標準的な使用をしたらと言うことで、アダプターを使用し、マニュアルフォーカス、マニュアル絞りと言うことを厭わないのであればミラーレスの方がメーカー、マウントの垣根を越え沢山のレンズレンズ資産を利用できます。
フルサイズの最高級一眼のランクですけれど、完全にプロ仕様のものは安定していますし、D800という高画質、低価格のエポックメイキングな製品が出てきたので、次の戦場は低価格フルサイズへ移行するでしょう。このセグメントの弱点は、レンズが古いか高いと言うことです。でも、今までは少し後回しになっていたフルサイズ用の安価なレンズも出さなければならないという状況になってきていますし、次々と発売されています。ミラーレスで使用するには絞り環が省略されているのが悔しいですけどね。こうしてフルサイズも、価格的にAPS-Cと被ってきます。
こう考えると、今まで高級カメラとして不動のポジションを得ていたAPS-C一眼のポジションが上下から食われるという状況に追い込まれてきます。
よって、近い将来は、所謂コンシューマー用としては、高級コンデジとミラーレスが主流となり、どうしてもボケ味など特殊な味を求める芸術志向の人たちはフルサイズを選ぶと言う構図になるのではないかと思います。となるとAPS-Cのポジションは大変微妙です。レンズもフォーサーズと比較するとちょっと残念という感じがします。
ここ数年くらいの間はAPS-Cも安泰でしょうから、カメラを買い換えるなども好きなものを選ぶと言うことで良いでしょうけど、レンズ資産だけはカメラよりもうんと長く使うものですからある程度長期的な見通しを持っておく方が良いと思います。
ぼく個人は、撮る対象や画質の点から、マイクロフォーサーズのミラーレスをメインにします。 APS-C一眼は、今のもので多分、最後だと思います。次のD7100が2400万画素でも見送ると思います。α77の後継は微妙です。
フルサイズはα88とかα99がEVFなら買うと思います。ぼくは、老眼が厳しくてOVFでは、全くピントが合わないのです。もし、EVFフルサイズを買ったらαやニコンのAPS-C専用資産は取り敢えず全部処分してフルサイズ用のものだけを残すでしょう。そして、フルサイズは明るい単焦点だけを使うんだと思います。ミラーレスでは、動きの速い被写体が撮れない、テンポ良く撮影できないというのが主な理由です。フルサイズの方が暗所に強いというのがその次の理由です。
現時点では、カメラの棲み分けが大変動する中そのような考えを持っています。
取り敢えずカメラ系の話題では、ちょこちょこRX100は使ってみていますが、とんでもないよなぁ・・・と言う感想が強くなっていく一方です。近いうちに撮り比べてみますが、これはお世辞抜きで、・・・どうなるんだよと思ってしまうくらい一眼に迫る絵が撮れます。縮小画像ではコンデジで撮ったと識別できる人はまずいないでしょう。
以前にちょっと口を滑らせたことを敷衍しておきます。
問題は、コンデジでここまで出来ると言うことになってくると、今のカメラの棲み分けが一挙に変わってくると言うことになります。
今までのコンデジは多分なくなります。これは携帯に代替されます。これは時間の問題でしょう。
今回のRX100の様な上のランクの実力のあるものは残るでしょう。このランクのカメラは、各社とも準備は出来ているようです。
その上のミラーレスは、もはや、完全にカメラだけをとるとAPS-C一眼カメラに追いついています。レンズもフォーサーズにかんしてはここ数年のうちに主要なレンズは良いものが揃うでしょう。そして、新しいオートフォーカスの測距技術で上位マウントのオートフォーカスレンズも不自由なく使えるようになると思います。
APS-Cも、今後、もうワンランクステップアップするでしょうけど、そんなにミラーレスと差はつけられないと思います。このセグメントの圧倒的な優位性は、今まで標準を確保していたので大量のレンズ資産があると言うことです。フルサイズのレンズもAPS-Cで使用した方が全画面的な画質は高いです。但し、これは標準的な使用をしたらと言うことで、アダプターを使用し、マニュアルフォーカス、マニュアル絞りと言うことを厭わないのであればミラーレスの方がメーカー、マウントの垣根を越え沢山のレンズレンズ資産を利用できます。
フルサイズの最高級一眼のランクですけれど、完全にプロ仕様のものは安定していますし、D800という高画質、低価格のエポックメイキングな製品が出てきたので、次の戦場は低価格フルサイズへ移行するでしょう。このセグメントの弱点は、レンズが古いか高いと言うことです。でも、今までは少し後回しになっていたフルサイズ用の安価なレンズも出さなければならないという状況になってきていますし、次々と発売されています。ミラーレスで使用するには絞り環が省略されているのが悔しいですけどね。こうしてフルサイズも、価格的にAPS-Cと被ってきます。
こう考えると、今まで高級カメラとして不動のポジションを得ていたAPS-C一眼のポジションが上下から食われるという状況に追い込まれてきます。
よって、近い将来は、所謂コンシューマー用としては、高級コンデジとミラーレスが主流となり、どうしてもボケ味など特殊な味を求める芸術志向の人たちはフルサイズを選ぶと言う構図になるのではないかと思います。となるとAPS-Cのポジションは大変微妙です。レンズもフォーサーズと比較するとちょっと残念という感じがします。
ここ数年くらいの間はAPS-Cも安泰でしょうから、カメラを買い換えるなども好きなものを選ぶと言うことで良いでしょうけど、レンズ資産だけはカメラよりもうんと長く使うものですからある程度長期的な見通しを持っておく方が良いと思います。
ぼく個人は、撮る対象や画質の点から、マイクロフォーサーズのミラーレスをメインにします。 APS-C一眼は、今のもので多分、最後だと思います。次のD7100が2400万画素でも見送ると思います。α77の後継は微妙です。
フルサイズはα88とかα99がEVFなら買うと思います。ぼくは、老眼が厳しくてOVFでは、全くピントが合わないのです。もし、EVFフルサイズを買ったらαやニコンのAPS-C専用資産は取り敢えず全部処分してフルサイズ用のものだけを残すでしょう。そして、フルサイズは明るい単焦点だけを使うんだと思います。ミラーレスでは、動きの速い被写体が撮れない、テンポ良く撮影できないというのが主な理由です。フルサイズの方が暗所に強いというのがその次の理由です。
現時点では、カメラの棲み分けが大変動する中そのような考えを持っています。
Thelonious Monk - Caravan - Berliner Jazztage 19
aparxa さんが 2009/02/05 にアップロード
Thelonious Monk
Philharmonie, Berliner Jazztage, Berlin/Germany,
7th November 1969
Thelonious Monk, p
2012/07/05 国会事故調 第20回委員会(報告書の決議)
概略動画をみただけだけど、事故調査委員各位の努力に感謝したいと思う。
録画日時 : 2012/07/05 10:58 JST
国会事故調 第20回委員会(報告書の決議)
Video streaming by Ustream
Video streaming by Ustream
jikocho 7/5 7pm- 国会事故調 記者会見(原発事故調査報告書)
2012年07月05日(木)
[NEW] 国会事故調 報告書が公表されました。ダウンロードはこちらから。
国会事故調の報告書が衆議院・参議院議長に提出されました。
報告書ダウンロードはこちらから
ダイジェスト版 (pdf 0.8MB)
要約版 (pdf 1.6MB)
本編 (12MB)
参考資料 (5.8MB)
会議録 (38MB)
Executive summary (English Version) (pdf 10MB)
報告書は、こちらのスライドシェアからもご覧いただけます。
録画日時 : 2012/07/05 10:58 JST
国会事故調 第20回委員会(報告書の決議)
Video streaming by Ustream
Video streaming by Ustream
jikocho 7/5 7pm- 国会事故調 記者会見(原発事故調査報告書)
2012年07月05日(木)
[NEW] 国会事故調 報告書が公表されました。ダウンロードはこちらから。
国会事故調の報告書が衆議院・参議院議長に提出されました。
報告書ダウンロードはこちらから
ダイジェスト版 (pdf 0.8MB)
要約版 (pdf 1.6MB)
本編 (12MB)
参考資料 (5.8MB)
会議録 (38MB)
Executive summary (English Version) (pdf 10MB)
報告書は、こちらのスライドシェアからもご覧いただけます。


