**麗しきお転婆にゃー


 ワコは夜は私の布団に潜り込んで、ゴロゴロと寝息をたてて眠った。朝食はいつも同じメニュー、みそ 


汁かけご飯にいりこのトッピング。母いわく「あまりたくさん食べさせると、ネズミ捕らなくなるから、少な 


めネ」、あくまで実務合理主義である。



 体育が苦手で、どん臭い私はワコのすばしっこさに感心した。二階への急階段を上がるとき、何処から 


か姿を現して横をすり抜け、振り向いて私を見るときのしたり顔(今はどや顔っていうかな)。低空飛行の


すずめをジャンプ一発で捕える素晴らしいテクニック。飛んでるハエを仕留める動体視力。私の自慢が一


つ増えた。



 ミー太郎を見ているので、猫という動物は、いつも日向ぼっこをしていると思っていた。ワコは貧乏性な


のか、じっとしているのをあまり見たことがない。人に抱かれるのも好きではないらしかった。



 トカゲ、子ヘビ、カエル、ネズミ、スズメ、モグラ、その他の小動物を、毎朝、枕元へ届けてくれた。息の


根を止めた獲物を横に置き、きちんとお座りをして、私の目覚めを待っている姿に、泣き笑いからの朝が


スタートする。


 ワコとの生活は楽しかった。



 次の年の秋も深まった頃、母が「ワコは、お腹が大きいね」と言う。


 少々ショックだった。この家にきたときと変わりなく小柄で、ずっと子猫のままで友だちと思っていたの


に・・・・・もうおかあさんになろうとしているなんて。



 母が出産用にと、ワコ用の布団を作ってくれた。それを敷いた箱に入って私の膝の上で、珍しくおとな


しくしていた。私はテレビを観ていた。テレビの音に紛れて、ミャーミャーと子猫の鳴き声が、微かに聞こ


えてくる。


 

 気がつくと、ワコはもう2匹目を、体半分まで産み出そうとしていた。産みながら、すでにこの世の空気


を呼吸している第一子を、優しく舐めてあげている。初めての経験なのに、あっぱれな母性である。



 自分の膝に抱いていながら出産が始まったのを気がつかなかった私も鈍感だが、静かに静かに新し


い命を誕生させたワコを見ていると、何故か涙が頬を伝う。神々しい儀式に立ち会っているようだった。



 お転婆ワコは、3匹の子の母になった。上から順に、まっ黒ちゃん、雉ちゃん、三毛ちゃん。



 名ネズミハンターのワコの子は人気で、すぐに貰い手がついた。



 当のワコを、母の妹の市子叔母さんが欲しがった。


 ある日、私のいないときに、母が、袋に入れてワコを連れて行ってしまった。


 市子叔母さんの家は2つ隣の町だ。



 私は泣いて抗議した。


 谷家に移ってきてからひとりっこになっていた私は、ワコを妹のように思っていた。


 母は、たかが猫ごときと、相手にならない。



 その夜中、眠りの中で、ワコの声をきいた。ザラザラの舌で私の頬を舐める。体が濡れている。


 夢か?


 ハッと目が覚めた。


 いる!そこにいる!


 ワコが体を震わせて鳴いている。


 私は飛び起きて、ワコを抱く。タオルで体を拭いてやる。


 隣で、母も目を覚まし「まあ、この子は・・」と言ったきり、目を潤ませている。



 車で30分もの距離を、


 ひたすらこの家目指して


 小さな体で


 夜露に濡れながら


 初めての道を迷ったに違いない


 私の処に帰って来てくれた


 私の頬の涙を舐めに・・・ワコ


 




 

 多感な頃のあきさんの寝食を見守ってきた、あのどっしりした構えの家が、何故いま、廃屋となってい


るのでしょうか。「三国志」を、もう返せなくなったとは、どういう意味なのでしょうか。


 あきさんは、私にいくつかの疑問を残して、同窓会の会場へと向かいました。


 その後、会う毎に聞いた、あきさんの追憶をたどって、泣いたり笑ったりしたものです。今回からは、あ


きさんの生きた軌跡を、あきさん目線、あきさん口調でエピソード毎に紹介したいと思います。



  **麗しきお転婆にゃー


 小柄で美人の三毛猫は、寒い初冬の晴れた日に、母に連れられてやってきた。私を見るとためらいな


く肩に飛び乗ってきて、両前足を鎖骨にしっかり置き、軽く爪を立てて自分の体を支えた。丸い目で雪姉


ちゃん達の飼い猫のミー太郎の動きを追っていた。


 

 ミー太郎は黄土色の縞模様で、漫画の「マイケル君」そっくりのおデブトラ猫だ。動きが緩慢で日向ぼ


っこばかりしている老猫。



 彼女は先輩猫が敵意もなさそうなのを見極めると、地面に降りて私の足に体を擦り付け、スラロームを  


数回繰り返した。白、黒、茶コントラスト鮮やかな、きれいな猫だった。生まれたばかりというわけでな


く、名前もついていた。ワコ。


 トイレの行儀もよく私はいっぺんで好きになった。


あきさん: 確かね、小学校の高学年になってたと思うけど私の描いたデザイン画が


       何かのコンクールに入賞して、市長が表彰するってんで、市役所に出向 


       いたときだったと思う。浦野先生は私の作品の強力な推薦者だったので


       付き添いで同行した。私は一言感想を述べる役だった。ところが、直前


       にしゃっくりがついて困ってたら、先生がさっきの方法を伝授してくれたと


       いうわけ。担任してた2年生当時よりうんと優しくて別人みたいだった。


       私は同じ年に、読書感想文コンクールにも入賞して、市が発行する本に


       なったんだよ。これ、ちょっと自慢。


私 :    自慢も隠し事も全部その人の、人と為りなんだよね。


あきさん:  身に降りかかることやものは、為るべくして、こうなったんだろうね。


        努力の結果と、怠惰の結果


私 :     フムフム


あきさん: そろそろここ出ようか。


私 :    まだ、あきさんの話聞きたい。もっと面白いことありそうだし・・・


あきさん:  うん、ありそうだよ


私 :    じゃまたの機会に聞かせてもらうとして・・・ で、この本「三国志」どうす  


       る?


あきさん:  従姉に返したいけど、出来なくなったから、ここに置いておく。このまま


        にしておきたい・・



私 :    よかった、ヒック、やだしゃっくり出てきた、ヒック


あきさん: 私、しゃっくり一発で止められるよ。


私 :    えー、ほんと?ヒック


あきさん: コツを掴めば、100%の確率で止まる。


私 :   実績は?


あきさん: 自分だけ


私 :    なーんだ、ヒック


あきさん: 教え方が下手なのかな?私の言うとおりに誰も出来ないもんだから


私 :    じゃ、私に教えてみて、ヒック


あきさん: 道具も何もいらないからね。


       一回しゃっくりが出たら、次のしゃっくりを待つ、集中してよ、次のしゃっく   


       りが来たら、そのしゃっくりをそのまま吸い続ける。この時にコツがある。


       ヒックと出るしゃっくりを1回としたら、0.5回のところ、ックの小さいッのと


       ころから吸い続ける。そして限界ぎりぎりまで息を止める。限界が来たら


       息を吐いていいよ。次はもう来ないから。


私 :    ・・・・・ほんとだ、治った!


あきさん:  ほう、呑みこみ早!センスいいねえ


        今まで何人かに教えたけど、一人も体得できなかったのに・・


私 :     へえ、いい方法教えてもらった、


あきさん:  私はいつもこの方法で、しゃっくりは1.5回しか出さない


私 :     誰に教わったの?


あきさん:  なんと、 小2のときのあの冷たい先生、浦野先生っていうんだけどね


私 :     それはまた、どういうシチュエーションで?



              

あきさん: 夢よ


私 :   ゆめ?


あきさん: 私のおねしょは、夢に牛耳られていた。自分では分かってた。トイレに


       駆け込んで用足しして、尿意の我慢から解放されてスッキリしたところで 


       目が覚めたり、或いは、放尿の途中の快感のさ中に目が覚めたりね・・・


私 :    なんかわかる気がする


あきさん: 自分の夢に言い聞かせる。夢の中では絶対におしっこは禁止と、寝床に   

       

       入る前に厳命する。トイレに行きたくなったら布団を思い浮かべよう、トイ


       レに行きたくなったら、布団の上に正座をするようストーリーを導こう、 


        トイレ→布団→夢・・夢だから、これは夢の世界だから出しちゃダメと認 


       識するよう、暗示をかける・・


私 :    そんなこと出来るの?


あきさん: なかなかうまくいかなかった。でも、四六時中おねしょを治す事ばっかり 


       考えてたら、不思議なことに、尿意をもよおす度に布団を連想するまで


       になった。


私 :    おねしょが、夢に牛耳られるなら、夢を自分が支配しようってか


あきさん: まあね


私 :    そんなことうまくいくなら、誰も苦労はしないけどね


あきさん: だから、うまくいくまで苦労したんだってば、半年かかったんだから


私 :    ちょうど治る時機だったんじゃないの


あきさん: 自分の努力で治したと思ってる!・・・その間睡眠不足だった、夢と闘っ


       てたから


私 :    ハハハ、まあね、睡眠不足は脱毛症の一因でもあるらしいし・・


あきさん: そうなの?


       だからそのあと、私禿げたのかな・・?


私 :    で、禿はいつ治った?


あきさん: いつのまにか。気がついたら、短い毛が束子のように生えてた・・・・


私 :    よかったね





私 :    で、名字は?変わったことちゃんとクラスのみんなに伝わったの?


あきさん: うん。3年生になって担任の先生が代わってクラスのみんなにさらっと知


       らせてくれた。その当時は両親が離婚するなんてあまりなかったから 


       珍しくて興味津津で、理由を聞きたがる子もいたけど、それほど深刻に


        私の精神に影を落とすこともなかった。


私 :    あきさん、案外強いから


あきさん: それがね・・・恥ずかしいことに


私 :    ・・・


あきさん:  夜尿症


私 :    はあ?


あきさん:  おねしょ。するようになった・・・面目ない。


        小学3年生だからね、みっともなくて、布団を堂々と南向きに干せなか     

  

        った。西側の窓から出して、屋根の上に広げて、西日で乾かしてた。


私 :     へえ、 あきさんがおねしょねえ


あきさん:   ほんとに早く治したかった。おしっこ臭い布団で寝起きしてると、みん 


        なに尿臭を気づかれやしないかと、そればっかり気になって仕方なか 


        った。だから友達が近寄ってくると、自分から距離を取るようになって 


        いた。


私 :     それで、治ったの?


あきさん:   うん。治ることは治った。おねしょはね。半年くらいかな・・


私 :     おねしょはって・・・まだ他にも何か?


あきさん:   おねしょが治ったら今度は、頭頂部に禿を見つけた。10円玉5枚分 


         並べたくらいの島状の


私 :      禿!それはびっくりしたでしょ。


あきさん:   びっくりしたけど、おねしょ程いやじゃなかった。周囲の髪をかぶせれ


         ばなんとか誤魔化せたし、


私 :      お母さんには言ったの?


あきさん:    言わない。言っても困らせるだけだと思ったから。禿に効く薬なんて


         ないと思ったし、別に頭禿げても痛くもないし、人に迷惑もかからない


         しって、すぐに諦めた。その頃はおねしょが治ったことの方が、嬉しく   

 

         て。


私 :      どうやって治したの?


あきさん:   どっちを?


私 :     じゃ、おねしょの方から・・






あきさん: 急用で早退した担任の先生に代わって教頭先生が道徳の授業を


       された事があった。いろんな例を挙げた後で、つまり、親というもの


       は、子供から何かの見返りを期待して育てているのではない。純


       粋に子を愛するがゆえに一生懸命育てている。どの親も例外なく。


       それこそが無償の愛である。といった内容だったと思う。


私 :    それがどうしたの?


あきさん:  テストでいい点とった時。テレながら答案用紙を見せようとする私


        に「そりゃあきは頭がいいから自慢したいだろうけどね、そんなも


        の見せられてもどうってことない。テストの点でお腹はいっぱい


        にはならんもんね」と横向いて怒ってるような表情の事が多かっ


        た。


私 :    褒められたことないの?


あきさん: ある。ご機嫌さんのとき。かばってくれたこともある。


私:     どんな時?

    

あきさん:  私が、従姉の文房具を盗んだという嫌疑をかけられたとき、「そん


        なことあきはしない。人のものを盗むなんて。これは何かの間違


        いだ」って。誰もいないところで私にだけ「これは私とあきをこの


        家から追い出したくて、仕組まれたんだと思う」とまで言った。文


        房具は私の机の引き出しから発見された。


私 :    濡れ衣着せられたってわけか


あきさん:  ちがう・・・私がやった・・・


私 :    え?


あきさん:  従姉の雪姉ちゃんの、万年筆とボールペンが欲しくてたまらなく


        て、自分の机の引き出しに隠してた。


私 :     そのこと、お母さんに言えなかったんだ


あきさん:  とても・・・・・母の逆上ぶりを想像するだけで身の毛がよだつも


        の。


私 :     あーあ


あきさん:  どんなに後悔しても後悔してもどうしようもないよね。ばかなあき・・


        母はうそつきの私を信じて、本当のことを言ってる雪姉ちゃん達を


        憎んだから・・私は自分のしでかしたことの重大さを思い知った。


        本当のことを言わないで押し黙ったままの、われの情けなさ、愚


        かさ、ずるさ・・・あの母が、私を信じてくれたのに、なんという裏


        切り者だ、消えたかった。


        自分に対する憤りと母への申し訳なさでボロボロ泣いている私


        に「泣かなくていいよ、お母さんにはもうあきしかいない。年取っ

   

        て体の自由がきかなくなったら、あきに面倒見てもらうしかない

        お母さんはそのつもりで、あきを一生懸命育てているんだから」


        と。 このセリフは、以後何度も繰り返され、


        私を悩ませた。


        :教頭先生、あの授業はあきには試練でした:




私 :   それはお母さん、大変な苦労をしたでしょうね。


あきさん: そう、だから、学校の先生と話すのは苦手だったと


       思う。学校や役所って何かというと書類に記入させ


       るでしょ。


私 :    いや、学校や役所に限らず、必要とあらば書類作


       成はしなくちゃね。そういうのどうしてたの?


あきさん: お父さんがいるときは、お父さんが。谷の家に来て


       からは、伯父さんや雪姉ちゃんに頼んだり、字が


       下手だからとか言って。私が高学年になると、学校


       の書類は、自分で書いた。小学生そのものの字で・


       先生おかしかったでしょうね。フフ・・・


私 :    でも、自分のための書類を自分で記入しなければ


        行けない時もあったでしょ


あきさん: まあ何とか小芝居して、その場の人に頼み込んで


       書いてもらったりね。目の悪い人になったりして・・


       結構役者ののとこあるから。それに、あの美貌だし


私 :    お母さんには、生きていくための必要不可欠の知


       恵だった・・


あきさん: そういうことの積み重ねは、母の心を大きく歪ませて


       いく元となったかも。人からバカと思われてるとか、


       自分は本当に頭が悪いと思い込んで自信をなくして


       しまったり・・・ でも一寸のプライドは残ってるもん


       で、そのジレンマで、ときどき、意地悪になった。



                  雪姉ちゃん→谷雪子(あきさんの従姉)

                           ③で登場       


私 :    奇妙な文章って?


あきさん: 大人の書いた文章というか文字には思えなかっ


       た。ひらがなを覚えたての幼児が書くような、鏡文


       字が混じってたし、日付の21日も201日って書いて

       

       あった。


私 :    お母さん、知的発達障害?


あきさん:  それは絶対ない。人一倍、記憶力いいし、頭い


        い、感も鋭くて、ちょっと辻褄合わないこともす


        ぐ見抜くし


私:     ・・・・


あきさん: 母はディスレキシアだと思う。


私 :    ディスレキシア?


あきさん: 最近テレビ見てて、そう思った。確か、トム・クルー


       ズとかアインシュタインとかもそうだって。学習障害


       の一つで、特に読み書きの習得だけが困難なこと


       をこう呼ぶって。学校に行けなくて読み書きができ


       ないのだったら当たり前だけど、普通に教育を受


       けてて、まともに文字が読み書きできないとなると


       これは相当な劣等感となって、心に巣食うよね。


        しゃべり方もちょっと変わってる。うどんはうぞん


        りつ子さんはじつ子さんとなる。あまり、なめらか


       には話せない。発する言葉が変わってるので、コ


        ミュ二ケーションもうまくいかないことが多い。


      


あきさん: 大人になった今は、気性の激しさ故の言動だと理解


      できるけど子供の頃の私に、母は奇異に映った。自

      

      分の感情を抑えることができず、猟奇的にさえ思えた


私:    あきさんのお母さんって、背が高くてきれいで、上品


      で優しそうな人だった印象があるけど・・・


あきさん: うん。そのビジュアルは私の自慢だった。授業参観


       にたまに来てくれた時、級友たちから「あきさんの


       お母さん、きれいね」と言われるのが、とっても嬉し


       かった。でも「あきさんと似てないね」と一言ついて


       いた。それでも、美人の母は私には誇らしかった。


       「お母さんのこと、みんながきれいねって」と報告す


       ると母は、笑顔を返してくれた。こんな瞬間が幸せ


       だった。


私:     母親が美人だと、そういう楽しさがあるよね。私な


       んか不細工ぶりの、投げ合いで・・・嘆かわしい限


       りデス。


あきさん: そういう普通の会話ができる幸せに気がついてな


       いね。


私:     あ、そうなんだ。


あきさん: 小学校の何年生のときだったかは忘れたけど、学


       校から帰って来ると、母からの短い手紙が卓袱台


       の上に置いてあって、内容は、自分は帰りが遅くな

     

       るけど心配しないで待っているようにという、簡単な


       ものだった。これが、何とも奇妙な文章だった。