洋画家 植村隆久の妻です💌

昨日聖林寺にお参り

三輪大社にも


夫 植村隆久が

日展の絵が完成して

人物画から

仏像画に転向


聖林寺の11面観音立像様を描きました。


人物画はまた描くでしょうが


人物画から仏像に転向

人物画より仏像画が難しいです。


ホルベインの会長さんが

東光会展覧会の時に

これは珍しいと仰ったそうです。


コロナ禍で

東京国立博物館に

令和2年に

展示予定の観音様

コロナ禍に入り

展示は令和3年に変更となりました。

令和2年は展覧会中止


展示理由は

耐震化設備の為に

観音堂の耐震化設備の為


でもコロナ禍に入り

令和2年はそれも出来なくなりました。

法隆寺の百済観音様も上京致しましたが

誰の目にも触れずに

奈良県に帰ってきました。

展覧会中止


展示のガラスの交換の為に上京しておりましたが

展示で人々に拝見される事もなく

奈良県に帰って来ました。


ガラスは

99%

透明が透き通ったガラスになりました。


法隆寺にひっそり帰った時には

法隆寺はコロナ禍で殆ど人がいませんでした。


お土産屋も

誰も入らず

駐車場🅿️をお借りすると

店主が

なんか買って行ってやと言うほど

悲壮感がありました。

駐車場もがら空き状態


そんな令和2年から

令和3年にかけて

法隆寺 百済観音様も

貸し切り状態で私達は拝見しました。


法隆寺も

人も来なくてひっそりとしてました。


令和3年5月には

緊急事態制限🚫で暫く

法隆寺もお寺を確か閉めました。

奈良県のお寺の多くがその状態


それから

薬師寺、東大寺、新薬師寺、唐招提寺、白毫寺

福智院

などなど

夫と奈良県のお寺参りをしました。


外国人はいない

日本人もまばら

ひっそりとした

奈良県のお寺

令和2年の

東大寺二月堂のお水取りは

人が殆どいませんでした。

今までにない奈良県のお寺を見てきました。


1300年前は

奈良県は

天然痘が大流行しました。

それを鎮める為にお寺が建てられたと聞いてます。

東大寺盧舎那大仏様がそうです。


そのお寺がコロナ禍で

人が来ない状態に

その中でも

お寺で働く人々は

それに関して焦らず

来て頂く

私達の為に

尽くして頂きました。


とてもまったりとしていて

お話もして頂けました。

そして令和3年3月

聖林寺にお参り致しました。

上京が

一年遅れでしたが

決まってました。

聖林寺の11面観音立像様を拝見して

主人は

少し似ている自分と

観音様の境遇に

心を動かされて

描きたくなりました。

2時間が限度です。

描ける時間です。


写真撮影は禁止ですが

デッサンはオッケーでしたので

描きました。

お寺の住職様に

感謝の気持ちです。


これはやはり

東京芸大の岡倉天心先生及び

フエノロサのお陰です。

そう思います。

廃仏毀釈から観音様を守る為に

この2人の存在は大きいです。


夫は

必死でデッサンに通いました。

上京するまでの2ヶ月


そしてデッサンから

キャンパスに

転写して

油絵を描いていく。

その作業は非常に難しいです。

自分のデッサンだけが頼り

写真がないのですから



それだけではありません。

般若心経も覚えました。

デッサンの前には観音様の前で

般若心経を唱えます。


はじめは分からなかった

仏教

仏像様についての勉強

本は増えていき

本当に勉強しました。


平成の終わり

目が悪くなって

落ち込んでいた時から

このコロナ禍は

次の作品の為に

必死で勉強しました。

東光会も2年間展覧会中止という異例の事態に


そんな中

目の療養も兼ねて

次の作品の為に

5枚以上

観音様を油絵に起こしました。

それは

世の中が展覧会中止で止まっている間に

着実に夫は準備してきました。


観音様との語らい

それが夫を勇気つけました。

令和3年夏にかけて

東京国立博物館で観音様は

全予約で人々の目に触れました。

秋には

奈良国立博物館に帰って来ての展示


そこに行きました。

自分のデッサンを確かめるようにして

観音様にお会いしました。

奈良国立博物館から

聖林寺に帰って来た時に

偶々

聖林寺にお参りに行きました。

そのお帰りのトラックを見た時には

感動のなにものでもありません。


感無量


そして今年は東光会展覧会で観音様を出品


そして今日展へ

入選するかどうか分かりませんが

目の為に

6年休んでいた夫は

観音様のお陰で

復帰出来ました。


そして

三輪山

信仰の山の麓から

明治の

廃仏毀釈によって

聖林寺に運ばれた観音様

フエノロサと岡倉天心によって

観音様は

その巻かれた布を取りました。

そして今に至りますが

コロナ禍においても

大変な観音様でした。


その苦難の日々であった観音様と出会えて

また描く喜びを感じた夫


コロナ禍を

安定した気持ちで過ごせたのも観音様との出会い


そして

奈良県に住んでいる意味


奈良は素晴らしいとコロナ禍

思いました。

奈良県を描く意味を深く心に刻みました。

そんな3年でした。

世界を襲ったコロナ

本当に人々の運命も変えた3年でした。


そして今もコロナ

収束してませんが

徐々に

ウイルスは収束に向けていると思います。

人間はウイルス🦠との戦いであったと理解しました。

そしてそのウイルスの戦いの祈りが

お寺の祈りだと

私 個人的には感じました。






聖林寺から三輪山望む


聖林寺から三輪山を望む


聖林寺 昔の観音堂にて

これは

西陣織

フエノロサが

聖林寺に寄進した

昔の観音堂


明日香風景


飛鳥寺から見る

明日香風景


明日香地方の稲🌾実りの秋

飛鳥寺前にて


明日香風景


野澤寛先生の大好きな二上山







野澤寛先生の絵が

みむろもなか本店に