暑いよー😭
湿度も嫌だけどもう真夏だよー。
心の底から夏が大嫌い!
夏に逆襲されそうで怖いので
洗濯物よく乾くとかいいところもあるで
と言っておこうか。
各方面で前厄絶賛活躍中(?)で
日々モヤり続け、心身疲労困憊なので
映画見る!ということに。
「国宝」主演 吉沢亮
3時間…うーん不安だなと思いつつ
原作がかなり面白かったのと、評判の高さがすごくてやっぱり見なきゃな!と。
原作を読んだのが何年前かな?2、3年前かな?
喜久雄は吉沢亮か横浜流星かなぁと思いながら読んでいたので、その2人が喜久雄と俊介とは私的にはこれ以上ないキャスト!
容姿の美しさと演技力を兼ね備えた同年代の2人。
背格好も同じくらいで(あまり大きくない)
カストルとポルックスのような対の妙がとても効果的だった。
その他のキャストもその顔ぶれだけで間違いない作品と思わせるもの。
渾身の作品だった。
原作を読んでから見るか、見てから読むか…一昔前のキャッチコピーにもあったが、この映画は特にそれを思った。
とにかく壮大な物語で、登場人物たちの厚みも厚く、50年くらいの歳月を描いたもの。
それをいかに3時間におさめるのか。
とても見事におさめていたが、
読んでから見た私にはどうしてもダイジェスト感がぬぐえなかった。
ものすごいスピードで出来事が進むので全く間延びなく展開するのだが、途中からそれが早すぎる…と感じることもあった。
だが、読んでいるとその描かれてないところを組み込むこともできて、何気ない場面に心が動いたりもするのだ。
読まずに見たらどんな風に感じたのだろうとどちらも味わえないのが残念。
重要な出来事や人物を思いきってバッサリいっている。本当に思いきって。
なおかつフラッシュバックのようにエピソードをさしこんでくる。それでも3時間。
監督はなぜこのように作ったかというのを想像するに、とにもかくにも吉沢亮の歌舞伎を演じる美しさを短くできなかったことではないかと。
それほどに歌舞伎場面は多く長く美しかった。
映画の台詞ではなく、歌舞伎の劇中劇の台詞で主人公たちの心情をあらわしていくことも多く
何重にも重なった想いを観客に伝えようとしていたように思う。
歌舞伎役者ではない吉沢亮の歌舞伎の場面の見事さで説得する、伝えることに賭けたのではないか。
きっとその賭けは成功している。
もちろん横浜流星の歌舞伎場面も素晴らしい。
この2人が1年半かけて稽古をしてきた得た芸こそがこの映画の全てといえる。
横浜流星
御曹司独特の憎めない奔放さ。
おおらかさ。
血が物を言う瞬間。
俊介がいい子(あぁ表現が軽いがこれしかピタッと来ない)だったから喜久雄は芸を続けられたし春江もついていけたし、丹波屋の皆も俊ぼんを愛したのだと説得力たっぷりに見せていた。
まるで喜久雄そのもののようにその魅力に魅入られてフォーカスをガチ当てしたせいか、やや春江と彰子が物足りなくなったかなと。
尺が足りなさすぎよね。
そんな中でも寺島しのぶは良かった。
演技派の女優さんだけど正直そんなに心を揺さぶられたことがなかったのだが、今回は来た。
それはまんまと彼女自身の背景を見ながら見るというキャスティングにはまっているせいもあるけど、それを差し引いても良かった。
個人的には渡辺謙扮する夫の花井半二郎に
「糖尿でもうほとんど目え見えへんのにまだ舞台に立ちたい思うんか。ほんま役者は意地汚いわ。」
と言う台詞が重い、重すぎた。
彼女の周辺の状況等々色々想像してしまった。
あと、喜久雄が丹波屋から離れるシーン。
悲しみとも安堵ともつかない複雑な表情。
良かった。
三浦貴大
この人もよかった!すごいよかった!
見せ場があるような役ではないけれど、喜久雄たちを見ながら俯瞰や憐れみや魅入られる心を淡々とした表情と台詞で感じさせ、唯一といっていい「あの」世界に飲み込まれていない人として存在していた。
そしてそしてなんといっても今回の私のMVPは少年時代の喜久雄を演じた黒川想矢くん!
いやーお見事でした!
3時間のうちの最初の1時間弱
彼の演技がなかったら台無しだったと思う。
それくらい魅力的だった。
ほの暗いが強く光る瞳
しなやかな所作
繊細で人も自分も傷つけそうな危うさ。
吉沢亮はプレッシャーかかっただろうなぁと思うほど。
その吉沢亮
まぁ美しいのなんの。歌舞伎役者以外の人が白塗りするとイケメン俳優でもけっこう様にならないことが多いが本職顔負け。
いやもうその表現も失礼なほど。
愛らしく妖艶で儚く清らかで…女形の理想像。
それだけではなく、喜久雄の中の乱暴な激しさや脆さを垣間見せながらいつもどのシーンも所在なさげにそこにいる。
「どこ見てたんやろな」と言う台詞そのものの
最後まで空っぽの瞳が悲しすぎた。
喜久雄は大抜擢されても楽屋に誰も手伝うものもいない。祝い花も春江と徳次からしかない。
真っ暗な楽屋の中で恐怖で化粧ができない時、俊介だけが楽屋に入り励ましに来てくれる。
本当は自分がやりたかった役、誰もが御曹司の俊介がやると思っていた役を喜久雄がやることになっても。
その時に喜久雄はお前の血をコップで飲みたいくらい血(血筋)が欲しいと泣く。
血筋が欲しいと泣く喜久雄に才能が欲しいと泣いたであろう俊介が「芸があるやないか」というここが最高によかった!
原作は出奔中に子どもをなくした俊介が、自らの死を感じながら最後に演じるのが「隅田川」という演目。
子どもをなくした母の話だ。
俊介は落ちぶれていた頃になくした子どものことを自分のせいだと悔いていてその想いと自分の芸の集大成だ。
映画はそれを「曽根崎心中」にしている。
映画では出奔中のことはほとんど描かれず、子をなくしたことも言及されていない。その後に生まれた跡取り息子のみ。
「曽根崎心中」のお初は血を飲みたいと喜久雄が言ったときの抜擢された役。
そして死を覚悟して死にゆく役だ。
映画ではあの時やれなかったお初を芸の集大成とし、俊介自身の死への覚悟を台詞にこめられている。そして相手役の徳兵衛は喜久雄だ。
こうして演目を変えることで俊介の人物像を映画に合わせて変えてきているのだろう。
喜久雄の最後も原作は阿古屋だが映画は鷺娘だ。これは喜久雄が初めて見た女形・万菊が演じていた演目。演目を絞って伏線とし、わかりやすくなっている。
喜久雄の最後も解釈を広く与えた映画らしい終わり方になっている。
喜久雄が探し求めている景色は何だったのか。そして見えたのかも含め。
とても美しい最後だったけど私は原作の芸に狂っていく様の方が好みかな。
1つかなり不満なこと。
ラスト近くで喜久雄の娘に意外な形で再会し、言葉を交わす場面。
あれはいらない。
バッサリ切った悪魔と取引きのツケエピソードを回収したかったんだろうけど。
いや逆か。
むしろちょっと良かったねみたいになってたから、喜久雄をむくわれさせたかったのかな。
でもいらない。
と、私は思いました。
それはきっと私が最後を芸に狂っていく…にして欲しかったからだな。
監督、優しいな。
やっぱり監督は喜久雄の沼にはまっちゃったんだな。少しでも幸せにしたかったんだよきっと。
なんか急に納得してしまった。
わーすごい長くなった!
まだ語れそうだけどこのくらいでやめとくー。
美しいとはこれほど恐ろしいものもないのだね
原作のラストです
あとは眩しいほどの照明と鳴りやまぬ拍手。
それさえいただければ、役者はどこにでも立つのでございます。ほかには何もいらないのでございます。
その眩い照明がどれほど役者の心を痺れさせるか。その鳴りやまぬ拍手がどれほどの幸福感か。こればかりは舞台に立った者にしか分からぬのかもしれません。
ですからどうぞ、声をかけてやってくださいまし。ですからどうぞ、照らしてやってくださいまし。ですからどうぞ、拍手を送ってくださいまし。
(中略)
日本一の女形、三代目花井半二郎は、今ここに立っているのでございます。