「うらぶれて」 | ほどほどに

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ただただ好きなこと
好きなもの日々のことを

「うらぶれて」

作詞 来生えつこ 作曲 来生たかお


街はいつも姿を変え

見るたびごと荒れて行く

夜をめざしあふれる人

僕の心荒れて行く


都会なんて横眼で見て  すねてみてもかなわず

行きつくのはいつもの店 

いつもの椅子いつもの席


ほんの前は顔を寄せて

お喋りする君がいた

ある日君は大人の顔で

ふいに別れを告げたよ


時も人も姿を変え過ぎて行くかたやすく

僕の前の席は空っぽ 風通しが良すぎるほど


遊び慣れた若い娘 生き生きして行き交う

声をかけて誘うほど

勇気もなく席を立つ

勇気もなく席を立つ



早いとしか言いようがありませんが


半年が終わります。


しかしながら最大の山場である


酷暑・台風・豪雨の恐怖はこれから。


私は本当に心身ともにやられるので


毎年越せる自信がありません。


今年は特に体調がなかなか万全とならず


スッキリしない日々です。


加齢とは恐ろしきものじゃの。


7月・8月・9月の私は存在しているのか、


溶けていないのか!?


いやまぁ溶けるわけにはいかぬ。


今年は開き直り推し活イヤーだからね!


推し活スケジュールを大小ねじ込んで励みにし


ます!



さて6月の来生さんのコメントも出ましたね。


もう競争もやめます(笑)


短い文章の中に


「いつできなくなるか」


えええーーーー!


「まだやれると思っている」


よかったーーー!


をぶっ混んでくる様はやはりドSだと思うね。


そんなとこが好きだったりするけどね!




それにしてもかまいたちがよほどお気に召され


たのね(笑)


お料理の影響まで受けるとは!


嗚呼想像して萌え死んでしまう♥️



タイトルが「うらぶれて」

なかなかの個性的なタイトルですよね。

うらぶれるって改めてどんな意味なの?って考えちゃう。

しょんぼりのMAX値みたいな?

もっとなげやりな落ちぶれた感じ?

歌詞を確認する感じだと拗ねてしょんぼりくらいですかね。


ところが反して(私の感覚では)メロディーはわりと明るいポップな感じなんですよね。


この曲は初期のアルバム「ジグザグ」の中の1曲なのですが、このアルバムを聞いているといつもこの曲で1回ひっかかります。

 決して悪い意味じゃなくてね。

立ち止まるというのでしょうか…。

心地よさと良い意味の違和感(適した言葉が見つからない)が交差しているような。


いつもはそれで過ぎるのですが、この記事を書くのでもう少し考えてみたりして。


そこでちょっと思ったのですが、

来生さんの作品はデビューからこれまで本当にたくさんあり、その時々の来生さんの志向のようなものも現れていたり。

もちろん極めていく様子も感じられたり原点回帰だったり。

ヨーロッパ風の色合いが強かったり映画音楽風、ビートルズの香りがしたり。

その様々な音楽を味わってきました。


そのほとんどがえつこさんの歌詞。

本当に当たり前のように聞いてきたけど、

えつこさんの志向はどう組み込んできたのだろうという事がふいに気になったのです。

あまりにも来生さんの曲にはえつこさんと思いすぎて、当然あるべき

えつこさんの志向=来生さんの曲 

と見逃していたのかもと。


作曲家と作詞家と関係の難しさだと思うけど、

寄り添って完全な世界観を打ち出すのか、化学反応を期待するのか。

そう考えると1つの作品はものすごいエネルギーのぶつかり合いから生まれるんだなと改めて思いました。


何が言いたいかと言うと、

この曲の良い違和感は来生さんとえつこさんのほんの少しの剥離からくるものなのかなと。

他にもそういう素敵な化学反応を感じる作品もたくさんありますが、まずはこの曲

「うらぶれて」が私の中の最初の曲なんだなと今思い至っています。


ふられちゃって心荒れちゃってもいつもの椅子で冒険できそうにない僕。

女性はあっという間に大人になってスパッと別れを切り出してくる。

ついていけないよおーとすねちゃって女の子に声をかける勇気も出なくてうらぶれてる…

これだけ見たら「か、悲しい!」て感じだけど

軽やかでシンプルなメロディーと、

あのなんとも言えない青年とも少年とも聞こえる声と重なると

あぁ若い日常のひとこまはそれだけでドラマがあるなと超短編青春小説のような味わいになっている。

計算されたものなんだなぁと思います。


えつこさんの歌詞も色っぽくなったり社会派ののエッセンスを感じさせたりと、時代と共に変遷していく様子もとても興味深いです。



モヤがすごい