映画「あんのこと」観てきました。
新聞の1記事を元に、過酷な環境の中で生きて亡くなった実在した1人の少女の短い時間を描いた映画です。
スクリーンが明るくなってもすぐには立てないくらい心の中にズシッと重石が置かれたような気持ちに。
簡単には感想も書けないほど。
だけどいい映画(この言葉もフィットせず使いづらい)なのは間違いない。
演じる俳優さんたちも素晴らしいんだけど、
そういう演者の演技についてすら
語る気が起きないほど重い。
それでも伝えたくてなんとか書いてみる。
とにもかくにも河合優美がすごかった。
大げさな、いかにも熱演でもなく。
ボソボソ言っていればリアリティーと思ってるんじゃないのか?と言いたくなるような小手先のものでもなく。
暗い瞳と小さな笑顔。
懸命ないじらしさと繊細さ。
杏が生きている姿を確かに私たちは観ていると思わせる説得力。
淡々とみせる演出で、どこにも答えを出していない。
号泣するとかそういうものとも違う重い悲しみが最後に心に残ってしまった。
最後に杏が見た微かな希望。
それが絶望の入口になってしまう皮肉なんて言葉では足りないほどの不幸と、
その重さとは到底バランスがとれない
最後に杏と交差する人物(早見あかり)の軽々しさが、よけいに悲しみを強調し虚しくなった。
ネタバレなしに書こうとすると抽象的になってしまうので難しい。
なのでほんのちょこっとネタバレ気味になる感想を少し。
これほどの悲劇的な結末でも振り返ると登場人物に極悪人はいない気がしている。
職場や夜間の学校での人間関係でも、偏見などからつらい目に遭うという描写はない。
ただ、どうしようもない人物はいる。
彼女の母親。
この母親さえまともならこんなことにはならなかったと思う。
でも私の想像以上にいくらでもいる人物像なのだろうとも思う。
そして逆に信頼する人物にもいい面ばかりではない裏の面もある。
彼女の更正のきっかけになる佐藤二朗が演じる刑事だ。
粗野なふるまい(歩きタバコ、ポイ捨て、唾吐きなど)だけど杏には温かく接する。
やがて彼女も心を開き更正の道を進む。
それなのに彼のもつ裏の顔が彼女の絶望のきっかけにもなるのだ。
詳細は書かないが、これが事実でもあることに映画観賞後知り驚愕した。
それまでは私もまた彼を信じたかったからだ。
そんな複雑な人間を、佐藤二朗がそのがっしりとした躯体もあいまって実にうさんくさく演じていた。
そんな2人に接触することになる稲垣吾郎演じる新聞記者。
彼は立場上客観的に杏や刑事を見ている。
でも時には心を寄せ、通わせ、時にはおそらく理解しがたい感情も抱く。
彼の目は映画を観る私たちの目。
この色のない映画の中で少し華やかすぎるかなと感じた稲垣吾郎だが、冷たいとまではいかない距離の取り方や個人の感情と仕事としての感情に葛藤する様が似合っていた。
ある出来事を記事に書く前に本人に対し、
記者としてではなく個人として聞くが事実なのかと問う。
きっと彼は書くかどうかまだ迷っていた。
だけどその返事が書かせないための脅しのような事を言われたことで、信頼や記者としてのプライドが刺激され一気に書く方へ振れたのではないかと思う。
それもまたこの悲劇への加速となったのだ。
あんちゃんは優しい子だった。
細かく細かくその優しさの描写が積み重ねられていた。
真っ白なリュックサック。
ゴミ屋敷の中で暮らしていてもボロボロに汚れてはいない。
汚れが目立つ白なのに、懸命に白い。
もっともっとひどい子なら生きていけたのか。
私のそばにあんちゃんがいたら、
私はどうしていたのか。
何もできないのか。
何かしたのか。
