急に暖かくなったのに急に寒くなったので
私も猫も混乱(笑)
毛布もストーブもフリースも片付けて…
そしたら寒い!
洗いじまいしたものは面倒だから我慢。
まだクリーニングにだしていなかったダウンを着て電気ストーブは出した(笑)
にゃんこも毛を生え換わらせていたのに寒くなったので
「毛は間に合わないから脂肪ちゅけるね!」
なのか???なぜか2倍増しの食欲(笑)
ドラマ「6秒間の軌跡」
終盤を迎えてなんだか胸に何か刺さったままのような切なさが加速。
8話での星太郎の気持ちが切なすぎて。
母親に捨てられた可愛そうな子という目で見られることのつらさ。
それでも父と暮らしそんなことは誰にも言えなかった日々。
お父さんも寂しいと思えばこそだったのに、実は父はお母さんとよりを戻し、再婚した母の愛人になっていたことを知る。
高橋一生の表情で、子供の頃の星太郎の寂しさややるせなさ、耐えてきたことが伝わってきて、たまらなかった。
9話では復讐をすると言いつつ(出来っこない)きっと本当はお母さんに会いたかったのだろう。その様子がコミカルでただ愛おしく描かれる。
復讐を目論み、陶芸家である母の再婚相手の個展会場の入口でバッタリ母に会う。
何も言わず立ち去ろうとする星太郎に
「星太郎!」といきなり抱きしめる母親。
星太郎の戸惑う表情の中に何種類もの感情を高橋一生は込めている。
戸惑い、喜び、拒絶、安堵、母の温もりを感じているような、なんだこの人という小さな怒りも。そしてそれをとても愛らしく。
30年も会ってなかったのによく俺がわかったよな!どうかしてるよな!抱きつくなんて!とひかりちゃんに言いながらどこか嬉しそうな。
会ってはいなくてもずっと自分のことを思っていてくれて、母親とはすぐにわかるものなんだとそんな事を思っていたのかもしれない。
だけどおそらく父親が写真を見せていたんだろうなと思った。
だってずっと繋がっていたんだし。
後で父親のスマホを見て、自分の写真が隠し撮られて送信されているのを見る。やっぱり。
その時の高橋一生の顔。
あーそうか…と一瞬落胆しつつすぐに自撮りをして自ら送ろうとする。
30年我慢してきた思慕がもう止まらないのだ。
その前のシーン。
個展で会った後、改めて喫茶店に行き母と向き合う。
何かを言って欲しい。
それが会いたかったなのかごめんねなのかわからないけど、ずっと自分を思っていたことを確認したいのではないか。
だけど母はどんな言葉を使ってもわかり合えることはない。
それよりも星太郎のこれからの話をしようと言うのだ。
なんて勝手なことを。
本当の自分だとかここは私の居場所じゃないとか言って出ていき、再婚し、なおかつもとの夫と愛人関係を結ぶ。
ようやく会った息子にかける言葉は息子が欲しかった言葉ではない。
そんなある種の身勝手な女を原田美枝子さんが美しく奔放に魅力的に演じている。
自分に正直に生きる人。
思いのままに生きる人。
人は誰でも我慢を強いられる必要はない。
とは言え、誰もが正直に生きることは難しい。
その人の思いのままに生きることの影には、我慢してきた存在があるからこそ成立することも多いからだ。
星太郎は父親にも本当の気持ちが言えず、自分自身も見ない振りやごまかしながら我慢をしてきたのだ。
自分の感情のままに生きると誰かを我慢させるのではということが身に染みていたからではないか。
だから些細な事(似たような服をどれにするか選べない。似たような写真をどれにするか選べない。)のではないか。
ひかりちゃんに「どれもたいして差がないならどれを選んでも一緒」と言われる。
どれを選んでも誰にも迷惑をかけないものも(自分も傷つけない事も)あるのだ。
正直に生きた父親と母親の自由の間で不自由に生きてしまった星太郎。
今までどれほどつらかったか!の思いにたまらなくなった。
なんて親たちなんだと腹が立った。
母親に散歩に誘われていそいそと出かける。
母親からもらった(多分)赤いマフラーを着けてウキウキ帰ってくる星太郎。
色のなかったワードローブに赤が加わる。
嬉しそうにすればするほど、照れ臭そうに隠したりすればするほど、星太郎のこれまでの孤独が見えてきて切なくて泣けてきた。
思いのままに生きる人の側でそれを成立するのを助ける我慢する人。
でも待てよ。
それだって星太郎が選んだ自由だとも言えるのだ。
誰に頼まれたわけでもない。
そして星太郎の欲しかった言葉を言わなかった母親。
でもこれからの星太郎という魔法がとけるような言葉を告げているのだ。
身勝手かもしれない。腹も立つ。
でも今、星太郎は自分からも過去からも自由になろうとしているのだ。
それが、高橋一生の歩き方から見えてくる。
そして見事な脚本。
今期はどのドラマも面白いけど、脚本はこのドラマが一番だと思う。
正直に生きることは生かされていることを知り、我慢するということは自らの意思であることを知る。
そんな覚悟があってこそなのかなと思う。