やはり、基礎知識がベースに無いとダメか。

韓国の歴史教育がかなり誇大妄想というか、大韓民国の建国理念に関わるらしいので、こちらの認識とはまったく別な話が教えられているとのこと。

今解ってることはだいたいこんな感じらしい。

 

韓国の歴史記録

 

>韓国の世界遺産
「訓民正音解例本」、「朝鮮王朝実録」、「直指心體要節」、「承政院日記」、

「八萬大蔵経板」、「朝鮮王朝儀軌」

 

>その韓国の記憶遺産:
「訓民正音(解例本)」
「朝鮮王朝実録」
「仏祖直指心体要節(下巻)」
「承政院日記」
「高麗大蔵経板および諸経板」
「朝鮮王朝儀軌」
「東医宝鑑」
「日省録」
「1980年人権記録遺産5.18光州民主化運動記録物」
「乱中日記:李舜臣将軍の陣中日記」
「セマウル運動記録物」
「韓国の儒教冊板」
「KBS特別生放送『離散家族を探します』記録物」
「朝鮮王室の御宝と御冊」
「国債報償運動記録物」
「朝鮮通信使記録物-17世紀から19世紀の韓日間の平和構築と文化交流の歴史」

でまあ、当の韓国人はこれらの内容をちゃんと理解しているかね?w韓国人が耳を塞いで目を覆いたくなるような内容のものもあるんだけどw
で、記憶遺産の目的ってデジタル化してその情報を絶やさないように後世に残すためのものであって、日本は独自に保存技術があってちゃんと保存しているし、無理に登録する必要もない。もしかして、韓国人って「世界に認められた歴史書」とかって思ってんの?wお前らが保存技術がないから、お願いしているだけじゃね?w頑張って登録したねぇw

 

>韓国人のユネスコの工作成果だろ。
それと朝鮮王朝実録などは勉強してみろよ、真実が書いてあるから。
そうすればねつ造や妄想話が、少しは無くなる。
朝鮮王朝実録は李氏朝鮮太宗の時から純宗までの27代519年間の歴史を編年体で編纂した1967巻948冊の実録。ユネスコの世界記憶遺産となっている。
①例えば応永の外寇は1419年に李朝が対馬を軍船227隻、兵員17,285名で攻撃した事件であるが、日本側はたった宗氏武士団600名で撃退する。それも日本が大勝。日本側の死者123名に対し朝鮮軍は2,500名余りにのぼった。朝鮮王朝実録には、奪還した中国人捕虜を「我々の負けざまを見ているから、中国に返してはならない」と書いてある。
②他にも秀吉の朝鮮出兵の時、明・朝鮮軍は日本軍に連戦連敗だったことが記述されている。
③こういう具合に朝鮮王朝実録が解読されるようになると、彼らの捏造歴史が間違っているということが解かるが、たぶん学者だけで一般にはオープンにしないだろうな。

 

漢字を読める人はどこにいる?大学の歴史学科とかかな?

漢字教育を止めてハングル一本に絞ったことで、歴史資料が読めなくなり

余計に混乱を来していると聞いたが?

 

自国を先進国と呼ぶほど発展した韓国ですが、その発展の基礎部分は日本が造ったものであることを認めません。日本の資金と技術がなければ――日本によって併合された時代がなければ――韓国の近代的な発展はあり得ませんでした。
日本が朝鮮を併合する前、すなわち「大韓帝国」の末期にはどのような状況だったでしょうか。
『韓国の歴史教科書』の徳田克先生が同書の「はじめに」で的確にまとめていらっしゃいますので、それを以下に引いてみます。

(略)

徳田先生が指摘された特徴は歴史的な事実です。
長く連なっていると読みにくいかもしれませんので、以下に箇条書きにしてみます。
併合前の朝鮮は――

・国王や王妃の贅沢三昧と売官汚職
・管理の収奪と横領
・不正と拷問の巣窟の司法
・農民の自衛のための怠惰
・両班の農民支配と搾取
・働かず納税せず兵役につかない両班
・強固な身分差別と物としての奴婢
・農業と家内工業だけの産業
・金融機関の絶無と貨幣の紊乱
・儒学と漢文だけの書堂(貴族の書斎)での教育
・鉄道と港湾は無く
・人と牛馬しか通れない道路
・幼稚な商業
・電力・通信の絶無
・不衛生な生活環境と伝染病の流行
・悪臭と汚物と狭い道と家が密集したソウルや釜山
・草木が全て刈り取られた禿山
・迷信と巫女が頼りの病気治療
・風水地理説などの迷信の蔓延
・度重なる飢饉での餓死者の放置

――など、絶望的な悲惨な状態の王朝であった

⇒参照・引用元:『韓国の歴史教科書』著:徳田克,三省堂書店/創英社,2022年05月22日 初版発行,p.2

暗い気持ちになるような特徴が並びますが、全部本当です。つまり、日本併合前の朝鮮半島には近代的な物はなんにもなかったのです。いや、近代的な物どころか、乱伐が過ぎて山に木さえなかったのです。
日本が注ぎ込んだ資金と技術、人材のおかげで、工場や発電所などの鉱工業、商業、通貨、教育、法律など、ありとあらゆる近代の基礎が朝鮮半島にもたらされました。
日本が韓国で行った大きな功績が否定されるいわれは全くありません。

(吉田ハンチング@dcp)
https://money1.jp/archives/85467

 

 

 

「朝鮮」がいつから使われるようになったのか、はっきりとしていませんが、
紀元前1世紀初頭、司馬遷によって書かれた『史記』には、「朝鮮」という記述が見られ、この頃には、中国では「朝鮮」の呼称が既に使われていたのです。
 

史書に登場する朝鮮のはじまりは箕子朝鮮とされます。紀元前12世紀頃、中国人の箕子が建国し、都は王険城(現在の平壌)に置かれました。

『史記』や『漢書』には、箕子が中国の殷王朝の王族で、殷の滅亡後、殷の遺民を率いて、朝鮮に亡命したと記されています。箕子は中国の文化や技術を朝鮮に持ち込み、善政を敷き、朝鮮をよく統治したようです。

朝鮮半島西北部を中心に、紀元前11世紀頃のものと思われる中国様式の出土物が多く出ており、この時代に、中国からの大規模な移民があったことを示しています。こうしたことから、今日の学界では、箕子朝鮮が実在した可能性が高いと見られています。ただし、未だそれを裏付ける史跡が乏しく、実在が確定されているわけではありません。

中世以降、中国文化を崇める朝鮮王朝は箕子を聖人化し、朝鮮の始祖とすることで、中国と一体化し、中国を中心とする「中華文明」の一員になろうとしました。そのため、箕子陵などが盛んに建設され、箕子が各地に祀られました。

しかし、現在の韓国や北朝鮮は一転して、箕子朝鮮を中国側の「作り話」として否定しています。民族意識を高揚させる観点から、中国人起源の箕子朝鮮は都合の悪い存在になったのです。散々、それまで箕子を持ち上げておきながら、実に虫のいい話です。

彼らは代わりに、檀君朝鮮が正式な朝鮮の起源であると主張しています。檀君は天神の子であり、紀元前2333年、平壌城で朝鮮を建国したとされます。この話は『三国遺事』に記述されていますが、『三国遺事』は正史の『三国史記』(1145年完成)からこぼれ落ちた説話集です。

朝鮮人の始祖とされる檀君は民間で信仰されてきた伝説に過ぎませんが、韓国の学校の歴史教科書では、「歴史的事実」と教えられ、箕子朝鮮が「伝説」と教えられます。また、「朝鮮」の呼称を最初に用いたのは壇君であり、朝鮮人はこの時代から自らを「朝鮮」と呼んでおり、壇君以来の古朝鮮の伝統を受け継ぎ、民族の誇りとしなければならないといったことが教えられます。

 

箕子朝鮮に続き、紀元前195年頃、衛氏朝鮮が建国されました。都は箕子朝鮮と同じく、王険城(現在の平壌)に置かれました。やはり、この衛氏もまた、中国人です。このように中国人の支配者が続くのは朝鮮人に、国を運営する能力やノウハウがなかったからです。

衛氏朝鮮は燕の出身の武将の衛満によって建国されます。燕は現在の北京を中心とする中国東北部の地域です。劉邦の前漢王朝の成立に伴い、前漢勢力と対立していた燕の人々を、衛満が率いて朝鮮に亡命し、国を建国したのです。

衛満の軍隊は鉄製の武器で武装し、優れた機能と統制を兼ね備えていたので、朝鮮人はほとんど抵抗できませんでした。高度な文明を擁していた中国人にとって、朝鮮人を屈服させるのは容易なことでした。

箕子朝鮮の実在が未だ確定されていないのに対し、衛氏朝鮮の実在は確定されています。そのため、現在の韓国は中国人起源の箕子朝鮮を否定しても、同じく中国人起源の衛氏朝鮮を否定できず、中国人が古朝鮮を支配していたという実態を結局、覆い隠すことができません。

それでも、かつて、衛満が朝鮮人であるという無理矢理な理屈をでっち上げていました。衛満が朝鮮に入った時、髷を結い、朝鮮の服を着ていたことから、衛満を朝鮮人と推定でき、朝鮮人である衛満が中国の燕に滞在し、朝鮮に帰って来て国をつくったと説明されていました。韓国の学校でも、1990年代までそのように教えられていました。

植民地にするほどの価値はなかった

衛氏朝鮮は紀元前108年、前漢の武帝によって滅ぼされます。これにより、朝鮮半島の大部分が中国王朝の支配下に入ることになります。武帝は征服した地を4つに分け、楽浪郡などの漢四郡を設置し、朝鮮を中国の一部に組み込みます。これが中国王朝の朝鮮支配のはじまりとなります。

楽浪郡は平壌に置かれていたと見る説がほぼ確実視されていますが、他の三郡についての史書の記述が乏しく、具体的にどこを指すのか、その詳細がはっきりとわかっていません。韓国の学者の一部は、漢四郡が遼東(現在の中国遼寧省)に設置されたもので、朝鮮半島に設置されたものではないと主張しています。あくまで、中国の朝鮮支配を否定しようとしているのです。

前漢王朝は漢四郡を置き、朝鮮を領土の一部に組み込みました。ただし、それが実質的な支配と言えるかどうかは疑問です。この時代、朝鮮は中国の辺境の果ての地で、人口も少なく、貧弱な生産力しかありませんでした。前漢がこのような荒涼とした地域を敢えて予算を投じて、統治する必要などなかったでしょう。

 

前漢の武帝は北方の匈奴と戦っていました。北の辺境に、強大な異民族が存在したことに付随して、各方面の辺境に、異民族の脅威が存在するかどうかという安全保障上の関心が大いにあったと思われます。

この関心の上に、楽浪郡などの漢四郡が置かれ、それらが統治機能というよりはむしろ、偵察機能を働かせ、辺境の情勢を中央にもたらしていたと考えられます。当時の朝鮮は前漢にとって、植民地にするほどの価値もなかったというのが実情でしょう。

後の中国王朝、唐・元・明・清が朝鮮を隷属させて、徹底的に搾取しますが、前漢時代の朝鮮は原始的で遅れており、搾取すべきものさえなかったのです。

その証拠に、武帝の死後早くも、紀元前82年に、真番郡と臨屯郡を廃し、紀元前75年に、玄菟郡を西に移し、朝鮮に楽浪郡だけを残します。つまり、当時の朝鮮が統治するに足りる土地ではなかったということを示しています。韓国の学者が必死になって、中国の朝鮮支配を否定するまでもない話であったと言えます。

 

 

檀君神話

 太古の昔、桓因(ファンイン)という天帝の庶子に桓雄(ファンウン)がいた。桓雄が常に天下の人間世界に深い関心をもっていたので、天符印三筒を与えて天降りさせ、人間世界を治めさせた。
 部下3000人を率いた桓雄は、太伯山(テベクサン)上の神壇樹(シンダンス)下に下りて神市(シンシ)とした。かれは風伯、雨師、雲師をしたがえて穀・命・病・刑・善・悪をつかさどり、人間の360余事を治めさせた。
 このとき一匹の熊と一匹の虎が洞窟で同居していて、人間に化生することを念願していた。桓雄は一把のヨモギと20個のニンニクを与えて、100日間日光を見ないように告げた。熊は日光を避けること37日目に熊女(ウンニョ)になったが、虎は物忌みができず人間になれなかった。
 桓雄は人間に化身した熊女と結ばれ、檀君王倹(タングンワンゴム)を産んだ。檀君は中国の堯帝が即位して50年目の庚寅の年に、平壤を都として朝鮮と呼んだ。のちに都を白岳山の阿斯達(アサダル)に移して、1500年間も国を治めた。
 周の武王が即位した己卯年に、箕子(キジャ)を朝鮮に封ずると、壇君は阿斯達からかくれて山神となった。寿命が1908歳であった。

(姜在彦『朝鮮儒教の二千年』01朝日選書 p.28)

 

韓国の歴史教科書(世界史)はこういうのらしい。年度不明。

 

わりと初めから韓の上に濊(わい)が二つ書かれてる。

朝鮮の歴史的地方区分 - Wikipedia
濊の字が真ん中へんに既にある。
 
周辺国家の形成 – 世界の歴史まっぷ
 

韓国人は、漢民族に「臭穢不潔」と蔑まれたツングース系民族「濊」の末裔なのか

 

配信

現代ビジネス

Gettyimages

国際情勢を深層から動かしてきた「民族」と「文明」、その歴史からどんな未来が見える? 中国とインドの台頭により、アジアの歴史や文化に関する知識は今や必須の教養となった。しかし教科書が教えてきた中国中心の見方では、アジア史のダイナミズムは理解できない。考古学や遺伝子学を含めた学術研究の進歩も、こうした史観に対して再考を求めている。

このたび『民族と文明で読み解く大アジア史』(講談社+α新書)の上梓した

世界史のベストセラー著者が、朝鮮民族のルーツに迫るーー。

 

「臭穢不潔」とされたツングース系

 朝鮮民族の祖先であるツングース系民族は古代中国で、「濊(わい)」や「貊(はく)」と呼ばれていました。「貊」は日本語で「えびす」と訓読みし、蛮族を指します。  問題は「濊」の字です。濊は『漢書』武帝紀では「薉」、『漢書』食貨志では「穢」と表記され、『三国志』や『後漢書』では「濊」と表記されています。いずれも「穢れ」を意味していると考えられています。  

かなり酷い呼び名ですが、漢民族は周辺の異民族に対して、このような悪い意味の名を付けることがよくありました。例えば、匈奴の「匈」は「悪く乱れている」ということを意味する言葉であるので、「匈奴」は「悪い奴ら」というニュアンスになります。また、周の時代には、モンゴル系の犬戎が中国に侵入しましたが、「犬戎」とは「犬のような蛮族(戎)」というニュアンスです。  

それにしても、「濊」という名の酷さは際立っています。どうして、こういう名を付けられたのか、詳しいことはわかっていませんが、『三国志』や『後漢書』では、

ツングース系民族が極めて臭くて不潔(「臭穢不潔」)であったと記されています。  

彼らは尿で手や顔を洗い、家ではなく穴の中に住んでいました。豚の毛皮を着て、

冬には豚の膏を身体に厚く塗って、寒さをしのいでいました。「臭穢不潔」な彼らを「濊」と呼ぶことは漢民族にとって自然なことだったと推測されます。  

「濊」は「水が溢れている様」、「穢」は「雑草が生い茂って荒れている様」を表すもので、必ずしも「穢れ」を意味するものではないとする見方もありますが、史書に「臭穢不潔」と記されていることからもわかるように、やはり「穢れ」を意味していると考えるのが自然です。  

 

これらの濊や貊のツングース系部族から派生する扶余族が紀元前1世紀に高句麗を建国し、4世紀前半に百済を建国します。彼らは後漢王朝に圧迫され、朝鮮半島方面へと南進したのです。そして、彼らは現在の韓国にいた原住民である韓人と混血同化し、

今日の朝鮮人となります。  

韓人は朝鮮半島の南部から中部にいた農耕民族で、半島の原住民ですが、「韓人」という明確な民族学上のカテゴリーがあるわけではなく、「三韓の地に住んでいた人々」という意味で慣習的に使われます。

 

歴史から紐解く朝鮮民族のルーツ

 高句麗は4世紀末から5世紀に強大化し、満州から朝鮮半島北部にかけて広大な版図を形成しました。  

高句麗の第19代の王・広開土王(好太王)はこの時代の王で、朝鮮半島南部に遠征し、百済を攻めました。百済と同盟を結んでいた日本(大和朝廷)は軍を朝鮮に派遣し、広開土王と戦います。この戦いについて、有名な「広開土王碑文」に記されています。  朝鮮の歴史書『三国史記』によると、扶余の王族朱蒙(チュモン)が紀元前37年に高句麗を建国したとされます。

 さらに、扶余族は南方に拡散し、朝鮮半島南西部に百済を建国します。7世紀の中国の史書『周書(北周書)』や『隋書』では、百済の王族が扶余族出身で、高句麗王族とも血縁関係があったことが記されています。  

百済の都は当初、ソウルを流れる漢江(ハンガン)の南の漢城に定められました。その後、高句麗に圧迫されて、475年、南の錦江(クムガン)中流の熊津(ウンジン)、つまり現在の公州に遷都し、更に538年に、錦江下流の泗沘(サビ)に遷都しています。  

泗沘は新羅時代の8世紀半ばに、彼らの民族名を偲び、「扶余(プヨ)」と名付けられて、今日に至ります。百済の最後の都の扶余は百済歴史遺跡地区として、2015年に世界遺産に登録されています。  

高句麗や百済の歴史からもわかるように、古代朝鮮半島はツングース系の扶余族によって支配されていました。扶余族は濊や貊から派生した部族であり、これが朝鮮人のルーツであると言うことができます。  

勢いのあった扶余族が朝鮮半島のみならず、さらに南進し、日本にも到来して、彼らが大和朝廷を樹立したという仮説もあります。これは「騎馬民族征服王朝説」と呼ばれるもので、東京大学名誉教授の江上波夫氏により、1948年に提唱され、広く信じられたことがありましたが、今日では、根拠がないとして否定されています。  

韓国の学者で、この説に便乗する者もいます。韓国の東洋大学の金雲会(キムウンフェ)教授は扶余の王族が南方へ移動して百済王になり、さらにその子孫の百済王の近肖古王(クンチョゴワン)が日本に渡って応神天皇になったと主張しています。しかし、前段の扶余の王族が百済をつくったというのは良いとしても、その子孫の百済王が応神天皇になったというのは荒唐無稽で根拠はありません。  

百済建国には、いくつかの説があります。朝鮮の歴史書『三国史記』では、高句麗の始祖の朱蒙と扶余の王族の娘との間に生まれた子が百済を建国したことになっています。初め10人の家臣と共に建国したため、国号を「十済」としましたが、百姓たちも建国に協力したので、「百済」となったとされます。  

中国の史書『隋書』の「百済伝」には、もう少し現実的なことが記録されています。扶余王の尉仇台(ウィグデ)が高句麗に国を滅ぼされて、百家とともに海を渡った(済海)ので、国号を「百済」としたと記されています。

 

遺伝子解析からわかる混血の歴史推移

 朝鮮半島方面へ南下したツングース系民族の濊や貊よりも北西部にいた、同じくツングース系民族の動きも併せて見ておきましょう。  

この地域は外満州とも呼ばれ、今日のロシアの沿海州、都市で言うとウラジオストクからハバロフスクにかけての地域一帯です。

元々、この地域にいたツングース系民族が粛慎で、紀元前6世紀、孔子も彼らの使っていた弓矢について述べています。  

粛慎はその後、挹婁(1世紀から4世紀)、勿吉(4世紀から6世紀末)、靺鞨(6世紀末から7世紀末)と変化していきます。彼らは今日のロシア領のツングース系民族の大半に相当します。  

「挹婁」の呼称は弓矢の鏃を指す「ヨウロ」を音写したものと考えられています。「勿吉」の呼称は何の音写かわかっていません。

「靺鞨」の呼称は「勿吉(もつきつ)」の音写と考えられています。 

 靺鞨は主に、南の粟末部と北の黒水部の2つの部族に大別することができ、粟末部は後に高句麗遺民と共に、満州の統一国家である渤海を建国します。北の黒水部は女真族の元祖であり、彼らが金王朝や清王朝を建国します。  

女真族は中世の高麗時代以降、朝鮮半島にも大量に南下し、朝鮮人と混血しています。  

遺伝子の解析により、韓国人はツングース系民族と遺伝子上、近似関係にあることが証明されていますが、この結果は彼らの混血の歴史推移と一致します。  

また、中国人もツングース系民族との遺伝子的近似性が証明されており、この結果もやはり、清王朝のような女真族王朝が250年以上も中国を支配し、混血同化が進んだという歴史の推移に一致するものです。

朝鮮人と中国人はツングース系民族を介して、近似した民族となったのです。  

ところで、朝鮮人のルーツを北方ツングース系のエヴェンキ族とする見解がありますが、これは一つの可能性であって、確実であるかどうかはわかりません。エヴェンキ族の顔立ちなどの容姿、また、トーテムポールを建立し、祈祷する風習などが朝鮮人に似ているとされます。  

元々、エヴェンキ族は外満州からシベリアにかけて居住していましたが、13世紀頃に南下し、朝鮮半島にもやって来たとされます。エヴェンキ族が女真族と混血し、女真族によって、血統や風習が朝鮮にもたらされた可能性も考えられます。  

そもそも、エヴェンキ族と女真族を区別することができないかもしれません。エヴェンキ族は靺鞨族の末裔であり、両者は靺鞨族という同一の祖先を持つからです。

 

「ツングース」とは何を意味するのか

 ツングース系民族はアルタイ語派に属します。今日、同じアルタイ語派のモンゴル系の人口が約320万人、ツングース系が約290万人います(アルタイ語派の9割がトルコ系)。  

「ツングース」が何を意味しているのかについては諸説ありますが、一説には「豚を飼育する人」という意味を持つと言われます。  

ツングース系民族は元々、満州や朝鮮半島北部、サハリン、シベリアに至るまでの広範囲の地域に居住しており、これらの地域は現在のロシアから中国、北朝鮮の領域に及んでいます。しかし、ツングース系言語の話者は今日ではほとんど残っておらず、ロシアに約6万人、中国に約5万人しかいません。  

ツングース系民族はその言語グループにより、主に12の部族に分けることができます。ロシアには、エヴェンキ族、エヴェン族、ネギダル族、オロチ族、ウデヘ族、

ナーナイ族、オルチャ族、ウイルタ族などの8つの部族があり、

中国には、ソロン族、ヘジェン族、シベ族、満州族の4つの部族があります。  

この12部族のうちの満州族がいわゆる満州人のことで、満州の中心部を居住地とし、古来、中国とも最も緊密な関係を持っていました。  

これらの部族は同じツングース系言語を共有していたとはいえ、遠く離れた部族同士では言葉の隔たりは少なからずあり、会話さえもできなかったとされます。

ただし、同じ言語体系に属する彼らは同一の祖先を共通に持つと見られます。  

また、民族の遺伝子も近接な関係にあり、互いの民族が歴史的に離合集散を繰り返しており、混血も進んでいました。満州族などの南のツングース系は漢民族を特徴づける遺伝子系統を濃く受け継ぎ、北のツングース系はロシア人の遺伝子系統を持つといった地域的な差はあります。  

満州人(満州族)が17世紀に清王朝を樹立した頃、ツングース系民族の大半が満州人により、統合されました。しかし、19世紀になると、ロシアが極東に進出してウラジオストクを建設し、沿海州を支配、北部のツングース系民族はロシア領域に取り込まれ、南部の中国領域のグループと分断され、今日に至ります。

宇山 卓栄(著作家)

 

中朝国境・豆満江(中国名:図們江)の北にあるロシア・アムール川流域の『悪魔の門の洞窟(Devil's Gate cave)』で発見された7700年前の人類のゲノムを解読したところ、現地に住むウルチ(Ulchi)族と最も似ており、近くの先住民を除く現代人の中では韓国人が最も近いことが分かった。この研究結果は国際学術誌「Science dvances」に掲載された。
その後、「悪魔の門の洞窟」から出土した人骨(朝鮮人の祖先・女性2人)は「黒い山葡萄原人」と名付けられた。ホモ・サピエンスが誕生するまでネアンデルタール人、ジャワ原人、北京原人、アウトラロピテクス・アフリカヌス、などさまざまなヒト科が存在していたが、新生ヒト科が生まれると前のヒト科は絶滅していき、そのうちの

1つが黒い山葡萄原人、つまり朝鮮人となった。それが現在注目されている、「朝鮮人はホモ・サピエンスではない」という仮説である。北朝鮮の歴史教科書にも「我々の祖先は山葡萄原人だ」と明記されている。悪魔の門の洞窟で生き延びた結果、朝鮮人は現代人と約900万個の遺伝子が異なっているといわれている。
この黒い山葡萄原人はその後、バイカル湖畔に棲むツングース系民族エベンキ族になった。エベンキは臭い物が好きでトナカイの肉を生で食らい、残酷で不潔な民族として知られている。エベンキは900年程前に朝鮮半島に土着した。

朝鮮人とエベンキの共通点は「アリラン」にある。馬を持たなかったエベンキ族の代表的な歌は「アリラン(迎える)・スーリ(感じる)」だが、朝鮮人のアリランにも「アーリ・アリラン、スール・スーリラン」という歌詞が存在する。節回しも酷似している。その他、トーテムポールやソッテ(竿頭に鳥が止まった神竿)、チャンスン(長柱。チャングンピョ:将軍柱ともいう)という民芸・風習がとてもよく似ていることからも、エベンキ族と朝鮮人は同族だとする説が有力。

 

>あのあたりの歴史を調べたら出てくる話だがちゃんと本で出版したのがすごい。

 というかwikiにワイからの関連が載っていたのが削除されてる。 

不都合クレンジングを派手にやらかしてるから、きちんと本で残るのはいいことだ。 マッカツの、渤海から東丹(契丹)になった時に、ハイキュウを日本遣使している(上陸地点は丹後)。 古代から戦乱のときにはひとも仏像もかなり日本海を渡ってきたんだろうね。

 

>百済には倭人もいたんだけどね

 

>好太王碑文には百済や新羅はヤマトの属国としか書いてない

 

>扶余族が漢王朝に圧迫されて南進って自ら書いているのに,
南進した先の原住民が誰だったか考えたくもないのだろうね。
百済に倭人がいたのだから,朝鮮半島南部の原住民は倭人だったということだろう。
それを認めるわけにはどうしても行かないのだろうけど。

 

>古代の半島南部とチェジュ島あたりは倭人の土地らしい

 

>海女文化は日本の文化
それをNHKは済州島にあって韓国が起源だといいはなった
済州島に海女がいるのは日本の文化圏だったから

 

>済州島は古代は独立した国で半島とは明らかに文化が違った。
日本の沖縄みたいなもの。
住人の体格も大柄だし(例 和田あき子)半島からも住人は差別されてた。

 

>扶余族は建国神話が神武東征神話と類似点が見られることや
判明している語彙が日本語と類似している点などから
日本人と繋がりのある民族であった可能性が指摘されてるけど
こいつそんなに扶余族を蔑んで大丈夫なのだろうか?

 

>半島には中国人と倭人が住んてた
そこにツングースが南下して、倭人や中国人を同化した
白村江の戦いで倭人系は全部死ぬか日本に逃げ帰ったんだろ

(百済寺というお寺と地名が残っているので、

中大兄皇子が連れ帰ったという百済人が、その辺りに住み着いたんだと思ってる。

高麗神社も日本にある。)

 

>ツングースっていうか、
高麗期にクレンジングされすぎてモンゴル系が強いんだよ、

遺伝子分布図見てもわかるが、朝鮮半島北部と南部だと結構差がある、

北は村ごと住人を入れ替えたりされた記述があるレベルでクレンジングされてる

 

>書経=尚書に「華夏蠻貊」という四文字熟語がある。
「華夏」は古代漢民族の自称
「蠻」は野蛮人, 未開人。「貊」はけもの、野獣。
提灯に釣り鐘、月とスッポン、美女と野獣の様な対比だwwwwww

 

>そもそも三国志魏書に書かれた日本の邪馬台国、卑弥呼という漢字もかなりひどい当て字で、当時の日本に関する記述がそれしかないのでその単語を教科書にも載せていますが、日本人はもうちょっと違和感を抱いてもいいと思います。

(倭人の倭もチビという意味だし。肉食してないとあまり背が高くならないらしい。

現代人の次に体格が良かったのは縄文人で、一番背が低かったのは江戸後期から明治で、ちょうど四つ足動物を食べないようにお触れが出てかららしい。

夏目漱石なんか、ロンドン留学で英国人の女性よりも背が低いことに傷ついて、

鬱になって帰ってきたくらい。やまとことばのワは、輪とか和の意味らしいが。)

 

>>アルタイ語派のモンゴル系の人口が約320万人 モンゴル国の人口を引用したものと思う。中国の内蒙古やロシア領内のモンゴル系の人たち(例えば、カルムック人)の人口が入っていない。訂正した方がいいだろう。 あと、タタール人(=身体的には白人)と言われる人々。言語的にはトルコ系だが、アイデンテティーとしては「モンゴル系」という意識がある(19世紀まで国の支配者はチンギスハンの子孫だったので)。安直にアルタイ系の9割がトルコ系は言い過ぎと思う。

 

>韓国へ行った事があるが、歴史的遺産は、ほとんど後から作り直したものばかりで、当時のものがそのまま正しく残されているものが見えて来なかった、政権が変わると前のものが全否定されて全部壊され新しい物語りに矛盾しないものに作り変えてしまうので過去が分からなくなってしまうようだ、例え政権に都合が悪いものでも文化遺産は国の宝だからそのまま保存して置いてもらいたいものだ。

 

>韓国ドラマ見てると日本人が野蛮で不潔扱い、中国人は野蛮扱い
何がしたいのかわからん韓国人は

 

>中国の史書で尿洗顔をして臭穢不潔と言われていたのは挹婁、勿吉、靺鞨の方だ(現在のウラジオストク当たりを含む極東ロシア地方で、朝鮮の領土には一ミリもかすってない)
朝鮮を馬鹿にするのは別に好きにすればいいが、こんなウィキペディアレベルの調べもできない間抜けの極まった捏造コタツ記事を書くゴミ屑野郎は死んで欲しい

 

イザベラ・バード 朝鮮紀行

ソウルこそこの世で一番不潔な町
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい
人工の道や橋も少なく、あっても夏には土埃が厚くて、冬にはぬかるみ、

ならしてない場合はでこぼこの地面と突き出た岩の上をわだちが通っている。
道といっても獣や人間の通行でどうやら識別可能な程度についた通路に過ぎない
小川というか下水というか水路について蓋のない広い水路を暗くよどんだ水が、

かつては砂利だった川底に
堆積した排泄物やごみの間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく

 

>ちなみに1880年代もっとも臭い街は
イザベラバードによると
1位北京
2位漢城
ちゃんと、書かれてたりする
鼻がもげる臭さだったみたいだ

 

1876年 京城を訪れた宮本小一外務大丞の手記より

市街は大抵瓦屋根の家である。しかしその構造は甚だ雑であり、なおかつ路の両側に矮小の藁屋が列をなす。ゆえに街路の幅を狭くし、またその不潔なこと名状し難い。
汚水が路の中央に溜まり、牛馬の糞がうずたかく積もり牛骨が散乱している。

しかし誰も掃除する者がない。夏であるから一層臭気を覚える。

1888年 朴泳孝建白書より 

王宮や後宮から街、道路、橋にいたるまで、塵芥が丘陵を成し、糞屎は金を塗るが如し。これ外国人が大いに恐れるところ、そして嘲笑するものなり。見るところ極めて美しからざるのみならず、その蒸発の気は必ず疫病を醸成するものなり。

 

 同じくた宮本小一外務大丞の手記より

普通、朝鮮人民の家には便所がないとも言う。
 そのためか、いたる所で糞尿の臭気が甚だしく数万の蒼蝿が舞い、部屋にも満ちて煩わしく、耐えられない位である。雨が降る日だけ臭気が治まった。
 ここでは蚊および蚤はまれであった。しかし、浅間艦から士官3人が連絡のために仁川から来たときに民家に宿泊したが、夥しい蚊と蚤のために、ついに一睡も出来なかったと言う。 

 

>大陸の端っこに追いやられた弱者の集まりに、

日本人が世話を焼いてできたのが半島の文明なんだろうね

 

>韓国軍の訓練で小便で顔洗う写真あったよね
あれ、思い出したわ

 

それ、寒冷地だと結構色んな民族がやっている
寒冷地での習慣を温暖な土地に移住した後でもやってるのコリアンぐらいだけど

 

>あと、顔をケツに突っ込んでるやつ。
あれが何の軍事訓練、軍事行動なのか、朝鮮ロジック以外には理解不可能。

 

>あれは人糞洗顔訓練といい、主に精神面を鍛えるためにやってた
訓練四週目で行われる訓練であり、「根性、ド根性!」と叫びながら身体中に人糞と尿を塗りたくり、日差しの中に立ってパリパリに乾かして爪で剥がすというもの
2005年の食糞事件を最後に、実施されてない
参加した兵士には慰労金として70ウォン(日本円にして5~8円)が支給される
不参加の場合、労役200時間

*韓国陸軍訓練所食糞事件 - Wikipedia
韓国陸軍訓練所食糞事件は、2005年1月に忠清南道論山市にある韓国陸軍の陸軍訓練所(新兵訓練所)で発生した新兵虐待事件。
2005年1月10日、陸 軍訓練所の教官(大尉)は新兵192人に人糞を指につけて食べるよう強制した。
新兵の中にトイレの水を流さない者がいたため、それに対する制裁であった。

 

>誤解をしてるかもしれないが、ツングース系が汚いんじゃないだよ
冷寒地での生活では温暖な土地とは腐敗に対して違う文化があって当然
問題は温暖な土地に移住した後も

冷寒地での習慣をやめられなかったコリアンの特異性

 

>人類史スパンで見れば毎日風呂入る現代日本人が異端なのであって、
週一で風呂入る水準から見ても不潔極まりないってことなんだろうな

 

モンゴルなんかの寒冷乾燥地では、すぐに乾いて固まるので

馬糞が大事な燃料扱いされてきた。

寒冷地以外でも、アフリカの沼地で腐った水しかないところでは

その辺りで一番清潔な水分(出たばかりの家畜の尿)を

利用していた例もあった。

経験を積み重ねて、その地域に適した暮らし方は作られてきたが。

 

これ、もともと在日は半島での被差別民ということで、

済州島と全羅道出身者ばかりだから、嫌われるとか書いてあったので、

内民族史を知りたかったのだが、差別の元は余計に解らなくなった。

・白頭山の噴火でそれまでの文化が壊滅し、北方から来た民族に入れ替わっただの、

・中国式の中央集権統治を狭い土地に持ち込んだので、

一極集中が酷く働き、首都と地方の差が酷くなった(呉善花の著書)などの内容は

ここには出てない。

まだあるな。

・職人を蔑んで技術をないがしろにしたので、もとは技術のある人も

早く転職したいということになり、技術はさっさと失われる社会だとか。

朝鮮式儒教という上下の羅列だけにうるさい階級制みたいな礼法があり、

朝鮮半島の憧れは両班なので、労働しないで命令だけする立場にみんな憧れ

現代では会社社長がそうありたい立場なのらしいとか。

それで陶工の技術なんかは、秀吉の挑戦征伐の時に日本に来た人にくらいしか

残っていないらしい。

両班というのが労働しない貴族階級で支配階級だったので、

それが侵入した異民族なのかなと思っていたが。

 

>『朝鮮奴◎』の検索結果
朝鮮の◎婢・奴◎制度 朝鮮においては、起源と発展が他国と異なる奴◎制度であり、高麗時代に完成した制度で、同じく◎婢と漢字で書くが、ノビ(朝鮮語ラテン翻字: Nobi)と読む。 一般的に職業選択の自由、家族を持つ自由、居住移転の自由などが制限されており、一定の年齢に達したり、その他の条件で解放される場合もあった。・・・て書いて有りますよ。
白丁     賤民身分の◎婢の更に下の最下層の人々を指すようになった。
※ すごいですネ。 ◎婢の更に下の最下層 『白丁』信じられます ・・か。

 

性欲凄い。

 

特に白頭山の噴火による大災害とその前後の変化など。

ただ、さげすまれてきた割りには、朝鮮の言葉というのは、

語順的には日本語と同じ並びの膠着語であることはたしかで、

~です。が~ニダ。になるらしいことは、ドラマでも解る。

英語と同じ語順の中国語(I Love youとウォーアイニー我愛称)とはくっきり別。

日本語に一番近い言語はスリランカ方面に残っているとも聞いたし。

そんなずっと被差別民扱いされた文化言語が、

支配民族の言語を駆逐しているというのが、珍しい現象だと思ったりする。

普通は支配民族の言語に寄って行くので、南米はスペイン語になったりポルトガル語になったりしている。

そして英米の世界制覇によって、今の世界共通語は英語になっている。インドなど各部族の言語が乱立している部族社会だと、近代産業用専門用語などはもとからないし、英語を取り入れることがむしろすっきりとまとまりやすかったらしいが。

しかし、百済人は、船を作ったり航海術は持っていなかった。

そこは大陸側に寄っている。

済州島でも海女文化は残るが、造船だの渡海だのはする技術はなかったらしい。

中国大陸半島の文化は全て、海に出られる技術や知識を持たないで来た。

これは海流の向きもあって、日本側から半島側に渡るのは比較的容易で

しかし逆向きは海流の流れに逆らって進むという

かなり難しい高度な操船技術やら知識やらが必要だったらしいこと。

航海術に大いに関わる部分だ。鑑真は日本に渡るのに大苦労。

 

日本人の南方説には、当時大陸と繋がっていた現台湾の半島から

所によっては与那国島が見えて、それは黒潮に乗り、丸木舟だとたどりつけるという

歴史実験がドキュメントになっていた。

オセアニアには、イースター島のモアイという謎もあり、モンゴロイドが海をどのように渡っていったのか、その伝播も大いに興味があるところだ。

台湾先住民の高砂族はかなり日本人との類似もあるらしい。琉球人かな?

 

もっと下れば、天皇に拝謁して、居住を許された移民帰化人が与えられた土地を

三宅と言ったので、三宅先生なんかが、うちなんか元は中国らしいねとか

テレビで言っていた覚えも。石平さんの子孫の何百年後みたいな立場か?

 

しかし、大陸はやはりややこしい。

今もロシアとウクライナは同根の民族で、宗教もロシア正教らしいが、

その宗教の解釈の違いで分かれたふうでもあり、

そして言語は今は半分ほどしか通じないようになっているらしいのだ。


>この黒い山葡萄原人はその後、バイカル湖畔に棲むツングース系民族エベンキ族になった。エベンキは臭い物が好きでトナカイの肉を生で食らい、残酷で不潔な民族として知られている。エベンキは900年程前に朝鮮半島に土着した。

 

(しかし、生の肉を食べないと、ああいう土地ではビタミン不足になるとも聞いた。

生を食べていると、ビタミンが取れるらしい。野生の肉食動物もそうだわな。)

 

また色々と発見されて、新しいことが解ってくるだろう。

特に、北京原人の骨が行方不明になって以降、中国での考古学的な発見の話をとんと聞かない。

ヨーロッパ方面ではいくらでも新しい発見の話があるのに。

 

歴史時代になったら、最近の呉善花教授の講義内容なんかも知る必要がある。

この人はもと済州島人で、鶴橋のコリアンタウンと同根らしいが、

特に知り合いであるとも聞かない。

スカートの風シリーズを三冊ほど読んで、日本で働いていて

だんだんと歴史を調べ始めた経緯を知っているだけだ。

そのせいで、韓国国内には出入り禁止になってしまった人だった。

 

古代ロマンは古代ロマン、歴史ロマンは歴史ロマンであって、

現在の日本のスタンスとか、どことどんな付き合い方をすべきかとかの

現実的な判断とは別の話。

 

どうせ全人類の先祖は400万年前まで行けば、

アフリカ在住のアフリカ人だったのは間違いないのだから。

人類の7人の母とかいうレポ番組がかってあったな。

レポーターの女の子は泣いてたけど、

遺伝子を調べればそんなことも解る時代になってしまった。

恐竜時代のネズミ哺乳類に比べれば誰だって近い。

 

 

 

 

ハングルの真実!!!
1443年に李氏朝鮮第4代国王の世宗大王が、朝鮮愚民に与えた訓民正音なるものは殆ど普及しませんでした。1880年代当時の朝鮮愚民の識字率は僅か数%とあります。
福沢諭吉の門下生で実業家の井上角五郎は命を受け朝鮮半島に赴き、言語体系から構築(日本の漢字かな混じり文をアイデアとして取り入れた)、これが朝鮮半島初の正式な朝鮮文字(ハングル)に認められ、初のハングルによる官報や新聞発行がエポックとなったのが1885年のこと。
1885年以前のハングルによる古文書等は存在しません、政府、両班・朝廷が用いていたのは全て漢文です。捏造の文献等にはご注意を・・・(笑)
また、その後の日韓併合時の日本語教育と共にハングルは普及しました。日本の「漢字かな混じり文」をアイデアに言語体系から構築した訳で漢字習得は必修です。
漢字を廃止しても何とか言語文字としての機能を保っているのは全て井上角五郎のお陰で、もし訓民正音などに完全に戻っていたらハングルなど存在していません。
中国は和製漢字(熟語)の宝庫ですが、漢字を廃止した朝鮮でも和製漢字由来の発音の熟語が多く残っています。
また、朝鮮語の語順が日本語と同じなのはまさにハングルは日本人による創作の証ですね。
その様な朝鮮半島から日本への文化・技術の伝承などあり得ません!(笑)

 

>日帝が朝鮮南北にしでかした悪事
*日帝が朝鮮に入って先ず始めた事は便所を作る事だった、野糞しかしてない朝鮮人であった、それから上下水道を引き綺麗な水にした事だ、無学文盲の白丁達に読み書きを教え識字率を向上させた学校を建ててハングルを改良し分かり易くしたのだ、

糞を薬代わりに喰わせ治療してた朝鮮人に糞を喰うのを止めさせた、現代医学で治療したのだ、そのお陰で24歳という平均寿命を2倍にそれにより人口が2倍に成ったのだ、禿げ山に植林をし農地改革をし鉄道を敷きダムを作りビルを建て橋を作り、

能力社会にして上げたのだ、それによる白丁でも上に上れたのだ、今で言うアメリカンドリームの世界にしてやった日帝だ、投資した金額が60兆円という莫大な金を朝鮮に使った日本なのだ、これを悪事と言うなら、日本にしてくれ、馬鹿者~

(マジ60兆出せたのか?今の円に換算して?それでもすごいな。

よくそれだけ稼げたな。岸田バラマキと言ってても8兆だし、安倍ちゃんの任期の間にあちこち使ったのだって、54兆と言われてる。

まあ、個人預金が2000兆と記事が出てるけどな。なんかおかしい。)

 

>イザベラバードの紀行文もウリジナル翻訳されて出版されている国だし

 

スカトロジーとか言ったっけ?糞便偏愛。

トンスル:美味しいのに・・とかいう書きこみ見た覚え、まだ新しいけどな。

子供用絵本の美談で、孫がおじいさん?おばあさんに食べさせましたという

挿絵も見た覚えが・・。

 

「国の格が下がった」
「昨年まで韓国は、議長国首脳の横であり米大統領の向かいという

素晴らしい席に座る国だったのに。大統領が変わった途端にこれだ」
「韓国の黄金期は終わった。また中進国に後戻り」
「世界での尹大統領の評判はそんなに悪いのだろうか」

 

>あー、なんか各国首相の立ち位置で

韓国が日本より優位になったと騒いでいたアレかぁw
まあ、北朝鮮問題以外で韓国に声が掛かることはないだろうし、

G7も暫くはそんなことにかまけている時間もないからな

 

>相手との関係が上下しかないから
マウントとらないと精神の安定が保てない
保っててこの程度かよ、とも思うけど

 

>日本に対してだけじゃなく韓国人でもお互いにやってる

韓国社会のスタンダードだから絶対に気づかない
マウント取ったり取られたり以外の人との接し方知らないんだから

 

(順位が決まらないと、どこに座るかも決められないとかかな?

上座に案内されなかった、とかの感覚か。

床の間のある座敷くらいでしか、もう?でもな、丸テーブルだって

どこに誰を座らせるかは気を遣うもんだが。

作法とかもあったな。朝鮮呑みの場合、格下のほうが、なんか反意がないことを

見せるために、どういう飲み方だか食べ方するとかあったっけか?

だから、○○リストが徹底的に順位「だけ」に執着してたんかな?

ということは、羽生が平成天皇にメダルを片手渡ししたってのは、

かなり意味深になってくるが?ホラよ。

何だっけ?日本会議?の手前、日の丸だけはやたらアピールするが。

そんなの蓮舫が着物着て見せるようなもの。

毎日の覆面記者が佳子殿下と結婚して欲しいと言ってた夢が・・。

だいたい、今上は学生時代から水問題が専門のはずなのに、

水質汚染の水俣チッソを知らんぷりしてスルーし続けてるし。

水問題はどこいったわけ?)

 

>半万年中華の属国だったせいで、ウリ達は奴隷の身分に貶められているが

心は皇帝ニダという変な自尊心だけは育った模様。
ピーターパンシンドロームもここまでくると重症だな…いつもの事かw 

 

 

あ、やっぱりロシアとウクライナの分離のもとは、正教会の解釈の違いか。

エチオピアあたりが原始キリスト教。新約聖書(キリスト)を認めないのがユダヤ教。ローマで多神教からキリスト教に置き換わり、東西分裂して東方正教会と

ローマ・カソリックに?そのビザンチンの東方正教会が、またロシア正教会と分離して?プロテスタントだのイギリス国教会だの、清教徒だの。

そのイギリス国教会も、アフリカの牧師の扱いだかなんだかで、分離話があったんじゃ?自分たちの感覚にしっくりくる解釈ってのが、社会や時代によって違うだけでしょ?