4日目はマルタの古都ラバトとイムディーナへ行きました🚍

 

マルタ中央部に位置するこの二つの街は、もともとは一つの街で、紀元前800年頃フェニキア人が築いたと言われています。

 

その後、アラブ人により街は中心部イムディーナと郊外のラバトに分割されました。


イムディーナという名前はアラビア語で「城壁の街」を意味するそうです。

 

ここはイムディーナの街がよく見えるフォトスポット📷バスから降りて撮ってもらいました。

まずはラバトへ

ラバトと言えば聖パウロ教会です。

地下には聖パウロが3か月ほど住んでいたと言われる洞窟がありました。

言い伝えによると、捕われの身の聖パウロが乗った船がローマへ向かう途中難破してしまいます。

この洞窟にたどり着いた聖パウロは、身を隠しながら布教活動を行いマルタにキリスト教を伝えました。
 
ここはマルタにおけるキリスト教発祥の地でもあるんですね。

過去にはローマ法王たちもここで祈りを捧げたそう。

 

近くには聖パウロ像を祀った祭壇も。

ここの床もお墓になってるようでした。

ところで、聖パウロはもともとは厳格なユダヤ教徒で、キリスト教を迫害していた人でした。


そんなパウロの前に、昇天したはずのイエスが現れ、パウロの目が見えなくなってしまいます。


するとイエスはパウロに、ある信徒を訪れるように伝えました。


そして、その信徒の祈りによりパウロの目から鱗のようなものが落ちて目が見えるようになったのです。


日本語の「目から鱗が落ちる」の由来は、この新約聖書の「パウロの回心」のエピソードからきているそうです。


近くには第二次世界大戦時のシェルターもありました。


地下にはいろんなものがあるんですね。


次に、すぐそばにある聖パウロのカタコンベ(地下墓地)へ。

隣接する資料館が昔の埋葬について伝えていました。

こちらは昔のお葬式の様子。

泣き女がいました。

遺体をカタコンベ(地下墓地)に運ぶ様子

ラバトにはカタコンベがいくつもあるのですが、その昔支配していたローマ人が伝染病等を防ぐため、イムディーナに死者を葬ることを禁じていたからだそう。


さて、いよいよカタコンベへ降りていきます。

この中央に盛り上がってるのは、アガペテーブルと言って、死者を埋葬した後に家族が食事をしたテーブルです。↓

昔からこの地はお墓なことが知られていたため、骨やら埋葬品は全て何者かに持っていかれてしまったようで、今は何も残っていませんでした。



カタコンベはお墓より洞窟といった感じで、全て石造りなのですごくひんやりして独特な空間でした。


さあ、地上へ戻ります!


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追記


〜聖パウロがマルタの人々に受け入れられた理由〜


漂着したパウロをマルタの人々が焚き火で温めようとしたところ、毒蛇が現れパウロを噛んでしまう。


しかし、パウロはなんともなかったことから、パウロは聖人として受け入れられたと伝えられている。