今回の旅行で最も感動した場所の一つがここ、聖ヨハネ大聖堂の中にありました。

入り口を入ったとこからもう〜煌びやか✨

想像を遥かに超える豪華さでした!


中はこんな感じです。


騎士団員であったマティア・プレッティによる天井画には、騎士団の守護聖人・聖ヨハネの生涯が描かれています。



床一面に広がる大理石のモザイク画は、実はこれ、一枚一枚が騎士団員の墓碑なんです。


つまりこの床下に騎士団員達が埋葬されているそう。


驚きましたが、なかなかお墓という実感は湧きませんでした。

ただ、ちょっと足の置き場に躊躇しましたが…。

大聖堂の後ろ側の壁面

マルタ騎士団の旗を持つ勝利の女神や天使がオスマン帝国軍を踏んづけてます。


主祭壇の両側には、騎士の出身地の言語別に8つの礼拝堂があって、改めてヨーロッパ各地の貴族の子息たちによって騎士団員が形成されていたことに気づかされます。


どれがどこの国の礼拝堂か忘れてしまいましたが、それぞれがホントに素晴らしくて立派です。

礼拝堂の地下には歴代の騎士団長の棺があり、首都ヴァレッタの名前の由来となったヴァレッテ氏(マルタ大包囲戦の指揮官でもありました)も眠っているそう。


そして、この大聖堂の一角には、カラヴァッジョの絵も飾られていました。


ふと、コロナで中止になってしまったカラヴァッジョ展のことを思い出しました…


今やその時の残念さも帳消しです!

『聖ヨハネの斬首』と『執筆する聖ヒエロニムス』

マルタにカラヴァッジョの絵があるのは知ってましたが、こんなベストな環境で見れるとは笑い泣き


観客これだけでしたよ?↓すごい贅沢空間✨

自由時間も私はこの場所にいました。

部屋の内装も非常に豪華ですよね。


この空間にいれることが嬉しかったし、ホントに贅沢な時間でした✨


『聖ヨハネの斬首』は、カラヴァッジョが描いた最も大きな作品で、唯一サインが記されている作品だそう。


首から流れる血潮の先にサインがあるそうですが、知らなくてよくチェックしなかった💧


そして祭壇画であるため、絶対日本に来ることはないそうです。


ローマで殺人を犯してしまったカラヴァッジョは、逃亡先のマルタで騎士団長から、殺人罪の免除と引き換えに祭壇画の絵を描くことを依頼され、出来上がった作品がこの『聖ヨハネの斬首』だったそう。


その後カラヴァッジョは騎士団の一員にもなりました。


しかし、カラヴァッジョの素性をよく思わない騎士団員と喧嘩をしてしまい、また逃亡してしまうのです。


カラヴァッジョも、あんなに素晴らしい絵を描くのに、その気性の激しさゆえにいつもトラブルに見舞われ苦労をする…そこがまた魅力と言えばそうなんですが。


とにかく、マルタに来てホント良かった🇲🇹大満足!と感動したカラヴァッジョの絵でした。




最後に、この聖ヨハネ大聖堂が建築された歴史を書いときます。

 

***

オスマン帝国により領土を追われた聖ヨハネ騎士団(のちのマルタ騎士団)は、1530年神聖ローマ帝国のカール5世よりマルタ島を与えられる。


そしてマルタ島を拠点とし、当時勢力を伸ばしていたオスマン帝国を封じ込めようとした。


1565年、激しい戦いの末、マルタ騎士団はオスマン帝国からの攻撃を撃破!(マルタ大包囲戦の勝利)


この偉大な功績が認められ、騎士団の元へヨーロッパ中のキリスト教国から莫大な寄付が集まった。


その富で築いた建造物の一つが聖ヨハネ大聖堂である。


1587年に完成したこの大聖堂は、外観はシンプルながら内観はバロック洋式の豪華絢爛な造りとなっており、当時の騎士団の財力の豊かさがうかがえる。


✳︎✳︎✳︎メモ✳︎✳︎✳︎

 〜聖ヨハネ騎士団とは〜


・もともとは聖地巡礼に訪れたキリスト教徒の保護や看護を目的とする看護団だった。


・貴族の血を引く者だけが入団を認められ、入団する際には高額の寄付をしなければならなかった。


・長男は家を継ぐため、騎士団員には次男以降が多かったよう。


・マルタ島に拠点を移してからはマルタ騎士団と名乗るようになった。