介護とはちがうけど・・・・

介護とはちがうけど・・・・

自分の中の「優しくなさ」を目の当たりにする日々



 

親ガチャがあるように子ガチャもあると感じる。

 

うちの場合、子ガチャははずれ。

 

果てしなく続く介護でよくわかる。

 

波はあるにせよ、「できない」が増えていく老親を目の当たりにすると

 

日常が真っ黒に見える。

 

真っ暗ではなく真っ黒だ。

 

福祉や介護のサービスはいろいろとある。

 

デイサービス、ショートステイ、宅配弁当、半調理品、

 

ヘルパーさん、訪問医療等、

 

そのサービスを受ける側が拒めば「ない」のと同じだ。

 

「無理やり力尽くで」とまでは今のところは考えていない。

 

まだ「ひどい娘」にはなれない。

 

私が決心できたとき、老親は子ガチャにはずれたと思い知る。

 

介護は兄弟仲を悪くするという。

我が家もなってきている。

同居の私は自分の生活の大半を犠牲にして老親の世話に明け暮れている。

どうしようもない気分になり、兄に助けを求めた。

 

もう少し親身になってくれるかと思った。

 

静かに話を聞いてはくれるが、

「わかった。今からちょっとそっちへ行く」とは言わなかった。

仕事の休日はカレンダー通りではないので、仕方ない。

「自分にも家族があるから、親と同居して世話することはできない」と

はっきり言われた。

 

同居といっても、「ひと月くらい単身で来てもらえないか」と提案しただけだ。

 

要するに巻き込まれるのはいやだということだ。

まあ、他人事にしておきたいのだろう。

その気持ちはとってもよくわかる。

私だってできることなら、二人を置いてどこかに消えてしまいくらいだ。

休日は手伝いに来てくれるというが、してほしいこととできることは違う。

 

母はいう。

「おにいちゃんには来てほしくない。

 気を使って、ごはんの用意をして、ストレスになる。

それに、なかなか帰ってくれないし」

 

そうなのだ。

手伝いにくるというが、昼食なり夕食なりを用意することになり

正直仕事が減るわけではない。

「実家は食事がでてくるところだ」za

と思うのはもう止めてほしい。

そういう配慮が足りない人。

 

私がしてほしいのは

2人分(両親)の昼食と夕食をつくって、さっと帰ってくれること。

 

きっと両親が死んだら、絶縁になるだろうな。

 

介護あるある、残念だが仕方ない。

静岡県での出来事。

70代の男性が入院中の妻と娘を刺してしまった。

2人はなくなった。

そして男性も。

 

娘さんはずいぶんと長い間闘病していたという。

看病疲れなのか妻も同じ病院に入院。

男性も相当に疲弊していたのだろう。

 

だれかそばに行って無理にでも休ませてあげられたら。

もちろんそんな場面は幾度となくあったのかもしれない。

きっと、「大丈夫だから」と

頑張っていたのかな。

「大丈夫だから」と。

 

「だれか助けて」

「だれか手伝って」

「少し休ませて」

「もうできない」

これが言えたら、楽になるのにね。

 

自分を投影してしまう人

結構いると思う。

今日のこの国。