スピリチュアルハラスメントとわたしの神様② | サイキックちゃんとあきこの神仏に会いに行こう

サイキックちゃんとあきこの神仏に会いに行こう

13歳の神仏が視える、聞こえる男の子、サイキックちゃんのママであるあきこが書いているブログです。

 
 
 
「神様はバチを与える、罰する、人を死に至らしめる」
そう考える人には、神様はそう見える。
 
 
 
 
HAPPYさんのこちらのブログは皆さん、読みましたか?
わたし、自分がやられたこと、周りがやられたことと被って
本当に共感しました。
 
 

 

見えない世界の意識たちは
『恐怖で人を動かしたりはしない。コントロールもしない』
カルマなんてない、呪いなんてない。
それを引き起こすのはあくまで己の意識なだけ神様という存在ではない。
私たちはこと『みえない"大いなるなにか"』に脅威を抱きがちで
 
 
これだけ"自分の感覚で生きよう"と
唱えて実践してる自分ですら
30分も『神さまが怒ってる、このままだとやばい』みたいな話しを聞き続けると
 
”自分の感覚で進んじゃまずいんじゃないか”
って罠にコロッとハマってしまう。
 
ってことを伝えたかったのと
 
 
 
 
だからこそ是非ともしっかりと立ち上がってくださいってことを伝えたっかったのです。
 

いくら強く強く意見を言われても
いくら神様だというワードで死ぬ、バチが当たると言われても
 
 
原点に立ち戻ってください。
ぎゅっと胃が掴まれる収縮のエネルギーは
『あなたにとっては真実ではない』

「自分の感覚で生きる」HAPPYさんですら、ぐらつく。
 
 
だから、わたしは、今回恐怖で「ちいさいまつり」が嫌になってしまった人を責めたいなんて全然思わない。
 
 
自分は弱いって思っていた人がいたけれど、そんなことないと思います。
 
 
だって、こっちに進んだら
「死にます」
って言われたら、行きたくないよね・・
 
 
だって、わざわざそれを試すなんてリスキーだもん。
 
 
昔、プロジェクトマネージャー研修を会社で受けたときに
講師の先生がしょっぱなで
「プロジェクトの最大のリスクは、プロジェクトを実行することです。
プロジェクトそのものをしなければ、何もリスクは発生しません。」
って言われたことをぼんやり思い出しました。
 
 
企業にとって、プロジェクト遂行は利益を得るためにやらなかればならない。
もちろんリスクをこれでもかっていうくらいリストアップして
それに対しての対策を考えて、それが費用対効果に見合うかを鑑みてGOサインは出ます。
 
 
でも、死ぬなんて、三次元に生きる人間にとったら、めっちゃ怖い。
リスクだと思ってやるなんてことじゃない。
 
 
でも、わたしはそれが起きないと思ってるから、
リスクだとそもそも思っていないから出来るんですね。
 
 
わたしは
「死なない」
って思ってるから。
 

いつかは死ぬけど、まつりやって5年後には死なないです。
 
 
わたしは、自分で全く不安がないんですよ。
それに、わたしはサイキックちゃん通してアマテラスとお話しているから、だから大丈夫なんだと思います。
 

そういう意味では恵まれています。
 
 
アマテラスから、わたしは愛しか受け取っていないので。
 
 
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アマテラスってある意味、日本における体制の象徴みたいな神様なんですけど、それでも優しいし、サイキックちゃんへの愛、周りへの愛は半端ないですよ。
 

女性性あふれているんですよ。
 
 
あんなにガチガチの体制派のアマテラスがこんなに愛に溢れてるんだから、他の神様はめっちゃ優しいんだろうなって勝手に思っています。
 
 

どちらを感じるのか、どちらの神様を選ぶのかはその人の価値観だと思います。

正しいとか正しくないとか全然ないので。
 
 
バチを与える、
人を死に至らしめる神
 
 
それを信じる人にはそういう神様がいるんだと思いますし。
その人達の意識の集合体ですからね。
 
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ただ、そういう恐怖と不安でコントロールされている世界に生きるのって、とても不自由だなあって思います。
 
 
コントロールされていると楽なんですよね。
自分で考えない、感じない、決断を他者にゆだねる。
でも、それって本当に楽しいのかな・・
 

マインドコントロールから抜けるのって、めちゃ大変ですからね。
そこから抜けたら不幸になるって縛りを与えられているから、抜けるのは本当に大変ですよ。
 
 

HAPPYさんブログの引用続きます。
 
バシャールがモーセの十戒に関してこう記載してますが
現在まで伝わるモーゼが受けたとされる”十戒”は、受け取る側のモーゼのフィルターを通ってやってきています。当時の彼の意識のフィルターには、”恐れ”を基盤とするフィルターであった為、真意が曲げられて伝えられているとバシャールは説明しています。

わたしがこれから述べるのは高校の世界史と倫理の授業の知識レベルと、まったくの私見です。
 
わたしは、なぜ同じ神を信仰しているのに、ユダヤ教とキリスト教があれだけ性質が違うのかなって思っていました。
 
ユダヤ教とキリスト今日は旧約聖書を共有しているし、
絶対神は同じだし、
イエスだってユダヤ人だった。
 
 
それでもあれだけ雰囲気が違う。

ユダヤ教が民族の宗教で、キリスト教は世界宗教というだけでは説明できないものがあるよなって思っていました。
 
 
十戒をモーセが授かったときって、出エジプトの時だったから、過酷だったし、民族の団結が必要だったという時代背景からこういう物ができたのかなって思っていました。
 
 
でも、モーセの十戒はモーゼの恐れの意識のバイアスがかかっていたっていう、バシャールの話はとても納得できました。
 
 
人が受け取る以上、人の意識の枠を超えたものを受け取るのは、かなり難しいと思います。
 
どうしてもその人のフィルターを通して言語化されますから。
 
だから、わたしはメッセージを扱う人の人格はとても大切だと思っています。
 
 
相手をコントロールしない、
相手へのメッセージに自分の問題(恐れや不安)を乗せない
 
 
それはとても難しいことですが、
わたしが尊敬している方たちは意識してやられています。
 
 
そして、わたしは、サイキックちゃんにそれを厳しく教えるつもりです。
 
 
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今、わたしがお話した、神様の在り方も
あくまで8歳のサイキックちゃんの目を通して語られたことです。
そして、わたしの意識も当然乗っています。
 
 
nao氏が会う神様はいつも明るい、ノリノリの神様だし。
 
 
わたしも、他の霊能者さん通じて、神様から厳しめのメッセージいただいたことありますよ。
 

でも、厳しいって言っても、愛しかないし、死とかわたしを恐れさせるとか、全くなかったです。
 
 
 
 
皆さんも、これを読んで、自分にとっての神様をぜひ一度感じて、確認してくださると嬉しいです。
 
 
自分と神様との対話の中に、他人のエゴは入っていないか。
コントロールされていないか。
違和感を感じないか。
自分を他者に預けてしまっていないか。
 
 
これはスピリチュアルの世界では残念ながらよく起こることのようです。
 
 
リュウ博士も「スピリチュアルあるある」だって(笑)

 

 
 
「今回のことは、今後のための学びです。」
ってアマテラスに言われたけれど、正直、経験したくなかったです。
 
 
 
わたしがこれを書いたのは、誰かを責めたいとか
誰がこういうことをしたってことを言いたいのではないです。
 
 
そういうことは起こりえる。
そして、現実に起きた。
そして傷つく人も出た。
 
 
ブログを書いているのだから、それをシェアして、考えるきっかけになってもらうことも必要なのではって思いました。
 
 
 
わたしは、そういう不安と恐怖でコントロールすることこそが「呪い」だと感じました。
 
 
 
 
 
そして、もう一点、皆様にお願いがあります。
 
 
5年後に死んでないことを皆さんにも確認してもらいたいんです!!
 

あきこは、今回のことでスピリチュアルに嫌気がさしたので、5年後ブログを更新し続けている保証は全くないのですが、ぜひとも思い出して、わたしが生きていることを確認していただきたいです。
 
 
 
 
わたしだけでなく、他の関係者、出演者の方のこともぜひ!
(わたしのブログはともかくとして、5年後に続いてらっしゃるブログがあるはずですから!)
 
 
 
 
よろしくお願いします。