「民間事故調」が2月27日に発表した「福島第一原子力発電所事故調査報告書」の要旨を「産経新聞」(2月28日)の記事に沿って全文ご紹介しております。今日は第5回目。

最も「総理大臣の犯罪」と題して紹介している本プログでは、一切、記事内容の加筆修正はしておりません。明日で終わりますから、民間事故調報告書に対する私の見解は、明日にしたいと存じます。そういうわけで、本日も産経新聞記事のまま書いていきます。

「 第10章 核セキュリティへのインプリケーション】=略(これは「産経

   新聞」が「略」としている。)

【第11章 原子力安全レジームの中の日本】=略(同じく産経新聞が「略」

としている)

【第12章 原発事故対応をめぐる日米関係】

福島原発事故は、日米関係にとっては安全保障上の危機管理能力が問われる事態だった。事態が急速に悪化し、迅速な判断が求められた。しかし深刻な複合災害に対する想定や備えが欠如していたため、具体的な対処方法の決定では手探りの状態が続いた。

【最終章 福島第一原発事故の教訓―復元力を目指して】

◆事故は防げなかったか

全電源喪失を起こした11日から、炉心損傷が始まり、海水吸入を余儀なくされてきたその日夜までの最初の数時間に破局に至る全ての種はまかれた。

◆人災―備えなき原子力過酷事故

冷却機能が失われたのに対応が12日早朝までなされなかったことは、こ

の事故が「人災」の性格を色濃く帯びていることを強く示唆している。人災

の本質は、過酷事故に対する東電の備えにおける組織的怠慢にある。背景に

は、原子力安全文化を軽視してきた東電の経営風土の問題が横たわっている。

不十分なアクシデント・マネジメント策しか用意していなかったことを許容

した点では、原子力安全・保安院も「規制調査」を任務とする原子力安全委

員会も責任は同じである。

SPEEDIは放射能拡散予測の「備え」として喧伝されながら、全く宝

の持ち腐れに終わった。文部科学省や原子力安全委員会は「放出源データが

取れないと言う不確実性」を理由に、活用には消極的だった。SPEEDI

も結局は原発立地を維持し、住民の安心を買うための「見せ玉」に過ぎなか

った。」(続く)

2月27日に発表された民間事故調の「報告書概要」を全文、そのままご紹介していますが、その演題は「総理大臣の犯罪」。ちょっとキツイかも知れませんが、本件に関する「管直人民主党総理大臣の責任を追及する」のが目的。

本日はその4回目。

第6章 原子力安全のための技術的思想

原子力技術の米国の動向の追随は、事故の遠因になっている可能性がある。米国の動向を学びながら自主的に対策を追加して行ったものの、我が国に固有のリスクを十分に考慮出来なかった。

第7章 福島原発事故に係わる原子力安全規制の課題

外部事象のリスクを規制関係者がそれほど重大なものとみなしていなかった。

日本の官僚機構は前例踏襲を重んじ、原子力安全の様に常に新しい知見を取り込んで改善・向上させていくものとは親和性が低い。保安院が公務員の通常の人事ローテーションに組み込まれ、専門的人材を長期的に育成するシステムになっていないのに加え、法律や指針の改定には多大な時間と労力がかかるため着手しにくい環境を生む、行政機構特有の性質がある。

第8章 安全規制のガバナンス

日本は国際的な安全規制の標準を形式的には満たしてはいるものの、実効的な安全規制をする能力が不十分で電気事業者に対抗するだけの技術資源を持たない原子力安全委員会、任意的な技術的能力、資金を持つが、安全規制の強化に対して当事者としての責任を果たそうとしなかった電気事業者、と言った様々な思惑や利害関係を含みながら、実践されてきた。安全規制の一義的な責任は電気事業者にあり、保安院は監督、原子力安全委員会は安全規制の指針を作る分業体制が作られていたが、非常時では十分な機能を果たすことができなかった。

第9章 「安全神話」の社会的背景

中央と地方の2つの「原子力ムラ」、がそれぞれ独自の「安全神話」を形成しながら、結果的に原子力を強固に推進し、一方で外部からの批判に曝されにくく揺るぎない神話を醸成する体制を作ってきた。(続く)

2月27日に民間事故調が発表した「報告書要旨」を全文掲載しています。

昨年3月11日に発生した東日本大震災に端を発した福島第一原子力発電所事故について、今日本では政府の事故検証委員会、国会が設置した事故調査委員会、それに民間の立場から、つまり紐付きでない民間事故調の3つが主流ですが、事故後の優団的ヒステリー状態から少しずつ開放されつつある今日、これからも様々な機関、団体が事故調査報告書を出すと思います。今回の民間事故調は、その先駆けを切ったと言う点で大きく評価せれることになるでしょう。

以下、報告書要旨から紹介する。

◆管首相のマネジメントスタイルの影響

管首相の個人的資質に基づくマネジメント手法が、現場に一定の影響を及ぼしていた。行動力と決断力が頼りになったと評価する関係者もいる一方、管首相の個性が政府全体の危機対応の観点からは、混乱や摩擦の原因ともなったとの見方もある。

管首相のスタイルは、自ら重要な意思決定のプロセス及び判断に主導的役割を果たそうとする「トップダウン」型へのこだわりと、強く自身の意見を主張する傾向が上げられる。

第4章 リスク・コミュニュケーション

多くの国民は原発事故や放射線の不安におびえ、血眼になって情報を集めた。

政府は国民の不安に応える確かな情報提供者としての信頼を勝ち取ることはできなかった。曖昧な説明、発表情報の混乱、SPEEDIなど情報開示の遅れが繰り返され、政府の情報発信に対する国民の不安や失望感が深まった。放射能汚染の拡大や住民退避を懸念する海外に対しては、更に脆弱な情報発信しか行われなかった。

第5章 現地における原子力災害への対応

官邸主導の原子力災害対策本部のおける対応の混乱、東電との情報共有不足により各機関が十分に連携した対応を行うことができなかった。

◆SPEEDI

文部科学省は、3月15日以前からSPEEDI計算結果の公表を求められ、対応に苦慮していた。16日に原子力安全委員会に運用を一方的に移管した後は、直接の対応を回避する姿勢に転じた。文部科学省の対応には後日の批判や責任回避を念頭においた組織防衛的な兆候が散見され、公表の責任の曖昧化、好評の遅れを招く一因となった可能性も否定できない。(続く)