記念誌「台日原子力交流―回顧と展望」に掲載された日本原子力技術協会の石川迪夫最高顧問の寄稿文「台日原子力交流の思い出」の続き。

原子力安全が専門の私は、事あるたびに台湾を訪れ、その都度皆様方のお世話になりました。台中地震では生々しい傷跡の残る現地を謝牧謙先生のご案内でつぶさに見て回りました。第三(馬鞍山)原子力発電所の全電源喪失事件、ゲリラ豪雨による第四(龍門)原子力発電所の浸水では、原子能委員会の石門環氏に通訳兼業でのお手伝いをいただきました。おまけにカラオケの上手な台湾の皆さんから日本の歌のご指導までいただいたのですから、感謝この上有りません。

お世話になった方々は、この他にも多数いらっしゃいます。余白も尽きてきたので、逐一ご紹介できませんが、私の拙い著作を中国語に翻訳して下さった元台湾電力の劉振乾氏、もう50年も昔のことですが、発足間もない日本原子力研究所に長期滞在されて、我々若手研究者を指導して下さった陳華先生、台日の交流を語る時には忘れられない方々です。また台湾で行われた最初の国際会議だったと思いますが、1992年の第8回環太平洋会議(PBNC)冒頭で、堂々たる演説をなさった李登輝総統の勇姿は、今もって私の目に焼き付いています。

最後に、深まれば深まるほど交流の価値は上がると言うお笑い話を一席。

第四(龍門)原子力発電所問題の帰り、王金平議長より立派なお土産をいただきました。故宮博物館の至宝・翌玉白菜の模造彫刻でした。それを知らなかった私は、重い彫刻品と思ってそのまま押し入れに仕舞い込みました。後日、故宮博物館を訪れた家内が、翌玉白菜を見て似ていることに気づき、彫刻の摸移栞を買って帰りました。彫刻と比べてみると、白菜の形状寸法がほぼ同じではありませんか。彫刻は押し入れから飾り棚へ移りました。

今年、私は家内と天山南路を旅し、和田の白玉河で玉石を掘る人達の姿を目にしました。その玉石の多くは台湾に輸出されているとの話でした。間違いなく頂いたお土産は和田の玉で作られたに相違ありません。私にとっては、蘭相如が守った和氏の壁です。このお笑いを書きながら、私も相如にならって、完璧な交流役を果たせるようにと願っています。(終り)