私は先週13日(木)から15日(土)まで、5ケ月ぶりに台湾を訪問しました。今回の訪問目的は、14日(金)の午前と午後、次の2名の方のインタビュー取材をすること。インタビューのアレンジから、ご案内、通訳まで全て謝牧謙先生のお世話になりました。私みたいな人間に対して、よくもご親切にして下さるものです。本当に心から厚くお礼申しあげます。
1.財団法人核能科技協進会の歐陽敏盛理事長
2.財団法人中華経済研究院の梁啓源会長
このインタビュー取材の結果は、ホームページの「台湾原子力特報」のコーナーで10月末からご紹介する予定ですが、本日は歐陽敏盛理事長のことについて、ご紹介させていただきます。(私は一昨年11月末に東京でお目にかかる機会がありましたので、今回は2回目でした。)
歐陽敏盛先生は、現在は核能科技協進会理事長として、民間レベルで活躍されていますが、その前の2000年5月から2007年5月まで行政院原子能委員会の副主任委員(副委員長)、主任委員(委員長)を務められた方です。
この頃の台湾原子力界は、民進党の陳水扁総統が2000年10月に建設中の第四(龍門)原子力発電所の建設中止命令を出したり、運転中の6基の原子力発電所についても運転期間を短縮したり、また廃炉を模索するなど、原子力発電が生き残れるかどうかの瀬戸際にありました。従って台湾原子力界の元締めをしておられた歐陽敏盛先生は大変な苦労をされていたと推察しています。
第四原子力発電所の建設中止命令は、当時国民党が多数を占めていた立法院(国会)との間で大激論となり、大法官会議(最高裁判所)の裁定に委ねられました。大法官会議は「行政院の下した建設中止命令は法的に問題がある。」と裁定を下し、陳水扁総統は翌2001年2月に建設中止命令を撤回し、社会的混乱を生じさせたことに対して公式に国民に謝罪しました。
しかしこれで終わりではありませんでした。2003年5月には「非核国家(脱原子力)推進法草案」を作成し、行政院で閣議了解まで取り付けています。
この法案は全22条からなり、新規原子力発電所の建設中止だけではなく、当時運転中の6基の原子力発電所についても繰り上げて運転停止し、「全ての原子力発電所を停止する。」と言うものでした。
幸いなことに、台湾のエネルギー・原子力情勢からして、これらの法案は実現しませんでしたが、日本でも福島第一原子力発電所事故後の「反原子力論調」について、かって台湾原子力界の苦しみを学習すべきではないかと考えた次第です。