私は昨日まで3回に亘り「経済的実利主義」批判をしてきましたが、皆さんの多くは「経済的実利主義で何が悪い」、あるいは「経済的実利主義こそ日本の生きる道」と思っておられるかもしれませんね。
日本には「表現の自由」「言論の自由」があります。ですからどなたでもそれが責任ある言論であれば、日本国憲法も認めています。私も「意見が違う」という理由だけで相手を罵倒したりはしません。相手の意見も尊重すべきです。
私が100歩譲って経済的実利主義を認めるとしても、それだけではいけないのでしょうね。つまりそれに「付加価値」を付けるというか、それを「補完する何か」が必要です。
もう少し私の所論を述べさせていただきます。
もう今から約50年前になりますかね。1957年2月、何回か内閣改造を繰り返した岸首相に代わって登場した池田勇人首相は、有名な「所得倍増論」を展開した人。私は高潔で立派な人だったと思います。
また「貧乏人は麦を食え」と言ったとか、言わなかったとか。しかし私がここで言わんとするのはそんなことではありません。
当時池田首相がヨーロッパ諸国から「トランジスター・セールスマン」と批判されたことです。この時も日本のメデイアは、ただ面白可笑しく取り上げ、事の本質に迫りませんでした。何時もそうです。「事の本質はどうか」「批判の背景は何か」「日本の対応はどうあるべき」など大切な問題はそっちのけで、ただ無意味な批評を繰り返す。だから私はS紙を除いて、日本の新聞、テレビ等を全く信用していません。
またまた話が横道にそれてしまいました。今の私なら「トランジスター・セールスマンで何が悪い」と言うでしょうね。なぜなら池田首相は、単なる「経済的実利主義」だけを掲げて戦っていたのではなかったからです。池田首相は、日本の国の富を増やして、それを国際社会に還元しようと考えていたのです。
戦後の混乱期を指導した吉田首相、岸首相、池田首相、佐藤首相などは、みな立派な方々でしたね。哲学を持ち、私心がなく、自らの信念で国民のことを考えていました。
それが変わるのは、1972年7月に登場した田中角栄首相あたりからです。自分の立身出世と政治的立場を混同されては、国民はたまったものではありません。
今の小沢一郎氏も、言ってみれば田中首相の亜流にすぎません。その教えを後生大事にしている人。可笑しいぐらい、、、。
彼らに共通しているのは、「権力」「金」「人事」「官僚の抱き込み」「身内で陣容を固める」等々。どうです。今の小沢一郎に重ねて見るとよくわかるでしょう。
私が言いたかったのは、「経済的実利主義」とは、田中角栄首相頃から始まった考え方だということ。これでは日本は救われません。どうすれば良いか、明日の最終回はそのことを考えてみましょう。