むかーし、

勢いに任せて書き殴った記事ですが




なっちゃんさんにご紹介頂いたことで、

改めてたくさんの方に読んでいただいており

ありがたい限りにっこり



であると共に、

っかぁ〜、よくもまあこんな拙い記事をアップしたものよなぁ爆笑

と、読み返してみて改めて羞恥心が込み上げる…



ので、本日は

↑の記事に対する補足というか言い訳というか、再考を書いてみます。

(さらに羞恥心の上塗りにならない?だいじょぶそ?)





まず、

あの手のクソコメ屋って

本来そもそも記事にしない方がいい人たちっていうか


なるべく触れない、刺激しない

「危険物注意」のラベリングだけして

そっとフェードアウトする


のが、1番正しい対処法だと思うんですよね。




なのに、あの時の私は

わざわざ記事にしてしまった。


それが正しかったのかどうなのか。

わかりません。



そもそも何故、記事にしてしまったのか。

…正義感?

違いますねぇ。


単に煽り耐性が低いからでしょうね爆笑




全然関係ない話ですけど

かつてTwitterか何かで


政府の子育て支援費増額に反対する高齢者たち


みたいなニュースを見て

思わず大憤慨してしまったことがありましたが


夫に

「あーゆー記事は、国民間の分断を煽ってるだけだから反応したら負けだよ」

と言われたこともありました。


煽り耐性0です爆笑




というわけで

本来あんまり触れない方が良い人たちについて

今日また触れてしまうわけですが。



最近読んだ本の中で

確かにな、とおもったフレーズがあって。




“皆さん、謙虚だし、自己評価が低い一方で、自己愛の方はとても強いんです。傷つきたくない、変わりたくない。”



自己評価の高さについては人それぞれかなと思いますが

自己愛については確かに、強すぎる人が増えたなと感じます。




自分だけは絶対に傷つきたくない

自分だけは絶対に損したくない



だから

自分を傷つける人や

自分より得をしている人は

問答無用で「悪」と決めつけ、敵視する。




敵視するだけならまだ良いのですが。



強大化しすぎた自己愛は

本来コントロール不可であるものを

コントロール可能であるかのように誤認します。

(認知の歪み、でしょうか)



例えば

他の人がブログに何を書くか、なんて

明らかに、自分のコントロールのことです。



自分のコントロールでできる行動としては

せいぜいそのブログを読まないか、

もし読んでしまったら自分の気持ちを癒すために音楽を聴くとか、好きな本を読むとか

色々あります。



それなのに、

自分は何も変えず

他人の行動をコントロールしようとする。

他人を支配しようとする。




これが、

限界を超えてぶくぶくと肥え太った自己愛の

行き着く先なのかもしれません。



最終形態のカオナシのようなものでしょうか。





さて、

そんな自己愛の権化のような人物から身を守る方法は

冒頭に書いた通り

刺激しないで、そっとフェードアウト

が1番かと。




では、

自分自身がそんな自己愛モンスターにならないためには

どうすれば良いか。



これはなかなか難しいと思います。


なぜなら、

自己愛って

外敵から身を守るために身につけた「防具」のようなもので

身を守るために、ある程度は必要なものだから。

ムダ毛のよーなもの。



自己愛をなくす、というのは無理なので

対症療法的ではありますが


自分と他人は違うんだ

ってことを、都度認識し直すくらいしかないのかな、と思います。



自分にコントロール可能な領域と

コントロール不可能な領域をきちんと把握して。


自分と他人を同一視しないで。


要するに

「アイデンティティの確立」

が大事だってことでしょうね。



まとまったかまとまってないかわかりませんが笑



とりあえず今のところ、

私の考えが及ぶのはここまで。