日常のささいなことからも
すさまじい程の気づきを得られている
今日この頃です。


自分に向き合い、気づいたことを書いているノートは、
早いときで、二日で一冊、裏表紙までいっぱいになります。
それだけいろんなものに囚われ、未熟だったということ。


体力もないので、身を削るようにやっていますが、
やりたくてやっているので精神的には辛くないです。


色々気づいたところで、実践しなければ意味はなくて。
気づいて安心して思い上がってはいけませんね。


もちろん、まずは気づけた自分を認める
それはないがしろにできない大切なことです。


「ずっと癖になってた考え」や
「とてつもない苦しみから」
よく気づきを得たね!グッ
って。


けれど、
そこで止まらないで。


切り替えて、
気づいたことを「やる」方へ
意識を持っていく。


気づいたら実践に落としこむ
がセットです。


私もそんな意識で生きはじめたばかりで、
まだ現実は大きくかわっていないし、
誰かを助けられているわけでもない。


気づきが深まる程、
こんな未熟な自分が色々発信するのはどうなんだ
と正直思います。


それにひきかえ、
既に苦しいところを乗り越えて生きている人の
言葉に触れたり、

そんな人との対話、カウンセリングを受けると
やはり説得力があるから、パワーをもらえます。


けど、その場かぎりになりませんか?


「心が軽くなりました!」
「勇気をもらいました!」
「気づかされました!」
って、

よし!やるぞ!ってなっても、
すぐ今まで通りの生き方に結局戻ってしまう。


私はそうでした。



一進一退を繰り返しながら
人は成長してゆくものだけれど、


本当に自分を苦しみから救って変わる人は、
スピーディーに変わっている人が多いなと思ったんです。


もちろん、
ある程度の力を蓄えた過程があるからこそ、


扉が開くように、
爆発するように、
少しのきっかけが引き金になって変わるんだと思います。


じゃあ、その過程は?
どうやって蓄えたの?


そこまでイメージできていないと、
生き方を変えることは難しいです。



「こんなに大変なところから自分は変われたから
あなたも変われます!」


そんな言葉には、確かに希望が持てるけれど、
イマイチ「変わるまでの道のり」がつかめないから

具体的にどんなふうに積み重ね、
どんな感覚が伴うのかを想像できない。


想像できないことは、
なし得難いです。


なぜか?


その道のりに伴う「辛い側面」を
なんとなくでもイメージできない
覚悟ができないから、


“こんなはずじゃなかった”と
心が折れてしまうからです。


覚悟できていないと、
「壁」や「問題」と感じる現実が
目の前にやってきたとき、


生じる痛み、苦しみに意識がフォーカスされて
目的を見失ってしまうんです。


もしくは、
望みよりも、
痛みや苦しみ
ベクトルが傾いて
無理だと判断してしまう。


そうすると、

「こんなに苦しいのは」
「こんなにうまくいかないのは」
やっぱり自分だけじゃないか
自分には無理かもしれない

って
今まで通りの生き方に戻ってしまいます。



「乗り越えられたから言えるんだ」
「こっちは苦しい渦中にいるんだよ!」

って、多少なりともなりませんか?
私が頑固で皮肉屋だからかな?


でも、
自分みたいな人ってきっといるはず。


乗り越えられた人は特別なんだとか、
そんな人と比べて自分が情けなく感じたり。


でもきっと、
辛いのを乗り越えて
自分の人生を歩み出したその誰かも、


そういうもどかしさや
ままならなさを乗り越えて今があるから、



焦ったりムキになったりしなければ、
ちゃんと結果はついてくるから、
自分を信じてやるだけですキラキラ



少しずつだけど、私は実感できているから、
そんなことをこうして伝えています。


少しずつを積み重ねると、
ある時から急激に変わり出すんです、きっとウインク



確証なんかなくても、
自分の人生は好転するという予感は
ずっとありました。

でもその予感を裏切る生き方ばかりしてたら、
実現しなくて当たり前です。


だから、


思考や解釈を整えて
これまでと違う選択で生きて
結果を出していく記録を残そう。


望む人生になっていく過程を
自分が発信すればいい。


そう決めて始めたブログです。


根拠より、証拠より、
内側からわき出るような予感は
何よりも確かだと
自分の人生でもって証明します。


根拠や証拠は、はじめからあるんじゃなくて
予感を信頼して動き出した結果、
ついてくるものだからです。


そうして書いてるものを、今の私のように
苦しんでいる渦中にいる誰かがたまたま見つけて、


“こうやっていけばいいのか”って、
なんとなくでも想像できたり、


辛さに向き合うきっかけに
少しでもなることができるかもしれないから。




これは私の府に落ちた捉え方でなので、
一人一人解釈はあって然るべきと思うのですが。


「苦しみ」って、
どう扱うものだと認識していますか?

「苦しみに向き合う」って、
どうすることだと思いますか?



▶ただ、時間がたって、
動けるようになるまで、苦しみを感じ続ける。
→これは、自分に我慢を強いてるだけです。


▶ポジティブな解釈に書き換える
→無理な解釈の変更は、結局押し付けですから
自己否定になってしまいます。


▶苦しみを紛らわすように、現実逃避する。
→ダメージを負った心、精神、肉体を
ケアすることになるのですが、
その前にやることがあります。



「なぜ」苦しいのか?
どう思っているから、
どう感じているから、
どんなことに板挟みになって混乱しているのか。

それにフォーカスすることです。




辛さから逃げて慰めるための「現実逃避」は
自分の辛さをやわらげようとするため
どんどん際限がなくなり依存的になりますが、


しっかり苦しみに向き合って、
物事の解釈を自分のしっくりくるものに捉えなおし、


軽やかになった後に「現実逃避」すると、
楽しみの範疇に収まり、自分のケアになってくれます音符


破滅的なところまで求めなくても十分満たされるから
ブレーキが無理なくかけられるからです。


これに気づいて、
メリハリとか切り替え
ってそういうことだなぁと改めて認識することもできました。


やることやってすり減らした
ご褒美、チャージ、癒しのために


非日常に自分を連れ出してあげるキラキラ
これ、最高です!




感情を優先して生きるのに慣れてしまっている人ほど、


自分の不快感、怒り、満たされなさなどを
正当化しようという思考
がどうしても働くので、


辛さに向き合うことは
慣れるまでとても苦しいです。



3年程前、
ついにベッドから動けなくなり、
自分に向き合わざるえなくなって、


2~3日食事もできない、眠れない、
それを頻繁に繰り返し、


数回救急車のお世話になってしまったり、
持病を悪化させたりを経て、


やっとここ数ヶ月、
いろんなコツや、感覚がつかめてきて、
深いところから癒えてきていますクローバー


少しずつだけれど、確実に、
目に映る世界も変わってきていますダイヤモンド


こうやって、少しずつ、やっていくものなんですね、
何事も。


人と比べることは、
焦りや自己否定になるだけだから、
それをしている自分に気づいたらすぐ止めて。


自分と向き合い、
解釈を整えることに集中すれば、


多少時間がかかっても、
確実に息苦しさが癒えていきます。


ケアしながら、
リラックスを心がけながらやっていけばいいんです流れ星




私は物心ついたときから快眠したことがなく、
ずっと体調が悪かったのですが、


気の持ちようだ!甘えだ!
と親から理解されず、

(死にかけて入院をしたときは
「警察のお世話になることさえなければ、親より長生きしてくれるだけでいい」
と思ってくれたのにまたすぐそっちの根性論に戻ってましたしょんぼり


体調が優れないのをごまかしているうちに、
まともに生活すらできなくなり、


生活保護を受給させて頂き
現在、生活しています。


今だって傍目からみたら、
だらけてるようにうつるだろうし、
ろくな生活をしてるように見えないでしょう。


それでも、
悪夢で目をさまさなくなった、
睡眠のリズムは人それぞれだということを許せた、
ストレス食いがほとんどなくなった、
てんかんの症状がしばらく出ていない、


など、細かく上げたらもっとありますが、
これらは本当に大きな進歩です!


心療内科や、精神科を受診しても
改善しなかったそれらが改善されていっています。


精神医療は助けてくれないとは言いませんが、
必ずしも万能で最善とは言い難いと思うのです。


それが最善なら、なぜこんなに
うつや、ひきこもりなどで苦しみ
病んでいる人で溢れているのでしょう?


各々が気づいて、
長いものに巻かれるような生き方を改めて、


自分の軸で生きはじめることが、
一番の特効薬になるのではないかと感じますジンジャーブレッドマン



私は、
家族に対して過干渉で依存心の強い両親に
支配されるように育ち、


それは成人しても変わらず、共依存に陥り、
そこから解放されてきたのは、最近のことです。


人は一人では生きられないから、
「お互い様」で、己の持つ力を出し合って、
尊重し合うから生きてゆけますが、


お互いを牽制し、抑圧し、何かを押し付けることが
「お互い様」ではないです。



律すること
押さえつけること
まったく違います。



律することは、
バランスなどを考えて出す分量を調整し、
ある程度出したらけじめをもって締める。
そんな感覚が、律するということ。



今の社会の常識は律すること
押さえつけることのように
解釈する人がまだ多いように感じます。

 
「ダメだからしてはいけない」
教育などの刷り込みで、
自分にそうおしつけているから、
人にもそれをおしつける。


けれど、
人は生物ですから、


本能、欲求、
そういう自然発生的な
押さえつけられないものを
持っている。


ごく当たり前の、普通のことです。
人体の構造、システム、性能です。


なのに無理やりに抑えこむような
否定、禁止、断罪をするから、
他のところにしわ寄せがいくのです。



「みんな苦しくても我慢してなんとか生きてるんだ。」 
そういうものだ、それがお互い様だ、
と親に言われてきました。


だから我慢しろ、目上の言うことはきくものだと。
それが「素直」だと。


どう考えてもネガティブで、
人間の尊厳も何もないですよね。


そんな思考の人達だから、
家庭内や、下に見ている相手にくらいは、
自我を爆発させないとバランスが取れなかったんですね。


もちろん、それだけではないのはわかっていました。
だから強く言えなかったのもあります。


子育てというもの自体、どうやったらいいか
手探りで、働きながら必死にやってくれていたんだ、って。


それでもやっぱり、
ちゃんとぶつかることは必要だったんです。



少し前までは、親の感情のご機嫌とりをついしてしまっていましたが、
それをやめて、
きっぱり「NO」の姿勢を伝えるようにしていったら、


どう接していいかわからなくなったようで、
会いにきたり、連絡する頻度は格段に落ち、


会いにきても、
気まずそうにしてすぐ帰るようになりました。


私達親子は、現在調整中ですモグラ
でも、これでいいんだな、と。


そうやって、他者との適切な距離感というものを
掴んでいくんですね。


人付き合いに疲れ、現在ほぼ人と会っていませんが、
どうりで、人との適切な境界線が
わからないわけです。


最初の人間関係である親との関係性において
他者との健全な距離感を学習できていなかったのですから、


さらに人間関係が広がったとき、
うまく関係が築けなくて当然です。


[家族]、[親子]という
人間関係の基礎があって、
その先の人間関係は応用ですから、


基礎でつまずくと、
やっぱり応用編は“難問”に感じてしまうわけです。



もっと早く親とこうなれていたらよかったのに、
親の支配を甘んじて受け入れていた私にも
原因があったのです。


こうやって、少しずつでも
自分次第で現実は変わっていきます。

 
苦しみにのまれないで!
苦しみは、
ドクロではなくて、
案内人です天使



『何で苦しいんだと思う?
どの解釈が、
自分に抗って、
押さえつけて、
無理強いしてるんだと思う?』



そう教えてくれているだけです。
そこに気づけたら、苦しみはすぅーっと鎮静化して、
繰り返さなくなっていきますからキラキラ



自分の声を発掘してあげることができたら
あとは、どう自分の“外”と折り合いをつけるか。



[自分][自分の外]
との着地点、中庸
必ずありますからね!


それが
自分が生きる上での軸となること、
「自分の普通」です!


それを持って生きれば、
無駄にパワーを消費せず、
くよくよ悩んだり妥協して後悔したりはなくなっていきます音符


たんたんとやるだけです。
苦しみに力を与えないように。
苦しみというものを大袈裟にとらえないように。



心の辛さ、苦しみの対処は、
とにかく


『自分におしつけることで
自分の心の声に抗ってまで採用している解釈
苦しみがわき起こらない解釈に整えること


これだけです!



「これだけ」のことが、とても苦しいんですよね。
でも、そういうものです!


虫歯の治療って痛みが伴うものですよね。
本当にそれと同じことです歯


「そういうもの」って認識してないから
自分はかわいそう、ダメな人間だ、などと
苦しみに理由をつけます。


放置しただけ強い痛みがあるけれど、
放置した自分の責任ですから、
それは覚悟して。


(自己責任という言葉は、本来こうやって、
律っしたり注意喚起したりに使うと思うのですよね。
「自己責任だろ!」などと人を断罪するためではなく。)


『あまりに“痛み”が強く、一人では立っていられない』
そういうことは誰にでも起こり得ます。


そんな時のために
医師やカウンセラー、セラピスト
などの方々がいてくれるのですから、
そこで力を借りればいいんです!


ただただ
「辛いからどうにかしてください」
苦しみを取り除いてもらおうとしても
そうはいかないのが、精神や心の苦しみです。



そもそも自分をしっかり掴まえてあげないから
起きています。
自分を愛するハートということですね。
まずはそこからだって気づきました。


プロの力を借りることで、そこにたどり着ける方も
もちろんいるでしょうが、
その為には人に言いたくないような部分も
さらけ出す必要も出てきます。


それってかなり勇気がいるし、
なかなか難しかったりする。


だったらやっぱり、ある程度は、
自分で自分のことを掴まえてあげると
治療も進みやすくなると思うのですよねハート


精神や心の問題は、肉体の問題以上に、
他力本願ではよくならないものです。


だって、自分の人生そのものだから。
直結しているものだから。
自分が気難しい奴だったから気づけたことです。


どれくらい辛いか、本来はどんな価値観があるか、
それは本人しかわかりません。


それなのに、『辛いんです!プロならどうにかして下さい!』
甘えです。


心を扱ってる方々は
『痛みをとるプロ』ではなくて
『痛みに対する対処法や技術、
知識のある方々』なのですから、



そのアドバイスやサポートを受けて
“痛みをとる”のは
自分自身でやることなんです!


肉体の病気と違って、
目視で決定的証拠はほぼないのですから、


「助けてくれ」と丸投げされたら、
薬を出して様子をみるなどしかできないし、


信頼されなければ
治療する側もしてあげられることは
限られます。


疑心暗鬼の塊の私が、
最近このことに気づいて、


もう少しプロの力を信頼して
サポートを受けようと思い直すことができたんです!


なので、しばらく遠ざかっていた心療内科に
来週久しぶりに伺うことにしました鏡


自分の精神、意識ですからね。
プロの手を借りたからといって、
自分はほぼノーダメージで
いつの間にか楽になっていたりするようなものではないです。
 

一時的に薬や表面的な気づきで
解消できたように感じても、
また沸き起こってくることにおそらくなります。


「今まで辛い思いをしてきたから」といって、
誰かや何かとの出会いで急に痛みから解放される
そんなうまい話はありません。


自分主体で、
ちゃんとその辛さに向き合って対処してきたか


誰かや何かに出会うことで
人生の拓ける人とそうでない人の違いは
そこにあるんだろうなと思います。


精神や心の問題は、
肉体の病のように物質にアプローチするのでなく、
その人自身にアプローチするもの。


だから、自分が正面から向き合う意思や、
自分のことがある程度把握できていないと、


なかなか自分にとって信頼できる
医師やカウンセラーなどの専門家の方
などに出会うことも、
治療を進めるのも難しいと感じました。


ですから、
どんな治療やケアをするにしても、


“落ち着いている状態とはこういう感覚か”
と自分を慣れさせる意味でも


自分に向き合い素直な自分を受け止める
ことは、ある程度できておく必要があると思うのです。


落ち着く感覚になれなければ、
自分を客観的に捉えることも、
理性的な思考をすることも難しいから。


病気などの事情がないならば、
基本的には、年齢をある程度重ねれば
身の回りのことは自分でしますよね。


ご飯食べたり、お風呂に入ったり、
大事をとって休んだり。


肉体の扱い方があるように、
内面にも
基本的な扱い方があるのは当たり前だなと
ふと思ったのです。


その内面の基本的な扱い方というのが
自分に向き合い、しっくりいく解釈に整える
ことだと思うのです。


肉体が成長するように、
内面もそれをできる能力は解放されているから、
あとはやるかやらないかだけなんです。


最近よく言われていることですが、
「人間は文化や技術が発達したのに、
脳の使い方は昔のまま」というそれ。



“自分に向き合う”のは
脳の使い方として“基本”
ということを知って実践していることが、
成長した脳の使い方です!



自分を生かして生きている人達は
それを当たり前にしているから、
充実した日々を送っているんです。


今までそれをしてこなかった人にとって
馴染むまではとても辛いことですが、
何だってそうです。


感情がダイレクトに関わってくるから
余計に[辛い]と認識してしまうだけです。



いつまでも古い脳の使い方に甘んじて
苦しんで嘆いているだけの日々を
もうやめませんか?



自分に向き合うことを繰り返していくと、
「苦しみは普通にあるものだ」って慣れるし、
回復も早くなっていくし、
苦しみで身動き取れなくなることは減っていきます。



自分を信じてやっていきましょうキラキラ
怖くないし、
悲しいことでもない。
生きてるってことです星



「普通」という解釈を基準に自分をとらえたり、
誰かと比べるから、自分は異常だ、劣っている、
どうしようもないという認識になってしまうんです。


自分自分以外の境界線を意識して。
[自分という個体]
ペースや“普通”は
自分独自のもので、


他者には他者の
ペースや“普通”が
内蔵されている


と認識し直したら、
比べたりしてもどうしようもないとわかるから、
自分に集中しやすくなりませんか?


「普通」というエゴから生まれたような不確かな基準から
「自分」を解釈するんじゃなくて、


「自分」にとっての
「普通」ってなんだろう?
を掘り起こしていく作業


それが、
自分の軸をしっかりさせて、
自分を生かして生きることに繋がります!




苦しみから解放されるために、
苦しみと向き合うんです。


できますからね


ゆっくり

焦らず乙女のトキメキ





スライム本日から[公式ランキング]に参加しています。

ブログを書いている理由や、目的がいくつかあるので、
どのランキングに参加するか決めかねていたのと、
ひっそりやるのもいいなぁと参加を見送っていたのですが。

目的の一つが

辛さの捉え方を変えると
“生きるってこういうものだ”と
いい意味で諦めがついて
自分らしく生きるという本来の感覚
気づけて生きやすくなる

ということを伝えることです。

まだまだ私も自立に程遠い、
スタートラインにさえたっていない状態ですが、
その渦中にいるからこそ発信できることもある。

苦しい感情や感覚で身動きがとれなくなっている方々が、
一人でも多く
その苦しみから抜けるきっかけの一部にでもなれたら、
という意味で、今回は
[闘病]▶[メンタルヘルス]
の分野に参加してみました。