前回の記事で、七夕の短冊に
「優しさ故に生きづらい人がしなやかな人になれますように」
ということを書きました。


自分を含め、全ての人がそうなれることを、心から祈って流れ星


だからこそ、
まだまだ自分が未熟なことを承知の上で、
身をもって気づいたことを発信しています。


年内中に、もう一歩、
人様の人生に突っ込んだアプローチで
サポートさせていただきたく準備中です。




“自分の軸を手に入れて、しなやかに”
こういうのって、
言葉で見聞きすると


そう生きれてる自分の姿だけをイメージして、わくわくして、
簡単にラクにそうなれる気がしてしまいます。


または、「そんなの綺麗事だ」と
想像することも無意味であるかのように、
疑い、否定して
「自分の人生には関係ないこと」と
あきらめ前提で切り捨てたり。



だから、 
苦しいループから抜けられず


自分の軸で心地よく生きる感覚に気づく前に
挫折したり諦めてしまう人が多いのです。
自分がそうでした。


わくわくするのは大切だし、必要なきっかけです。 
そこから全てはじまります。


けど、それと同じように、
辛いと感じることも当たり前で、
必要な過程なんですハート



気分や感情がネガティブな状態になることを
不幸だと認識しているから、
すぐ諦めたり、やる前から挫折したりしてしまうことに…。



楽しい、嬉しい、心地よい
それと同じように
辛い、悲しい、ムカつく
それも起こるべくして起きる感覚や感情であるだけだから、


そこから
自分の「未熟なまま育っていない性質」
ニュートラルな解釈
それらに気づくこと、ただそれだけです。


どれだけ強烈な苦しみがあっても、
結局ただそれだけのことでしかありません。



心地よくて楽しくて嬉しいと感じることばかりの
そんな現実はあり得ません。
 

そんな人生を生きてる人はいない
ということが府に落ちると、
嫉妬や被害者意識から解放されていきます!


これもまた、苦しい作業ではありますゲロー


けれども、それを本当に理解して実践している人が、
「幸せそう」
「恵まれている」
ように自分の目に映っていただけであることが、
観えるようになってきました。


辛さや怒り、悲しみなどを
その都度理性的に対処している(=乗り越え、気づく)から
スムーズに生きれているように見えるだけだということをクローバー



物理的、能力的に「優れている」ことも、
それを絶対的価値のように思い込むから、
自分がちっぽけで惨めに感じるだけ。



豊かさ
というものの解釈が、


精神的意味合いとバランスをとって
認識し直され始めたことからも、


これまでの優劣の価値基準が、いかに
「快感」や「物理的完成度の高さ」
でしか捉えていないものだったか、


気づく人が今後ますます増えて、
平らかな世界になっていくのではないかと想像しています!


なので、その流れに乗ってサーフィン
“正しいっぽい”ことに囚われないこと。
結局はそれが、幸せの秘訣だと思うのです。


筋肉が同じ姿勢でばかりいたらすぐ固くなるのと同じ。
広い視野で物事をとらえることを意識しないと、
いつの間にか、ものの見方は何かに囚われているものです。




禁止
抑圧
制限
おしつけ
が自分に強く働いている人程、


他人にもそれを向けてしまうし、
許せる範囲がせまくなるから
周りの反応を否定的に受け取りやすく、


自分はないがしろに扱われていると感じ
怒りや猜疑心ばかりになってしまいます。



しなやか
というのは、とても平穏な状態ですが、


感情的だったり、
否定的だったり、 
興奮しやすかったり、
そんな反応や思考が癖になっている人程、


自分軸をしっかりさせ、しなやかな人になっていくためには
とてつもない苦しみを何度も何度も繰り返し感じることになります。
でも、そういうものなんです。


道のりに苦しさが伴うことが
自然なことだとわかっていないから、


「自分らしく心地よく生きるなんてやっぱり綺麗事じゃないか」
なんて、挫折してしまうのです。



そうならないために、
自分の未熟さを受けいれることです。


「未熟で、平穏な心地には程遠い状態なのだから
今は苦しくて当たり前」と。




苦しさに出会う度、
しっかり向き合って乗り越えるからこそ、


心地よく軽やかになっていく
しなやかな自分になっていく
そういうものだって気づきました流れ星



辛いのムリ…
なんて考えるのはもったいないです!
自分が乗り越えられる辛さだけしか起きないようにできているから。


その辛さを一つ一つ乗り越えていくごとに、
自分が心から求めている現実に
一歩一歩近づいていくんだよ!ということですアップ


だから、「生きるって辛いのか…」と
絶望するようなことはまったくなくて、
とても自然なこと。


自然の摂理黄色い花というだけ。
現実に起きることを感情で捉えるから絶望してしまうのです。


苦しいのも当たり前という理解
自分を支え、救い、成長させることになります。




ずっとみないようにしてきたもの
ダメなことにしてきたものを
受け入れようとすると、


意識、心、身体は、
今まで通りの慣れた反応、基準を採用しようと、
全力で反抗してきます。
(実際は、今まで通りやろうとしているだけですが。)


それが、
苦しみの正体であり、
自分を扱えていないという証拠でもあります。



だから、「辛さ」は
まったく脅威に感じることはないんです。 



“今まで通り”を変えることは
痛みが伴うし、もどかしかったりして
辛いけれども、
なじんでくるまでの辛抱。
ここが踏ん張りどころですキラキラ


苦しさに絶望せず、呼吸を意識して
(苦しいと感じてるときは呼吸がろくにできていないので)
少し冷静な部分をつくることで


「よし自分に向き合うか」というスイッチ、
覚悟、心構えみたいなものができます。


未熟な自分を扱い、しつけ、 
ニュートラルでバランスのとれた価値観や感覚に
自分をなじませることの
最初の段階です。


「今」のしんどさにのみこまれないこと!!



“自分の苦しみは誰もわかってくれない”
などと
自分の人生を嘆く解釈で止まらないで。



そこで止まると、感情
自分の人生の主導権を握ったままになります。



感情は、生まれたとき、思考を得るまえから
既に伴走してくれていたから、あたりまえすぎて、
意識しずらいのです。



だから、「感情の反応は仕方ないじゃないか!」
ってその反応に従順な自分を正当化してしまいます。



けれども、生物的に成長していく中で多くの人が、
思考とか、理性とか、欲求とか、嗜好とか、



いろんな能力、性質が次々加わって
感情と同じように自分の人生に伴走してくれているのです走る人走る人走る人走る人走る人



より自分の求めるものをしっかり掴むため、
よりベストな判断ができるための材料になってくれる、
心強い味方ですキラキラ



感情を含め、それらを律することで
“自分の内側”はおだやかになっていくのですブーケ2



けれど、想像してみてください。
生まれてすぐ感じられるのは
感情だけ。


そうすると競合の存在がないから、
感情は常に一人勝ちでわがまま放題できてしまいます。
だから、いつまでも感情的な自分のままなのです。



それが、
他の“伴走者たち”の力をつかうことで、


スタート場所に他より早くついていただけの
せっかちさんなだけで、


「絶対的な存在」ではなく、
自分”という世界の「一員」であると
感情に教えることができるのです。


なんだか感情って
「自分の方が先に生まれたから偉いんだ!」
と言う人に似ていますね。


感情を優先しているのは、
その横暴な理屈を支持しているようなものです。



ただ、その“伴走者たち”も、
自分が受け入れ体制を整えてゴーサインを出すことで
伴走し始めてくれるわけではなくて、


無意識下で解放されるようなものだから、
しっかり自分に向き合ってその存在に気づき、
まるごと受け入れて整えることをしないと、


力になってくれるどころか、
自分の内面はさらにとっちらかって
生きづらく苦しくなるのです。


だから、
自分の認めたくない性質も認めることで、
力まなくてよくなり、無駄な力の抜けた
上質な自分にしていくことができるのですねダイヤモンド



自分の中のたくさんの性質に気づいて
認識し選り好みせず受け入れてあげないと


気づけ!
認めてくれ!
とそれぞれがお行儀悪く自己主張し続けるから、


自分の中で
“欲望に素直になればこう望むけど”
“理性で考えたらだめだよなぁ”などと悩んで


結局他人軸で選択し、
欲求不満を重ねることになってしまったりします。



自分のいろんな性質を受け入れると、
総合的な判断からのベストな着地点
を見いだせるようになり、
納得のいく選択ができるようになっていきます!




感情優先で生きることは、
世界が広がることやそれによって
関わる人も必然的に増えること
を受け入れられず


[最初からそこにいてくれた人]
[そこにあった世界]
にいつまでもしがみついていようと


“怖い”
“嫌だ”
と駄々をこねて
狭いところに籠っているのと同じ状態と言えます。


広がっている世界(=認識できること)
をみてみないふりをするのは、不自然なこと。


生まれたからには
世界が広がっていくことは
年を取ることと同じに抗えない必然。


世界が広がることで
関わる相手(=自分の多様な性格、性質、思考の仕方、好みなど)も増える。


これは成長している証で、与えられたギフトのようなものだから、
「煩わしい」「迷わせないでくれ!」と野放し状態にして 
ないがしろにするのは、本当にもったいないことです。


せっかく与えられたギフトプレゼント
自分の味方、一部なのだから、


ちゃんと認識して整えてあげると、
しっかり頼れる自分の能力として機能してくれるようになります!


世界が広がり、
扱うものが増えて複雑になる程


悩みや煩わしいことも増えるけれど、
楽しみや喜びも増える。


なのに、負の側面にばかりに意識が持っていかれるのは、
不快感のほうが、
快感より、
脳に強く残るからです(生存本能が働くから)。


それだけのことだと、
脳のその性質を知っておくことで
苦しみを客観的にとらえやすくなりますキョロキョロ



脳にそんな性質があるからこそ、
しつこいくらい物事のよい面を
意識づけるといいと思います。



『安心して大丈夫。
怖いことばかりじゃない。
慣れてないことは想像できないところも多いから怖いだけ。
選択肢が広がって、自由度が高くなることが、
心の奥深くで一番の求めていたことでしょ!』
というように。



辛いという感情を感じなくていいように、
現実逃避したり、何かや誰かに原因があることにすると、
かえって辛さから抜け出せないということを
嫌というほど思い知りました。



なぜ
“ある現象”に対して
“そのような感情”を抱くのか。
そのことが「苦しくて嫌」と感じるなら
なぜそれを繰り返してしまうのか。
その“難問”をクリアしないと、
「そいつ」から解放してもらえないんです。


逃げることでなくなってくれるようなものではなく、
むしろいつまでも追いかけてきますしょんぼり


苦しみから解放されたいからこそ、
物事のよい面をみつけながら
そこに向き合うしかどうやらないみたいです流れ星


とても苦しくて、とても心身をすり減らすことだから、
当然、しっかりケアしたり休んだり、


楽しいことに使う時間も持って、
切り替えながら焦らずやっていけば、


のバランスがとれて
毎日充実していると感じることになるはずです音符



難題(=苦しいこと)をクリアして自分を成長させる。
望んでいるような心地よい世界の中に自分を生きさせてあげるには
結局それしかないのだろうと思います。


「私はまだ自分のこんなところも受け入れられてなかったのか」
と気づくたび、


成熟するまでの道があまりに途方のないものに感じて
もどかしくて焦ったり、


今までの自分の未熟さに気づいて恥ずかしいし、あきれるし、
次々やってくる「壁」にうんざりしたり。


けど、きっと誰しもそんなものです。
「のびしろ」がまだあるということでもあるんです。



完璧になることなんてないという当たり前
それをいつも思い出せば

「また感情基準の解釈になってた!
あせらず積み重ねるしかないんだったショボーン
という意識に戻れます。


自分に素直に
無理せず生きてることを想像して、
心地よさや、嬉しさを感じる。



そこからすべてはじまります。
けれど、



その状態に到達するには、
分が未熟である程、強烈な苦しみが伴うものだ
ということも同時に覚悟するのもセット。



自分の中の相反する部分や、
自分と他者との違うところ
社会や家族の中の自分など、
バランスをとるってすごく難しい。



そして未熟な分、
目指す現実に見合う能力がついていない分、
そこまでの道のりの辛さも相当なものになる。


けどそういうものだから
嘆いてばかりは損です!


未熟な今の自分からみて“遠い場所”でも、
魂がそこを求めてやまないのだから、


怖くても、なかなかうまくいかなくても、
そちらを目指すほうが、

きっと未来の自分は
満足感や充実感を人生に感じることができていると思うのです流れ星


今の未熟な自分では
望むものを手に入れられないなら、
未来の自分に手にいれてもらえばいいことですキラキラ


その為に、
今の自分決断し、選択し、努力を積み重ねること
望むものを手に入られる未来の自分を育てる唯一の方法です。


その道のりの辛さや苦しさが強烈でも、
他人からは頑張っているように見られなくて評価されなくても


ある意味あたりまえなのだと
ある程度覚悟できている頼もしい自分なら


『辛い。しんどい。苦しい。痛い。誰か助けて!
でも、とてつもない苦しみってこれのことかDASH!
って、乗り越えられるようになります。



ここに気づくまで、私は本当に時間がかかりました。
元々の性質が臆病で甘えん坊な人間だから、
いちいち大ダメージをうけてしまいますが、


辛くなったらそういうことを思い出せばいいと思考するようになって、
切り替えもスムーズになってきましたピンク薔薇


どうせ
不快感や辛さなどにパワーを消耗することになるのだから、


結局自分の思うように変えることができない
相手や何かに意識を向けるより、
自分に向けたほうが建設的で有意義ですウインク


自分に向き合うことに伴う辛さは、
乗り越える度に、
自信や安心感や癒し
自分に与えてあげられます。


けれど、辛さの原因を自分の“外”にあることにすると、
不快感や不信感を延々繰り返すことになってしまいます。


その分、強い刺激でなければ、快感を補えないから、
依存症や、
迷惑行為になってしまうほどハメを外したりすることに
つながってしまうのだと思います。


イライラ満たされなさ
人のせい、世の中のせいにするのは、
赤ちゃんと同じです。


「不快であること」を
泣いて気づいてもらって
お世話してもらってた頃と。


気分や感情も同じ、
自分でどうにかしようとする。
それが、“精神的な大人”です。


年齢、肉体の成長は止まってくれませんから、
精神(内面)も育てていくと


バランスがとれて生きやすくなる
ようにできてるんだと気づきましたキラキラ



“なぜそう感じてるのか”にフォーカスして
客観的にとらえ、適切な対処方法を得る
ということが必要なんです。


どんな物事も
適切な対処の仕方がわかってたり、
扱える能力や技術があると、
大してパワーを消耗せず対応できますよね。


気分や感情もそう捉えればいいんですグッ



言葉や知識が身に付いても、
わかってもらえるように
理性的、理論的に伝えよう
という意識が育っていないと


怒って、反抗して、攻撃するような表現
を感情のまま外に向けてしまいます。



それでは、
同じような不満を持つ人の共感は得られても、
伝えたいことがその対象に伝わることは
ほとんどありません。



「あの人のせい。あの人が悪い。」
「これは絶対間違ってる!自分の意見こそ正論!」


自分の不快感を 
こんなふうに考えて結論付けたり、
反射的に人に口出ししたりして、
誰かや何かを責めたりすることが
どれだけあるでしょうか?


それが多い分、他人軸で生きている証拠です。


自分以外のせいにすることで、
その場は一時的に自分を優位に立たせたり、
辛さから遠ざけられても、


結局また同じような辛さを感じたとき、
自分以外のせいにすることを繰り返して
苦しさ・不快感を感じていることの方が多くなるんです。


自分の外に原因をみているうちは、
八方塞がりです。


だって
自分の意識の前提が変わらないと


“相手という存在”は
ほとんど自分をわかってくれない
      
口ばかりで何もわからない人・
自分を不快にする人


というような解釈をして、無意識に
いつも身構えたり見下したりしているから


相手にちゃんと届いていると
リラックスできていなくて
攻撃的な言い方になってしまうんです。



同じようなことを言っていても
人に届く人届かない人がいるのはそこです。
受け取る側はそれを感じとります。


自分の
[合う・合わない][好き・嫌い]
を抜きにしても


「この人なんかいいな」∕「この人なんか嫌だな

「この人の言葉は入ってくるな」∕「この人に言われるとすんなり受け取れないな」
っていうの、誰にでもありますよね。
これってようはそういうことだったんだなって気づきました。


しっかり自分軸でリラックスして生き、
〈自分で府に落として内側から溢れているもの〉
を表現しているか、
その表現の仕方も含め
日々高めようと学んだり努力したりしているか

そういうのを人は無意識に感じ取っているんだって。


音楽も絵も、どんな創造も、
日々発する言葉、生き方さえも
“表現”だし“作品”です。
はじめは真似事でいい。


その中で
『自分の表現したかったことって、
こうカタチにすればよかったのか!』
と学ぶのが大切だということなんですね!


自分には表現したい世界、
伝えたいことがある。


“どういう手段”で
表現したり伝えたりしたいのか。


その表現したい[イメージ]、
伝えたいと[感じているもの]を


“そのまま取り出すように
再現する”ためには


集中力・落ち着くことなども含め
技術を高めていくしかない。


地道な積み重ねだけれど、
いつか必ず表現するんだ!


という意識を持っていないと、
真似事で終わってしまうことになってしまうんですね。


私はずっと、そうだったんです。
真似事さえも中途半端でした。
実力も自信もつかなくて当然です。


コツに気づけるまで
技術が身に付くまでは苦しいけれど、


それができてくると、
自分の表現したかったものをどう表現すればいいか
なんとなくでも気づけているはずです。


そしたらあとは、とにかくやってみること
はじめはうまくできるか怖いし、
慣れるうちは
むず痒いような恥ずかしさも伴ったりするけど


そこまでできてはじめて、
自分の心は深く満たされ始めるんですハート




今コロナの影響で、
自分一人で過ごせる時間が増えた人も多いのではないかと思います。


こんなときこそ、 
しっかり向き合えるチャンスです!


しっかり自分の辛さに向き合うことで
「苦しくてとても普通に振る舞うことができない」 
そんな状態になっても

こういうときだからこそ
人にかける心配や迷惑を最小限に抑えることができるから、


今は是非、しっかり自分に向き合って
深く自分を感じて、受け入れることを 
やってみて欲しいなぁと思うのです。


辛いことではあるけれど、
その先の爽快感は何物にも変えられないです!

それに、
自分の成長が確かに感じられるのです!
こんな幸せはそうそうありません。


だから、
生きること、
自分に向き合うことが、
楽しいなって思えるようにきっとなりますキラキラ



自分の中にも色んな面があって、
だから複雑で、

故に
適切な表現や選択をできないことも多々ある。


そんな未熟な存在である自己を
受け入れることができると、
他人にもそれを向けられるようになります。



自分がそうであるように、
他人も、

複雑で、
だからこそ未熟で、
ままならない現実を生きている。
十分頑張っているのに


押し付けたり、否定したり
攻撃的な伝え方をしたところで、


もがいているところに
余計混乱を持ち込むだけなのだということ。



それを理解して生きることが、
尊重、お互い様
という感覚だと思います。


自分も人も、
複雑なものを扱いながら

色んなままならなさや苦しさを抱えて生きていて、

それがどれ程辛く苦しいかは

その人にしか感じられないもの
という境地。


だから人のことを軽々しく「わかる」なんて言えないし、
上から目線や押し付けなんてもってのほかだということ。
逆も然り。そういうものを向けられたら、凛と飄々と。とりあわない。
どんなに近しい関係性だろうと、それがお互いのためです。


いつもその視点を忘れない人が
しなやかな人
と言えるのだと思います。





自分はずっとそんな人が好きだったし、
きっとそんな人を目指すための人生なのだと、
生きる目的が明確になって、

生きてるハート
と実感できるようになってきました。



楽なことでは決してないけれど、
しなやかな自分
に育てていく人生は、


自分の力(“自分1人の力”ではなく“自分軸で生きる力”という意味)
で自分の望んでいたような現実に
導びいていくことに繋がると思うのですダイヤモンド