追悼… | 一般社団法人岩手介護コミュニティ協会のブログ

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あの日、訪問が混みちょっと遅めの昼食を取りに自宅へ帰る。昼食を食べて早々、スライドの大きな横揺れを感じ、強さは徐々に増していき、もはや立っているのもやっとな状況で左腕で長男を抱え、右腕で本棚を押さえただただ両足で踏ん張るだけ。
あんなに大きく、強く、長い地震は初めてだ。
揺れが収まり外に出ると、隣のばあちゃんが病院行っていると聞かされる。まずは子供を車に乗せ会社へ戻ろう。家を出てすぐ、二軒隣のいとこの子が二人、犬を抱いて窓から外を眺めている。怖くてどうしもない。更に二人と犬を乗せ会社へ。
事務所は棚が崩れファイルが散乱、でもその程度だ。併設のデイケア、ホームも人的被害はない。我々居宅のケアマネは安否確認に外へ出る信号は停電、にも関わらず異様な静けさの中車同士道を譲り合う。まずは一人暮らしを優先に、更に身寄りの近い、遠いを勘案し優先順位を決めて回る。利用者の人的被害は無いが、既に水の出難いところもあり、ペットボトル、ポット、ヤカン、溜めれるものに溜め配達する。事務所に戻ったのは20時を回っていただろうか。
訪問の途中でばあちゃんの掛かりつけを二件回り、乗り合わせ帰った事を知り安心する。次男は幼稚園で先生達に守られ無事。
自分の家族、利用者さんの安否を考えるので精一杯だった、ラジオを聞くまでは…

ヘリの音と共に『◯◯地区壊滅状態!!』
どこの話しをしているのかはじめわからなかったが、直ぐに事態は飲み込めた。
時間が達に連れ聞こえる被害の拡大。そして余震は後を絶たない。
盛岡の被害、特になし。安否確認で走り回っていた時、沿岸で何が起きていたのか考えると何とも言えない。
ただ何かしないと!とだけは強く思った。

その後の安否確認の途中、小さな商店で食材を買いあさる。よくわからないが砂糖も買った。開いてる店があったらまずは入るべし。この日から自転車で出勤し街を走り回る。ガソリンはメモリで一つ、ガソリンスタンドは空いていない。ラジオでは『どこどこのスタンドが何時から開く』と情報を流せば東西南北数キロの渋滞を作って車が並ぶ。雪の降るマイナスの中、夜の21時に並び朝方6時頃に20L入れてもらう。
食材はなんとかある。暖を取るには足りないが、反射式ストーブでお湯も沸かせる、料理もできる。ただ三日目、いよいよ水が止まり初めて『死』という事を意識し恐怖を覚えた。ばあちゃん、子供、親を優先にという例え用のない組織図が浮かぶ。幸い水は数時間の断水で済んだ。

停電も回復した四日目、後輩が充電をさせて欲しいと家に来る。携帯4台、パソコン1台。そこ後輩は『親父、第一波は免れたって連絡あったんだけどその後連絡取れなくなっちゃって。沿岸の災害対策室長だから、避難させるのに戻って流されてなきゃいいなぁ』とその時は笑顔で話していた。
しかし、県警から所在不明と連絡が入る。
震災から11日目、後輩のお父さんの捜索に陸前高田市へ入る。入る前後輩からは『数メーター歩けば遺体が転がってますが、それでも良ければ力を貸して下さい』断る理由はない。

道中、信号無視もしてしまうほど何とも言えない緊張感に包まれ、陸前高田市に入って数十分、川岸に瓦礫がチラホラ。そこから五分も車を走らせると景色は一変する。言葉はない。4メーター程の瓦礫の壁(山)に両脇を挟まれ道を進む。その殆どは木材と認識する。捜索場所は職場の交番。とにかく交番の中を全て掘る。前回来た時、交番の中からは三人の遺体が出たとの事。一人はロッカーの中から。
陸前高田市役所を中心に見渡しても、残っている建物は両手で足りると認識する。全てに共通するのは鉄筋コンクリートであること。一件の建物を覗くと風呂場が天井についていた。ユニークな作りだと思った。
交番にはあらゆる鉄筋やトタンといった金物が、電線と執拗に絡み建物に何重にもまとわりついている。外から徐々に瓦礫を剥がすと中から車が3台出てきた。土にはスコップが刺さらない。ツルハシでさえ刺さらない。布団、毛布、衣類といった繊維質の物は電線と絡まり地中へ。
陸前高田市役所には高田松原の木が三階部分に刺さっていた。上を見上げると四階部分の窓がチラホラ割れている。三階までは筒抜けだ。刺さった松の途中まで登り引き返す。後で聞いたが三階部分の松に、女性が裸で引っかかっていたとのこと。
交番の周りとあってか、警棒や手錠などがフル装備のベルトが出てきたり、近くでは警察官の遺体も見つかった。遺体捜索で入ると、笛を渡される。遺体を見つけたら笛を吹く。後は消防か警察、自衛隊にバトンタッチ。
警視庁ご一行と一緒に瓦礫の撤去を行う。ハッキリ言って警視庁は使えない!我々が重機で大きい瓦礫を撤去し、警視庁が手で掻き出す。途中手を抜いていたのか、二人の警察官を立たせお説教が始まる。直立不動で威勢のいい返事、後でやってくれ…
交番の中からは遺体は出ない、隣のハローワークの中にはなぜか車が入っていた。ここも遺体は出ない。二日目は交番周りの瓦礫と泥の撤去。人の力には限界がある。我々ご行った二日では、一人の遺体も見つけてあげることはできなかった。行方不明の友達も。
後日、我々が歩き回った土や泥を掻き出すのにブルドーザーが入ったが、その下から6体もの遺体が出てきたとの事。我々は遺体の上を歩き回っていたのだ。改めて無力さを思い知った。
後輩のお父さんは二ヶ月後、沖合2km地点の海底から見つかった。海は広いな大きいなそんな中から見つかるのは奇跡とダイバーは言った。
友達の車、鞄は見つかった。鞄には通帳などが入っており一度自宅に戻ったと思われる。友達とお母さんは買い物に出ていたようだ。自宅は何百メートルも流され高田高校の正門付近に漂着していた。


自分にやれる事はなんだろう!?

離れていても出来る支援もあるはず。

とりあえず、復興するまではコーヒーと炊き込みご飯のおにぎり持っておじゃまします( ´ ▽ ` )ノ
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岩手介護コミュニティ協会理事
藤原陽介