皆さんは国友一貫斎という人物を知っていますか?
どうも、スタッフ水谷です
今日は久しぶりに伊吹山界隈のスポットのご紹介です。
伊吹山周辺は地理的に歴史的な出来事や要所が多く存在します。
その中で今回は琵琶湖を望む町、滋賀県長浜市の国友(くにとも)町という町、そして滋賀が生んだ発明王、国友一貫斎についてご紹介します。
長浜市の中心地の北東、伊吹山を望む美しい田園が広がる国友町は、その昔鉄砲鍛冶の町として全国に名を馳せる町でした。
(国友町から望む伊吹山)
国友の鉄砲鍛冶の歴史は種子島に鉄砲が伝来した翌年の天文13年(1544)より始まります。
国友では鉄砲のネジ切りの方法などの創意工夫を重ね、大量の鉄砲の製造が可能になりました。
その後、織田信長、豊臣秀吉、石田三成、徳川家康などから手厚い保護を受け、日本最大級の鉄砲の産地として繁栄しました。
当時の最盛期の国友には、70軒の鍛冶屋と500人を越す職人がいたそうです。
(情緒あふれる国友町の町並み)
国友町には国友の鉄砲鍛冶を今に伝える「国友鉄砲ミュージアム」があります。
(国友鉄砲ミュージアム)※ミュージアム前の駐車場スペースは4台なのでご注意ください。
ミュージアムは2階建てで館内には所狭しと火縄銃や鍛冶の道具が展示されています。
(展示物撮影OK!)
入館料は一般300円、小・中学生は150円です。
まずは1階のシアタールームで国友の歴史について学びましょう。(映像は10分くらい)
(1階シアタールーム)
国友についてざっくりと学んだあとは、2階の大展示室へ。
(展示室入り口付近)
ガラスケースには国友の鉄砲が収められており、どれも歴史を感じさせます。
(奥にはたくさんの鉄砲や鍛冶道具がたくさん)
(幕府納品用の札!)
(このネジ切りがすごーく重要のようです)
(国友の鉄砲は江戸時代になると各国の諸大名にも注目されるようになります)
(鉄砲鍛冶の様子を学べるコーナーも)
(鉄砲を実際に持つこともできます ぐぅ…重い…!)
じっくりと鉄砲を堪能したら1階の国友一貫斎の展示コーナーへ。
国友一貫斎(くにともいっかんさい)は安永7年(1788)、近江国坂田郡国友村(現在の滋賀県長浜市国友町)の鉄砲鍛冶の家に生まれました。
一貫斎は優れた鉄砲鍛冶職人としてだけではなく、江戸時代屈指のアイデアマンとして数々の発明品を生み出しました。
一貫斎が39歳のとき、友人で眼科医の山田大円より、将軍家に献上されたオランダ伝来の風砲(空気銃)を見せてもらいます。この風砲は故障して使えなかったのですが、一貫斎は一から構造を調べあげ、わずか1ヶ月の期間で自力で修理してしまいました。
これを基に一貫斎は気泡を独自で作り、文政2年(1819)日本で最初の気泡を完成させます。一貫斎の気泡は大評判で、多くの大名から注文が殺到したそうです。
1階の展示室には一貫斎が発明品を紹介しています。
(ランプのような形をした照明器具「玉燈(ぎょくとう)」)
(墨をつけなくても文字が書ける筆「懐中筆(かいちゅうひつ)」)
一貫斎の才能はなんと天文学でも。一貫斎は日本で初めて反射望遠鏡を発明した人です。一貫斎は自作の反射望遠鏡で太陽黒点の連続観測や、月、木星、土星などを丁寧にスケッチしています。一貫斎が製作した反射望遠鏡は4台現存しており、金属の主鏡は製作から180年以上がたった今でもその輝きを失っていないといいます。(一貫斎の文書の中には「100年後も曇らない」と記してあったそうです)
(一貫斎作 日本初の反射望遠鏡)
(「伊吹山星空観望会」を行っている身としてはとっても興味深いです!)
実現はしませんでしたが、一貫斎は飛行機の製作まで考えていました。文政13年(1830)一貫斎は飛行機・飛行船の構想を幕府に申し述べたそうです。
(飛行機の構想図)
いつの時代にもすごい人がいるのだなぁとしみじみ感じる時間でした。歴史や鉄砲に興味がある方は特に面白いミュージアムだと思います。
ちなみに出入り口前には売店もあり、記念のお土産もいくつかあるのでぜひ。
ミュージアム前の駐車場が空いていない場合は少し離れた場所に大きな観光用駐車場があります。町を散策する際にはこちらに駐車しましょう。
(大型駐車場)
昔の雰囲気が色濃く残る風情あふれる町並みなので、鉄砲鍛冶に思いを馳せてゆっくりと散策してみるのもおすすめです。
滋賀が生んだ発明王、国友一貫斎。
伊吹山に来た際には国友町へ立ち寄り、国友鉄砲鍛冶の歴史にぜひ触れてみてください。
↓国友鉄砲ミュージアム公式サイト↓
それでは今日はこのあたりで。
スタッフ水谷
(記事写真の撮影日は2021年12月14日です)