遠縁の叔母が長唄の師匠をしていると知ったのは、私が長唄三味線を始めて一年ほど経ったくらいだろうか。自宅の筋向かいにいる叔母というのに、なんと迂闊なことだろう。
 人間とは見ようとするものしか見えず、聞こうとするものしか聞けず。改めて痛感する。

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長唄 巽八景

 私が長唄を習っていると聞き、叔母が誘ってくれたのが四年前。気軽に諾の返事をしてしまったのは、身の程知らずのなせる技だろう。
 叔母の家を尋ねると、人数は七、八人ごく内輪な会だとわかった。
 ところが内輪とは言え四、五時間みっちりと長唄の披露がなされる。皆さん稽古歴が四十年以上というベテランなだけに、出し物も初心者の手ほどき曲などありはしない。当時始めて三年などという駆け出しの入り込む隙など無かったのである。他の方々の曲を聴いても、ちんぷんかんぷん。弾いてはトチリ、唄えばハズレの四年が過ぎた。

 以来夏冬の年に二回、呼ばれるのを良いことに、叔母の自宅を訪ねている。
 少しずつ自分も知った曲が増え、先輩方と打ち解けてくると見えなかった景色が見えてくる。

 長唄(三味線)が生活に溶け込んでいるのだ。休憩で雑談していても、ふと「吾妻八景が」「都風流のあの間(ま)は」などと普通に唄や三味線の話題が盛り込まれ、鼻歌で口ずさんだりする。
 なんという豊かな風景だろう。 何十年、何百年と唄い、弾き継がれるものを共有していけるすばらしさよ。ここには世代の違いなどないし、年をとることが美しく見える。

 私も混ぜてもらえて、本当によかった。