長唄三味線を始めて今月末で7年、ほぼ毎日稽古をしている。どうしても時間のないときには、棹に触れるだけでいい。要は三味線から気持ちが離れないようにする。

 起きると布団をたたみ、着替えて軽く部屋を掃き、神棚に水を上げてから稽古にかかる。因みに家で着るのは専ら和服だ。

 和服はいい。正座してもズボンと違い脚が痺れづらく、帯で腰を締めるから立ち居も楽だ。(正座からピョンと立つことができる)
 窓を開けると、襟元や袖口から空気が流れ込み袂や裾の中で渦を巻くのを感じる。特にこの四月から五月にかけては爽快だ。

 ある洋服の大家が
「日本人は着物を捨てた。それは着物に機能性がないからだ」
と言っていたが、本当にそうだろうか?西洋式に則った家に暮らし、ビジネスで金を儲けるにはその通りかもしれない。

 でも、私は着物に機能性と魅力を感じている。だいたい和服じゃなければ男がワンピースを着るチョイスなんてないだろう。

 家で和服というと「いいですねぇ」「優雅ですねぇ」という反応が来る。着物が外出着ばかりになった昨今、普段着の着物を想像しにくくなっているのだ。
 私は長襦袢代わりに浴衣を着て、長着は木綿。いずれも安価で、肌触り良く、丸洗いできる。浴衣なら半衿をつける手間もない。庭掃除や草むしりの時は長着を化繊に変える。泥がついても、はたけばすむ。

 和服を着るようになって自分の動きに気がついたことがある。物に当たったり、躓くことが減ったのだ。和服では物をとるのに袂を押さえ、段差では裾をつまむ。要するに行動を変えるときに、ひと手間がいる。
 これがポイントだ。
 アクション起こす前の押さえる、つまむといった動作が一つ一つ注意喚起へのスイッチとなる。
 慣れてくると一連の動作が流れるようになり、身のこなしもいわゆる「和服的」になってくる。そう、律のある動きとなるのだ。

 面白いことに外出の際は着物に草履の方が歩数が増える。最初はスマホの万歩計が狂ったかと思ったが、そう言うわけでもないらしい。
 歩速は洋服より落ちるが、摺り足でテンポ良く雪駄を運ぶとドンドン距離が進む。着崩れしないよう必然的にナンバ歩きとなるので、腰や脚への負担も少ない。

 皆さんも着物を取り込んだ暮らしをいかがだろうか?サザエさんの波平さんのように、外から帰って和服に着替える。その心地を味わってみては?