42回目 | 【茨木で二番の味 孝来】37年間ラーメンをつくったオヤジの話

【茨木で二番の味 孝来】37年間ラーメンをつくったオヤジの話

昭和54年からJR茨木駅前で店を構えていた「茨木で2番の味 孝来(こうらい)」が2017年6月で閉店。37年間の歴史をつづる店主(オヤジ)のブログ。

愛する妻と

妻と二人で、42回目の結婚記念日を祝って遊んで来ました。

ほんまにいいやつと出会えたんです。俺は、

 

妻は、本当に頭がいいんです。

大阪の旧制高校出身で、私が出た高校とは、

うんれいの差があるのですが、

 

今も同窓生との交流が盛んで、時々妻は、出かけていくのですが、

その同級生達の職業と言えば、お医者さん、大学の教授、弁理士、弁護士、

国税局、お役人、などなど、そうそうたる人ばかりなのですが、

 

それに比べると、俺は、長男がプレゼントしてくれたラーメン屋、

 

でも、私の仕事のことで、文句なんか言ったことありません。

妻は、私の持っている何かを、認めてくれているように思います。

 

今日あるところのプールサイドで、色々話しました。

これからの事、子育ての事、健康の事、

楽しかったです。

 

こんなことできるのも、愛する子供達の御蔭、感謝です。

特に長男の助けがあればこそなのですが、

 

一生懸命育ててきてよかったなあと、

もし子育て全盛の時に、今のように、お店に専念していたら、

少しぐらいの財が残ったかもしれない

今のような、借金だらけの人生にならなかったのだろうが、

 

でも不器用な俺が、あの時、そうしていたならば、

あの子供達と過ごした大事な時間は、無かったはずで、

子供達も、今のように素晴らしく優しい子供達には、

育ってなかったように思います。

 

子供達には、その結果としてそれぞれ大変な苦労を、

かけてしまいましたが、今の彼らの成長をみると、

あれでよかったんだと私は、思っています。

 

ただ、俺は、愛する妻には、何一つ残してやれませんでした。

妻は、もっと違った人と出会えたら、凄いだろうなと思うのですが、

 

それも二人の選んだ人生、これからもよろしくとお願いして帰って来ました。

 

頼むぜ子供達です。自分達の家族は、俺達の良いところは、まねてくれて、

俺のような失敗のないようにと願うだけです。ただそれだけです。

 

有難う、私の愛する妻、そして子供達

 

明日からまた楽しい激務?頑張ります。

 

 

 

                                            わたる