鎌倉時代に後鳥羽上皇と後醍醐天皇が配流された日本海に浮かぶ隠岐を訪ねて、9/28~10/13までの16日間にわたって、ゆかりの地や史跡名勝を車中泊しながら巡りました。
1~3日目(9/28~30)は、後鳥羽上皇と後醍醐天皇の隠岐への配流ルートを辿って岡山県から島根県へ
4日目(10/1)は、七類港からフェリーで隠岐・知夫里島へ移動後、後醍醐天皇ゆかりの地、赤壁
5日目(10/2)は、知夫里島からフェリーで西ノ島へ移動後、国賀海岸の観光
6日目(10/3)は、西ノ島の焼火神社、後醍醐天皇行在所、脱出ルート、由良比女神社
7日目(10/4)は、西ノ島から中ノ島へ移動後、後鳥羽上皇の資料館、隠岐神社、行在所、火葬塚
隠岐神社から社務所横を通って「後鳥羽上皇行在所跡」へ向かいました。
雨は降ったりやんだりで、傘をさしたり畳んだりして忙しかったです。
後鳥羽上皇の行在所(あんざいしょ)は、隠岐神社に隣接する源福寺(げんぷくじ)にありました。
幕末の文久3年(1863)当時の見取り図です。
後鳥羽上皇の行在所があった源福寺は、中世より近世に至るまで隠岐島第一の古刹でした。
隠岐神社は昭和14年(1939)創建なので、上図にはありません。
小さな「勝田池」越しに行在所跡が見えました。
勝田池の横にも後鳥羽上皇の歌碑がありました。
「蛙(かわず)鳴くかつたの池の夕たたみ 聞かましものは松風の音」
蛙の声と、松風の音はなんと騒々しいことか、どうか京都からの便りが届く邪魔はしないでくれ。
後鳥羽上皇が住んでおられた「行在所跡」の全景です。
隠岐へ配流になってから不自由な明け暮れでしたが、上皇の心の支えは「和歌の道」であり、多くの御製(歌)を残されました。また徒然に都から刀匠を召されて自らも鍛刀をなされたとの伝えもあります。
鍵がかかっていて中には入れませんでした。
色あせた「行在所跡」の説明板です。
柵内は、後世の本堂跡で、右奥には当時の井戸が残されており、今でも清水が湧いています。
御製「我こそは新島守よ おきの海のあらきなみ風 心して吹け」(後鳥羽院 遠島百首)
これは、隠岐へ御遷幸(配流)の折りの御製と伝えられている。
奥の方に「後鳥羽院天皇行在所跡」の石碑が見えました。
行在所の横にも歌碑がありました。
「故郷(ふるさと)をしのぶの軒に風過ぎて 苔の袂に匂う橘」
袈裟の袂から香る橘の香りは故郷を思い出させる。自分はあの頃から住む場所も姿も変わってしまった。
このあと、「後鳥羽上皇御火葬塚」へ行きました。
ーーー つづく ーーー









