うるう年の逆打ち遍路はご利益が3倍あるといわれる四国八十八ヶ所を、夫婦で車中泊しながら3/26~4/15の21日間かけて巡礼し、ついでに日本100名城、続日本100名城、道の駅、温泉に寄りました。
1日目(3/26)は、岡山県の自宅から瀬戸大橋経由で四国へ渡り、香川県の道の駅「ながお」で車中泊
2日目は、88番→84番札所(5ヶ所)参拝後、道の駅「源平の里むれ」で車中泊
3日目は、日本100名城・高松城、83番→80番札所(4ヶ所)参拝後、道の駅「滝宮」で車中泊
3日目(3/28)は、前夜車中泊した香川県高松市の道の駅「源平の里むれ」を出発して、日本100名城「高松城」の次に、83番札所「一宮寺」へ行きました。
10:30 83番札所「一宮寺(いちのみやじ)」の無料駐車場に到着しました。
日本100名城「高松城」から30分でした。
正面に見えるのは西門(裏門)です。
一宮寺の境内案内図です。
車遍路は駐車場から西門を入りますが、歩き遍路は上図右側の山門から入るので、境内を抜けて山門から入りなおしました。
山門(仁王門)です。
大草鞋が奉納されています。草鞋には旅の道中安全を祈願する意味があります。
一宮寺は、大宝年間(701~703)に法相宗の祖・義淵僧正が開いて「大宝院」としたと伝えられています。
和銅年間(708~715)に諸国に一宮が建立されたとき、讃岐一宮として田村神社が建立され、その第一別当寺(統括管理職)となり、その後行基菩薩が堂塔を修復し、一宮寺に改めたとされています。
大きなクスノキがある参道の正面に本堂、左手前に鐘楼があります。
大同年間(806~810)に弘法大師が一宮寺を訪れて、聖観音菩薩像を彫刻し本尊として安置し、真言宗に改めました。
その後、戦国時代の「天正の兵火」により灰燼に帰しましたが、中興の祖・宥勢大徳によって再興されました。
鐘楼で鐘を撞いて、参拝に来ました、と仏さまに知らせて本堂へ向かいました。
本堂です。
団体の参拝がいなかったので静かでした。ローソクと線香をあげ、記入した納札を箱に入れ、賽銭を入れて、端っこでお経を唱えました。
大師堂です。
ここでも、ローソクと線香をあげ、納札を箱に入れ、賽銭を入れて、お経を唱えました。
納経所です。
83番札所「一宮寺」の御朱印です。300円です。
私は2周目なので重ね印だけです。妻は1周目なので墨書と御朱印をいただきました。
本堂のそばにある「薬師如来」を祀る祠です。
この薬師如来にまつわる「地獄の釜」の言い伝えがあります。
説明板によると、
意地悪ばあさんが祠に頭を入れると、たちまち扉が閉まり下の方からゴォーッという地獄の釜の煮えたぎる音がして頭が抜けなくなった。
「今までのことは許してください。もう意地悪はしません」と涙ながらに懇願すると扉は開き頭が抜けた。
以来、心を入れ替えて近所の人と仲良く暮らした。
83番札所「一宮寺」の参拝をしたので、88番~83番までの6ヶ所を終えました。
このあと、牛鬼伝説のある82番札所「根香寺」へ行きました。
ーーー つづく ーーー