うるう年の逆打ち遍路はご利益が3倍あるといわれる四国八十八ヶ所を、夫婦で車中泊しながら3/26~4/15の21日間かけて巡礼し、ついでに日本100名城、続日本100名城、道の駅、温泉に寄りました。

 

1日目(3/26)は、岡山県の自宅から瀬戸大橋経由で四国へ渡り、香川県の道の駅「ながお」で車中泊

2日目(3/27)は、88番→84番札所(5ヶ所)参拝後、「源平の里むれ」で車中泊

 

2日目(3/27)は、前夜車中泊した香川県さぬき市の道の駅「ながお」を出発して、88番札所「大窪寺」、87番札所「長尾寺」、86番札所「志度寺」の次に、85番札所「八栗寺」へ行きました。

五剣山(ごけんざん)中腹にある八栗寺まではケーブルカーで登りました。

 

 

12:45 85番札所「八栗寺(やくりじ)」に到着しました。

途中食堂を探しながらうろうろしたので、86番札所「志度寺」から1時間かかりました。

 

 

途中で昼食をとりそこなったので、ケーブルカー乗り場に食堂を見つけて喜んで入りました。

 

 

ご飯(寿司)がなかったので、ワカメうどんとおでん2本注文しました。

ワカメうどん300円+おでん200円、計500円でした。

妻はきつねうどん300円でした。

『ワカメは親戚の人が持ってきてくれるので山盛りにしたよ』と言われ、たしかにワカメだけで満腹になるくらい多かったです。

また、『80過ぎているけど、死ぬまでやっているからまたおいで』と言われましたが、これは約束できませんでした。

 

 

八栗ケーブルです。

昭和39年(1964)開業で、営業区間は660メートル、定員127人、所要時間4分です。

運賃は1人往復1000円でした。

 

 

中間部ですれ違いました。

車両2両を1本のワイヤロープで繋いだつるべ式ケーブルカーです。

 

 

山上駅から本堂までは徒歩3分です。

正面の鳥居は「聖天宮(しょうてんぐう)」で、弘法大師作とされる「歓喜天」が祀られ、縁結びや商売繁盛の御利益がある「八栗の聖天さん」としてお遍路さん以外にも多くの参拝客が訪れています。

 

 

境内案内図です。

弘法大師の開基で、平安時代の天長6年(829)創建され「八国寺」といわれました。

弘法大師が唐へ渡る前、入唐求法(にっとうぐほう)の成否を占うため植えておいた焼き栗八つが、帰朝後すべて生長繁茂しているのを見て「八栗寺」に改名しました。

戦国時代の「天正の兵火」で焼失しましたが、高松藩主・松平頼重が再建しました。

案内図の右下「八栗ケーブル山上駅」から参道を通過して、左下の歩き遍路の上り口「二天門」から参拝しました。

 

 

歩き遍路の参道からは「五剣山(ごけんざん)」がはっきり見えました。

もともと5つの峰がありましたが、江戸時代の宝永の大地震(1706)で右端の峰が中腹から崩落し、4峰になりました。

 

 

二天門です。

江戸時代の宝永9年(1709)三代藩主・松平頼豊再建と棟札にあります。

 

 

鐘楼です。

江戸時代の寛政3年(1791)の建立で、梵鐘は戦時供出し、昭和30年(1955)鋳造しました。

参拝に来ました、と仏さまに知らせるため鐘を撞いて本堂へ向かいました。

 

 

鐘楼から眺めた聖天堂(右側の茶色の屋根)と納経所(左の青い屋根)です。

参拝を終えて納経所へ行き、御朱印をいただきました。

 

 

本堂です。

高松藩祈祷所である本堂は、宝永6年(1709)二天門とともに高松藩三代藩主・松平頼豊再建と棟札にあります。

ローソクと線香をあげ、記入した納札を箱に入れ、賽銭を入れて、端っこでお経を唱えました。

 

 

大師堂です。

ここでも、ローソクと線香をあげ、納札を箱に入れ、賽銭を入れて、お経を唱えました。

大師堂でお経を唱える人は少ないのか、本堂に比べて混んでいません。

 

 

85番札所「八栗寺」の御朱印です。300円です。

私は2周目なので重ね印だけです。妻は1周目なので墨書と御朱印をいただきました。

 

 

多宝塔です。

昭和59年(1984)建立で、中には写経が納められています。

 

 

参拝を終えて、ケーブルカーで駐車場まで戻りました。

 

 

これで88番札所「大窪寺」、87番札所「長尾寺」、86番札所「志度寺」、85番札所「八栗寺」の参拝を終えました。

 

このあと、源平合戦の地にある84番札所「屋島寺」へ行きました。

 

     ーーー つづく ーーー