2023/11/4~11/27の24日間、一人で車中泊しながら長崎・五島列島の史跡名勝・温泉・道の駅を巡ってきました。

 

岡山県の自宅を出発し、3~5日目は長崎市街観光、6~10日目は五島列島・上五島を観光

11~16日目は下五島・福江島を観光、17~18日目は長崎市観光

19日目は、雲仙市の雲仙地獄&雲仙温泉、南島原市の道の駅ひまわりで車中泊

20日目は、日本100名城・島原城、続日本100名城・原城跡、天草にわたって道の駅で車中泊

21日目は、天草の大江天主堂、世界遺産・﨑津集落、天草キリシタン館、道の駅有明で車中泊

 

世界遺産「天草の﨑津集落」散策マップです。

右端の道の駅「﨑津」(﨑津集落ガイダンスセンター)から集落のはずれの駐車場へ移動して、集落内を散策しました。

 

 

駐車場に弁当屋がありました。

ちょうど12時過ぎだったので、散策前に昼食にしました。

 

 

漁協女性部の手づくり弁当(500円)です。

エビフライ、玉子焼き、鶏唐揚げ、煮物、柿、酢漬けが入っていました。

建物内のテーブルが空いていたので、座らせてもらってお茶まで淹れてもらって、ゆっくりかみしめて食べました。

家庭の味で美味しかったです。空き容器も回収してもらって荷物になりませんでした。

 

 

「トウヤ」です。

家屋と家屋の間にある幅約90cmの小路で、この小路が数軒ごとに通っており、生活に密着した交流の場になっています。

 

 

「﨑津諏訪神社」の参道に史跡が並んでいました。

 

 

「ハルブ神父の墓」です。

ハルブ神父は昭和2年(1927)12月に﨑津教会の司祭として着任し、禁教期に厳しい絵踏(えぶみ)が行われていた庄屋役宅跡を買い取り、教会の建築に献身、昭和20年(1945)に81才で永眠した。

絵踏・・・キリスト教の信者を発見するためにキリストやマリアの絵や像などを踏ませた行為

踏み絵・・その時に使われた絵や像

 

 

「旧﨑津教会跡」です。

キリスト教解禁後の明治21年(1888)に、﨑津に建てられた教会の跡地です。

現在は、﨑津教会のシスターが寝泊まりしていた修道院(1957年建築)が建っています。

 

 

「﨑津諏訪神社」です。

江戸時代後期の文化2年(1805)に、潜伏キリシタンが発覚する「天草崩れ」の舞台となった神社です。

代官所の役人は、異仏取り調べのため、信心具を境内に設置した箱に捨てるよう指示したと記録されています。

 

 

境内から﨑津集落を眺めました。

中央に﨑津教会が見えます。

 

 

世界遺産の説明板によると、

「天草の﨑津集落」は、潜伏キリシタンが何を拝むことによって信仰を実践したのかを示す4つの集落のうちの一つである。

﨑津集落の潜伏キリシタンは、大黒天や恵比寿神をキリスト教の唯一神であるデウスに、アワビの貝殻の内側の模様を聖母マリアにそれぞれ見立てるなど、漁村特有の生活や生業に根差した身近なものをキリシタンの信心具として代用した。

 

 

「旧網元岩下家よらんかな」です。

明治時代には網元が4軒あったが、唯一現存していた家屋が老朽化したため、間取りなどは当時のまま復原整備を行った。

現在は、当時の家財具や漁具を展示しています。

 

 

「カケ」です。

護岸に接する家屋から海に張り出して設置されている構造物で、竹やシュロを使った漁師の作業場です。

船の係留や干物づくりなど、生活のために利用されています。

 

 

﨑津教会です。

長崎の建築家・鉄川與助によって昭和9年(1934)に建てられたゴシック様式の教会です。

いつものように教会内部は撮影禁止でした。

内部は国内でも数少ない畳敷きです。以前は庄屋役宅で、禁教期には絵踏が行われていました。絵踏が行われていた場所に教会の祭壇が設けられています。

 

 

説明板によると、

初代﨑津教会堂の老朽化により、ハルブ神父の強い希望により現在の場所を選び、かつての絵踏の場所に祭壇を設けました。

コンクリート造りの計画でしたが、資金不足により途中で木造に切り替えたため、灰色のコンクリート部分と白色の木造部分が混在する特殊な教会堂となりました。

 

 

敷地内にはルルドがありました。

 

 

「﨑津観光交流広場」です。

かつて菊池寛や林芙美子、野口雨情、林房雄、大宅壮一、司馬遼太郎など、多くの作家・文人が訪れた紋付屋(もんつきや)旅館跡です。

太平洋戦争末期から終戦後にかけての天草を舞台にした、昭和47年のNHK朝ドラ「藍より青く」のロケ地にもなったそうですが、私は観ていません。

 

 

駐車場の展望デッキからは「海上マリア像」を眺めることができます。

岬の上で海に向かってたたずむマリア像です。

キリスト教信仰のシンボルとして昭和49年(1974)に建てられたもので、行き来する漁船の運航の安全と豊漁を静かに見守っています。

また、マリア像の向こう側に沈む夕陽が「天草夕陽八景」の一つに選ばれています。

 

 

対岸の撮影スポットから眺めた「﨑津集落」です。

 

このあと、北上する途中にある道の駅に寄りました。

 

     ーーー  つづく  ーーー