2023/11/4~11/27の24日間、一人で車中泊しながら長崎・五島列島の史跡名勝・温泉・道の駅を巡ってきました。
岡山県の自宅を出発し、3~5日目は長崎市街観光、6~10日目は五島列島・上五島を観光
11~16日目は下五島・福江島を観光、17~18日目は長崎市観光
19日目は、雲仙市の雲仙地獄&雲仙温泉、南島原市の道の駅ひまわりで車中泊
20日目は、日本100名城・島原城、続日本100名城・原城跡、天草にわたって道の駅で車中泊
21日目は、天草の大江天主堂、世界遺産・﨑津集落、天草キリシタン館、道の駅有明で車中泊
21日目(11/24)は、昨夜車中泊した天草市の道の駅「天草市イルカセンター」を出発して、最初に「大江天主堂(大江教会)」へやってきました。
キリスト教解禁後、天草で最も早く建てられた教会です。
「天主堂」と「教会」の2つの呼び方がありますが、明治以後の初期の教会には「天主堂」という呼び方がされます。
キリスト教の神デウスの中国語訳である「天主」を、外国人神父がそのまま使って「天主堂」としました。
道の駅「天草市イルカセンター」から「大江天主堂」までは、西海岸サンセットラインの景色を眺めながらの運転だったので1時間かかりました。
説明板によると、
天草のキリシタンは、徳川幕府の禁教時代にも「隠れキリシタン」として、ひそかに信仰を続けましたが、明治に入り禁制の高札が撤去され、再び布教が行われました。
フランス人ガルニエ神父は、明治25年32才でこの地を訪れ、昭和16年82才でなくなるまでの49年間布教につとめました。
現在の天主堂は、神父が信徒と協力して、昭和8年(1933)に完成させたものです。
説明板にあったフランス人ガルニエ神父の像です。
天草言葉を巧みに使いこなし、村人からは「パアテルさん」と呼ばれ慕われていました。
ガルニエ神父の墓です。
吉井勇の歌碑です。
「白秋とともに泊りし天草の 大江の宿は伴天連の宿」と刻まれています。
説明文によると、
明治40年8月新詩社の与謝野鉄幹、北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、平野万里の青年詩人たちがこの教会堂にガルニエ神父を訪れた。
この5人の文学者の天草訪問は、のちに白秋の『邪宗門』となり一行の文学活動もこの旅を転機に躍進した。
この旅の紀行文『五足の靴(ごそくのくつ)』が新聞に掲載され話題を呼びました。
内部は撮影禁止でした。
ステンドグラスや天井、窓の装飾など見どころがあります。
大江天主堂からの眺めです。
はるか向こうには東シナ海が見えます。
教会堂を少し降りたところにあるルルドです。
ルルドの聖母です。
明治28年(1895)五島列島・井持浦(いもちうら)教会で日本初のルルドが造られ、日本全国の信者の聖地となっています。
私は今回の旅行(12日目、11/15)で訪問しました。
慈悲深い表情のマリア像です。
井持浦教会のルルド以降、日本全国のカトリック教会にルルドの洞窟が盛んに造られました。
丘の上に建つロマネスク様式の教会は、今でも天草キリシタンのシンボル的な存在となっています。
このあと、天草南端の道の駅へ行きました。
ーーー つづく ーーー