2023/11/4~11/27の24日間、一人で車中泊しながら長崎・五島列島の史跡名勝・温泉・道の駅を巡ってきました。

 

岡山県の自宅を出発し、3~5日目は長崎市街観光、6~10日目は五島列島・上五島を観光

11~16日目は、下五島・福江島を観光

17日目は、福江港からフェリーで長崎港へ移動し、長崎のもざき恐竜パークで車中泊

18日目は、水仙の丘、軍艦島資料館、長崎市恐竜博物館、風頭公園、亀山社中、恐竜パークで車中泊

 

「風頭公園(かざがしらこうえん)」で龍馬像を見学後、「亀山社中」へ行きました。

龍馬通り(左の石段)を下りていきます。

 

 

「亀山社中」に到着しました。

「亀山」は坂本龍馬らが最初に拠点を構えた地、「社中」は仲間・結社を意味します。

日本初の商社とされる亀山社中(のちの海援隊)は、幕末の慶応元年(1865)薩摩藩等の援助により坂本龍馬が中心となって組織されました。

 

 

「亀山社中の跡」の石碑が建っています。

「長崎市亀山社中記念館」という名称で、亀山社中の遺構として現在に伝わる建物を、所有者の厚意により平成21年(2009)8月1日から長崎市が整備・公開しています。

 

 

入館料310円払って中に入りました。

坂本龍馬が活躍した幕末当時そのままに復元しています。

撮影禁止の場所もありました。

 

 

紋服とブーツです。

坂本家の家紋の入った黒地羽二重の紋服は、身の丈六尺(181.8cm)あったといわれた龍馬の大きな紋服です。

 

 

龍馬のはいていたブーツの再現品です。

幕末の慶応年間に長崎で撮影された写真にこのような革靴が写っています。

実際に用いたブーツは現存しないため、写真や当時のカタログを参考にして、長崎で復元製作されました。

 

 

有名な坂本龍馬の写真が壁に飾ってありました。

手前の刀は「抜けません」と注意書きがありました。

 

 

亀山社中の名簿です。

メンバーには神戸海軍操練所出身者が多く、航海技術を生かして物資の運搬や貿易の仲介を行いました。

特に、当時反幕府の立場にあった長州藩に対し、薩摩藩名義で武器や艦船の購入を斡旋するなど、薩長連合へとつながる大きな役割を果たしたことは有名です。

 

 

こちらの壁には、名誉館長・武田鉄矢寄贈の「公文菊僊(きくせん)画 坂本龍馬立像」がありました。

高知の画家・公文菊僊(1873~1945)の作品で、龍馬の顕彰が盛んだった昭和初期に多数描かれたもののひとつです。

 

 

龍馬が愛用したアメリカ・スミス&ウェッソン社製のピストルの複製品です。

慶応2年(1866)1月23日の夜、伏見の寺田屋で奉行所の捕方に襲撃されたとき、高杉晋作からもらったピストルで応戦し難を逃れました。

 

 

龍馬が所用していた刀の複製品で、茎(なかご)に「吉行」の銘が刻まれています。

慶応3年(1867)11月15日に京都河原町の近江屋で襲われたときには、所持していたピストルを使うことなく、「吉行」で鞘のまま刺客の攻撃を受け止めましたが、あえなく凶刃に倒れました。

 

 

長崎出身の歌手・福山雅治が主演した、2010年NHK大河ドラマ「龍馬伝」のポスターが貼ってありました。

 

 

「亀山社中」から徒歩2、3分の所に、「龍馬のぶーつ像」があります。

説明板には、

幕末の風雲児・坂本龍馬は、日本で最初にブーツを履いたといわれています。

 

 

「龍馬のぶーつ像」は、亀山社中創設130周年記念事業の一環として建立、全国でも珍しい体験型のモニュメントで、実際に「ぶーつ」の中に足を入れ、舵を握ることができます。

 

 

ということで、「ぶーつ」に靴のまま足を入れ舵を握って、龍馬が眺めたであろう長崎の町を眺めました。

左奥に稲佐山が見えます。

 

 

駐車場が有料なので、1時間で往復するため、坂を上がったり下がったりしながら急いで戻りました。

ギリギリ1時間で戻ることができて、駐車場の小川ハタ店で200円払いました。

 

このあと、長崎半島先端の長崎のもざき恐竜パークで車中泊しました。

 

     ーーー  つづく  ーーー