2023/11/4~11/27の24日間、一人で車中泊しながら長崎・五島列島の史跡名勝・温泉・道の駅を巡ってきました。

 

岡山県の自宅を出発し、3~5日目は長崎市街観光、6~10日目は五島列島・上五島を観光

11日目は、上五島のあこう樹、桐教会、米山展望台、フェリーで福江島へ移動して道の駅で車中泊

12日目は、道の駅から反時計回りで、辞本涯、教会めぐり、大瀬崎灯台、福江港、中央公園で車中泊

13日目は、続日本100名城・福江城跡、武家屋敷通り、ふるさと館、荒川温泉、道の駅で車中泊

14日目は、道の駅から時計回りで、楠原教会、魚津ヶ崎公園、水ノ浦教会、堂崎教会、道の駅で車中泊

15日目は、白良ヶ浜万葉公園、鬼岳、五島観光歴史資料館、明星院、中央公園で車中泊

16日目は、鎧瀬溶岩海岸、舞いあがれロケ地・黒瀬漁港、大宝寺、福江港・常灯鼻、中央公園で車中泊

 

16日目(11/19、福江島6日目)は、前夜車中泊した「中央公園」を出発して、福江島南海岸をドライブしました。

「鎧瀬溶岩海岸」、NHK「舞いあがれ!」ロケ地「黒瀬漁港」の次に、日本遺産「大宝寺」に行きました。

 

 

13:00 日本遺産「大宝寺」に到着しました。

右側の石碑に「西高野山」とありますが、

第16次遣唐使(804~805)と共に入唐していた空海が、806年帰朝の際に大宝に上陸し(大宝沖に漂着したとも言われる)、大宝寺に滞在していた間に真言宗に改宗したといわれ、「西の高野山」と称されるようになりました。

 

 

振り返って大宝漁港を眺めました。

空海が漂着した時代には波止はなかったので、広い海を漂流して流れ着いたのでしょう。

 

 

日本遺産登録記念碑(令和4年)です。

「国境の島~古代からの架け橋~ 弘法大師ゆかりの地」と刻まれています。

 

 

説明板です。

大宝元年(701)に来朝した中国僧・道融が、上陸地として最初だった大宝の浜において、当時地区の住民によって奉られていた笹海(さざめ)の観音院をうつしたのが由来とされ、その後、空海が唐より帰国して三論宗を真言宗に変えた。

なお、説明板の下の写真は国選択無形民俗文化財「大宝の砂打ち」で、浜の真砂を集落中に打ちまき、悪霊・悪疫を払うとされています。

 

 

広い境内です。

左が本堂です。

 

 

鐘楼です。大小2つありました。

右が大きな鐘楼ですが、参拝にきました、という合図のために鐘を撞こうとしましたが、撞木の引き綱がないため撞けませんでした。

 

 

左の小さな鐘楼は、600年以上経た鐘(県文化財)で、撞木が朽ちかけているため撞くのをやめました。

 

 

赤子を抱いている、子安弘法大師です。

弘法大師空海が四国を巡錫中、旅姿の女人が難産で苦しんでいたので、秘法をもって加持すると安らかに玉のような子供が生まれたそうな。

 

 

本堂です。

五島八十八ヶ所霊場の最後、八十八番結願所です。

無人でした。

 

 

参拝をしました。

我が家は真言宗なので、四国八十八ヶ所遍路は1回済ませています。

今年は、ご利益が3倍あるという「うるう年」なので、2回目の遍路をします。

 

 

御朱印は置き書きでした。

300円置いて1枚いただきました。

 

 

大宝寺の御朱印です。

右上に「五島八十八ヶ所霊場 第八十八番」の朱印があります。

 

 

境内には、四国八十八ヶ所の本尊仏がズラリと並んでいました。

 

 

伊予国・菩堤之道場の石灯籠がありました。

その左は高知県にある三十九番札所・延光寺の薬師如来の石仏です。高知県を終えると右の愛媛県(伊予国)に入ります。

 

 

「四国八十八ヶ所巡拝御砂踏処」もありました。

 

 

徳島県の1番札所・霊山寺から始まる四国八十八ヶ所霊場の踏石を順に踏んでいけば、四国へ行かなくても手軽に遍路ができます。

 

 

壁には、各札所の御本尊が貼ってありました。

御本尊を拝みながら、四国八十八ヶ所巡礼ができるようになっています。

 

 

大宝寺の護摩堂は、五島八十八ヶ所霊場の第八十七番札所になっていました。

ここでは御朱印はいただきませんでした。

 

このあと、荒川温泉入浴後、福江港へ戻って常灯鼻を見学しました。

 

     ーーー  つづく  ーーー