2023/11/4~11/27の24日間、一人で車中泊しながら長崎・五島列島の史跡名勝・温泉・道の駅を巡ってきました。

 

岡山県の自宅を出発し、3~5日目は長崎市街観光、6~10日目は五島列島・上五島を観光

11日目は、上五島のあこう樹、桐教会、米山展望台、フェリーで福江島へ移動して道の駅で車中泊

12日目は、道の駅から反時計回りで、辞本涯、教会めぐり、大瀬崎灯台、福江港、中央公園で車中泊

13日目は、続日本100名城・福江城跡、武家屋敷通り、ふるさと館、荒川温泉、道の駅で車中泊

14日目は、道の駅から時計回りで、楠原教会、魚津ヶ崎公園、水ノ浦教会、堂崎教会、道の駅で車中泊

 

14日目(11/17、福江島4日目)は、前夜車中泊した道の駅「遣唐使ふるさと館」を出発して、時計回りに史跡名勝巡りをしました。

「楠原教会」、「楠原牢屋跡」、「魚津ヶ崎公園」の次に、「水ノ浦教会」に行きました。

 

 

10:15 岐宿地区の「水ノ浦(「みずのうら)教会」の駐車場に到着しました。

「魚津ヶ崎公園」から5分でした。

 

 

水ノ浦教会は明治13年(1880)に宣教師の指導を受けて、現在の教会敷地内に最初の教会が建設されましたが、長年の潮風にさらされ老朽化により教会は解体され、昭和13年(1938)代表的な教会建築家・鉄川與助氏の生涯最後の設計によって新築されました。

 

 

石段を上りきると、門の裏側に「私は門である」「私を通って入る人は救われる」とありました。

 

 

説明板によると、

江戸時代の寛政9年(1797)に始まった長崎本土・大村領民の五島移住政策に乗じて、仏教徒を装い、安住の地を求めて五島へ移住してきた潜伏キリシタン達は、山野を拓き、貧困に耐え、密かに信仰を守り続けたといわれている。

幕末の慶応元年(1865)の浦上信徒発見を機に、五島のキリシタンたちは続々とカトリックの信仰を表明して、囚われの身となり、過酷な迫害を受けることとなるが、耐えて信仰を貫き通し、明治6年(1873)の「信教の自由」の夜明けとともに島内各地に教会堂が建設されていった。

と、楠原教会と同じことが書いてありました。

 

 

教会堂の隣にルルドがあります。

 

 

マリア像です。

すべての罪を許してくれそうな穏やかな顔でした。

 

 

鐘塔です。

 

 

水ノ浦教会は、ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の木造教会で、教会の構造は、長崎市の大浦天主堂と同型といわれています。

 

 

入口です。

貼り紙があるので、楠原教会と同じように「新型コロナのため見学お断り」かと思いながら近づきました。

 

 

見学不可の貼り紙ではなく、「扉は開けたら閉めるように」とのことでした。

 

 

下駄箱に注意事項が貼ってありました。

見学時間9~16時、最大2名まで、都合により拝観お断り、などが列記してありました。

このあと、内部見学しましたが撮影禁止なので画像はありません。

 

 

見学を終えて外に出ると、虹がかかっていました。

 

 

水ノ浦湾にまたがる虹です。

 

 

かつて遣唐使船寄泊地だった白石湾は、さらに奥に入った外洋の影響がない場所です。

かつて遣唐使船を繋いだという「ともづな石」が安置されていますが、私は見に行きませんでした。

 

 

よく見ると、虹が二重にかかっていました。

 

 

水ノ浦教会のスタンプです。

 

このあと、堂崎教会(堂崎天主堂)へ行きました。

 

     ーーー  つづく  ーーー