2023/11/4~11/27の24日間、一人で車中泊しながら長崎・五島列島の史跡名勝・温泉・道の駅を巡ってきました。
1日目は、岡山県の自宅から山口県まで行き、道の駅「きららあじす」で車中泊
2日目は、佐賀県まで移動して、道の駅「山内」で車中泊
3日目は、長崎県の佐世保港と長崎港で五島行きフェリー確認後、長崎「水辺の森公園」で車中泊
4日目は、長崎市内の眼鏡橋、オランダ坂、出島を観光後、「水辺の森公園」で車中泊
5日目は、長崎市内の大浦天主堂、グラバー園を観光後、「水辺の森公園」で車中泊
6日目は、長崎港からフェリーで五島列島(上五島)の奈良尾港へ移動後、温泉の駐車場で車中泊
7日目は、有川港ターミナル、海童神社、ねぐら探し後、五島うどんの里で車中泊
8日目は、世界遺産「頭ヶ島の集落」、坂本龍馬ゆかりの広場、中ノ浦教会、奈良尾で車中泊
(上五島全体) (有川地区)
8日目(11/11・上五島3日目)は、前夜車中泊した「五島うどんの里」を出発して、世界遺産「頭ヶ島(かしらがしま)の集落」の次に、「坂本龍馬ゆかりの広場」へ行きました。
11:00 上五島有川地区の「坂本龍馬ゆかりの広場」に到着しました。
前日「有川港ターミナル」内で見た像と同じものが建っています。
「龍馬ゆかりの地」の石碑です。
説明板によると、
慶応2年(1866)5月2日未明、江ノ浜潮谷崎(しおやざき)でワイル・ウエフ号が遭難し、船将である高泉十兵衛ら12名が溺死した。これを知った坂本龍馬はこの地に赴き、碑文を認め、建碑費用を村役に託した。龍馬ゆかりの碑は、亡くなった同氏への鎮魂を込めて建てられた墓碑である。
墓碑は、広場から歩いて数分の江ノ浜集落の中にある。
若くして亡くなった志士たちの冥福を祈る龍馬の像です。
全国にあまたある龍馬像ですが、合掌している像は上五島だけだそうです。
龍馬は寺田屋で刺客から受けた刀傷を鹿児島で治療していたが、即座に現地へ行き各霊を弔った。と説明板にあります。
本当に坂本龍馬が上五島に来たかどうかは諸説あるものの、司馬遼太郎の歴史小説『竜馬がゆく』の中にも、遭難事故によって無くなった仲間たちの死を悼む龍馬の姿が描かれています。
私も小説は読みましたが、その場面は記憶に残っていません。
龍馬が手を合わせた潮谷崎方向を眺めて、私も手を合わせました。
遭難した「ワイル・ウエフ号」(スクーナー型帆船)の碑です。
龍馬が長崎で組織した日本初の貿易商社「亀山社中」が所有していた木造帆船「ワイル・ウエフ号」は慶応2年(1866)5月2日の未明、潮谷崎沖(右手前方)で転覆した。
その時の破船の一部と思われる舵棒は近くの民家で大切に保管されており、ここにあるのは、それを実物大に模造したものです。
俗謡「潮谷そど(騒動)」の碑です。
ワイル・ウエフ号遭難時の様子が謡われています。
国の重要文化的景観「崎浦の五島石集落景観」の説明板です。
このあたり一帯の崎浦(さきうら)地域は、幕末以降、海岸に露出する砂岩質の五島石(ごとういし)を採石し、石材業が発展しました。
現在も、石碑・墓碑や石臼などの生活用品、道路等の舗装材、家屋の腰板石・神社の鳥居等の建築用材に使われています。
このあと、穴場スポット「ハマンナ」へ行きました。
ーーー つづく ーーー