2023/11/4~11/27の24日間、一人で車中泊しながら長崎・五島列島の史跡名勝・温泉・道の駅を巡ってきました。

 

1日目は、岡山県の自宅から山口県まで行き、道の駅「きららあじす」で車中泊

2日目は、佐賀県まで移動して、道の駅「山内」で車中泊

3日目は、長崎県の佐世保港と長崎港で五島行きフェリー確認後、長崎「水辺の森公園」で車中泊

4日目は、長崎市内の眼鏡橋、オランダ坂、出島を観光後、「水辺の森公園」で車中泊

5日目は、長崎市内の大浦天主堂、グラバー園を観光後、「水辺の森公園」で車中泊

 

5日目(11/8)は、持参した折り畳み自転車で、車中泊した「水辺の森公園」から、最初に「大浦天主堂」へ行きました。

上図の緑色のラインで示しています。

 

 

10:00 「大浦天主堂」の入り口にやってきました。

ここから先は坂道なので、折りたたみ自転車は置いて行くことにしました。

 

 

近くに駐輪場がなかったので、道路わきに止めて盗難防止のロックをしました。

 

 

この日の訪問予定の「大浦天主堂」と「グラバー園」は坂道の上にあります。

長崎は坂が多いので自転車で近くまで移動後、目的地まで歩くことが多いです。

 

 

坂道を上って、「大浦天主堂」前の広場に到着しました。

 

 

国宝「大浦天主堂」の説明板です。

江戸時代末期の1865年(慶応元年)2月19日に献堂式が行われた、現存する日本で最古の教会です。

正式名は「日本二十六聖殉教者聖堂」といい、1862年(文久2年)に二十六人の殉教者たちが聖人に列せられたのを受け捧げられた教会です。

1597年(慶長2年)豊臣秀吉の命により処刑された、日本二十六聖人の殉教地・「西坂の丘」の方向に向けて建てられました。

 

 

世界遺産の碑です。

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産として「大浦天主堂」が2018年(平成30年)に登録されました。

 

 

世界遺産の分布図です。

これから訪れる五島列島にも4つの世界遺産(上図⑧~⑪)がありますが、私は上五島の「⑨頭ヶ島の集落」だけ行きました。

 

 

正面から見た「大浦天主堂」です。

入場料は1000円でした。

 

 

日本の信徒発見150周年記念の碑です。

「大浦天主堂」は1865年(慶応元年)2月19日仏人宣教師プティジャン神父により献堂式が行われ、1ヶ月後の3月17日に浦上の潜伏キリシタンたちが信仰の告白をして名乗りを上げました。

日本キリスト信者のこの信仰宣言は、史上に例のない事実として全世界を驚嘆させた。

と碑文にあります。

 

 

信徒発見の翌年、プティジャン神父は信徒発見の記念としてフランスにマリア像を注文し、翌年6月、フランス公使が長崎に来た際、「日本之聖母」と名付けて門前に設置しました。

 

内部は撮影禁止だったので、ほとんど記憶にありません。

 

内部の見学を終えて、順路に従って「旧羅典神学校」へ向かいました。

 

 

国指定重要文化財「旧羅典(らてん)神学校」です。

明治6年(1873)キリシタン禁教が停止となり、各地に配流されていた浦上村の信徒が解放されたのを契機として、明治8年(1875)に完成しました。

我が国初期の木骨煉瓦造りで、大正15年(1926)までラテン神学校校舎兼宿舎として使用されました。

現在は「大浦天主堂キリシタン博物館」になっています。

ここも内部の撮影禁止でした。

 

 

続いて「旧長崎大司教館」に向かいました。

大司教らの執務室がありました。

 

 

ここも内部は撮影禁止でした。

 

 

見学を終えて外観だけ撮影しました。

 

大浦天主堂が建設されて以後もキリスト教は禁教とされ、明治時代に入っても新政府は神道を重視して引き続き禁教としたため、多くのキリスト教徒が捕らえられ各地へ流配されました。

欧米の抗議で、1873年(明治6年)政府は禁教の高札撤去を決定し、禁教令は259年ぶりに効力を失いました。

 

このあと、グラバー園へ行きました。

 

     ーーー  つづく  ーーー