新型コロナ第7波が急激に拡大する中、4回目ワクチン接種の安心感から、2022/07/26~8/16の22日間、夫婦で北海道一周の車中泊旅へ行ってきました。
1日目は、岡山県の自宅から京都府の舞鶴港まで行き、小樽行きの新日本海フェリーに乗船
2日目は、21時間フェリー内で過ごし、夜小樽到着後パーキングエリアで車中泊
3日目は、札幌観光後、富良野へ行く途中の道の駅・たきかわで車中泊
4日目は、富良野と美瑛を観光後、道の駅・るもいで車中泊
5日目は、留萌から日本海オロロンラインを北上して、道の駅・わっかないで車中泊
6日目は、稚内から日本最北端の地・宗谷岬経由して道の駅・オホーツク紋別で車中泊
7日目は、紋別の流氷科学センター見学後、網走経由で道の駅・パパスランドさっつるで車中泊
8日目は、斜里の天に続く道、知床五湖を観光後、知床半島を横断して道の駅・おだいとうで車中泊
9日目は、根室半島の日本最東端の納沙布岬まで行き、道の駅・すわん44ねむろで車中泊
10日目は、釧路湿原観光後、道の駅・阿寒丹頂の里で車中泊
11日目は、帯広、愛国駅、幸福駅を経由して、襟裳岬へ行く途中の道の駅・忠類で車中泊
12日目は、ナウマン象記念館見学後、襟裳岬を観光し、道の駅・むかわ四季の館で車中泊
13日目は、室蘭市の地球岬、洞爺湖、世界遺産の縄文遺跡群を巡り、道の駅とようらで車中泊
14日目は、榎本武揚上陸地、世界遺産の縄文遺跡群を巡り、道の駅なとわ・えさんで車中泊
15日目は、函館市街で洗濯・昼食、湯の川温泉、道の駅なないろ・ななえで車中泊
16日目は、函館の五稜郭、函館山、咸臨丸沈没地を巡り、道の駅みそぎの郷きこないで車中泊
17日目は、最南端の白神岬、松前城、松前藩屋敷見学、大雨洪水警報のため松前藩屋敷で車中泊
17日目(8月11日)は、日本最北の城下町・松前に到着して、「道の駅・北前船松前」で昼食後、日本100名城の松前城を見学しました。
松前町役場の駐車場へ車を置いて、天神坂を上っていきました。
天神坂門です。
三本松が迎えてくれました。
搦手二ノ門です。
日本100名城の松前城が見えてきました。
安政5年(1854年)、日本で最後につくられた日本式の城です。
松前城は、昭和24年(1949年)役場火災の飛び火により、国宝であった福山城(松浦城)の木造天守が焼失しました。
その後、昭和35年(1960年)に鉄筋コンクリートの製の復興天守が完成し、松前城資料館となっています。
松前藩屋敷との共通券を一人620円払って入館しました。
地下1階、地上3階の復興天守です。
内部はまだ新しく、階段もゆったりしています。
松前城は、正式名を福山城と言いますが、今では親しみを込めて松前城と呼ばれています。
私の地元・岡山県井原市の隣の広島県福山市に日本100名城の福山城があるので、混同しなくて済みます。
縄張り図です。
「鮭図(さけず)」の掛軸です。
蠣崎波響(松前藩家老・かきざきはきょう)画、菅茶山(かんちゃざん)賛
菅茶山は私の地元・岡山県井原市の隣の広島県福山市神辺町で私塾を開いた偉人で、詩人として全国的に有名でした。
江戸時代末期に福山の菅茶山と北海道の蠣崎波響が京都で出会い、深い親交があったのに驚きました。
説明文によると、
菅茶山は、寛延元年(1748年)に備後国神辺(現在の広島県福山市神辺町)の生まれで、19才で京都で学び、天明元年(1781年)ころに神辺に私塾を開き、寛政8年(1796年)から福山藩の郷校として認められました。
その後、享和元年(1801年)に福山藩の儒官となりました。
神辺には菅茶山の私塾「廉塾(れんじゅく)」が現存しています。
3階です。
松前城の古写真が展示されています。
3階から津軽海峡を眺めました。
津軽半島がうっすらと見えました。
搦手二ノ門の向こうに松前の町並みが見えました。
松前城(右)と本丸御門(左)です。
本丸御門です。
昭和24年(1949年)の役場火災での焼失を免れて、昭和25年(1950年)に国の重要文化財に指定されました。
昭和35年(1960年)に完成した復興天守です。
安政元年(1855年)完成した松前城は、明治元年(1868年)の箱館戦争で旧幕府軍の土方歳三たちの攻撃により陥落しました。
翌年に官軍により奪回され、明治8年(1875年)に天守(三重櫓)と本丸御門などを除き廃城となりました。
昭和24年(1849年)に役場火災の飛び火で、国宝だった木造天守が焼失しました。
日本100名城スタンプです。
松前城は3番です。
このあと、松前藩屋敷へ行きました。
--- つづく ---