九州の吉備真備のゆかりの地へ ・・・
 
3日目は、基肄城跡(きいじょうあと)、大宰府政庁跡(だざいふせいちょうあと)、観世音寺(かんぜおんじ)、戒壇院(かいだんいん)、水城跡(みずきあと)の次は、
 
榎社(えのきしゃ)
 
吉備真備(きびのまきび)というより菅原道真(すがわらのみちざね)のゆかりの地です
 
菅原道真が、901(昌泰四・延喜元)年大宰府に左遷されてから、903(延喜三)年逝去(せいきょ)されるまで謫居(たっきょ)された跡です。
 
謫居:罪によって、自宅に引きこもったり、遠くの土地へ流されたりしていること。また、その地の住居
 
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榎社の参道です。
 
 
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1023(治安三)年、大宰大弐・藤原惟憲(だざいだいに・ふじわらのこれのり)が菅原道真の霊を弔うため、浄妙院(じょうみょういん)を建立したのが始まりです。
 
日夜、菅原道真の世話をした浄妙尼(じょうみょうに)を祀っています。
 
境内に榎の大樹があったので、いつしか榎寺(えのきでら)と呼ばれるようになりました。
 
 
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拝殿です。
 
毎年9月の太宰府天満宮の秋祭り「神幸式(じんこうしき)大祭」では、御神輿(ごしんよ)が21日にここで一夜を過ごし、翌日太宰府天満宮に戻ります。
 
 
 
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浄妙尼社です。
 
菅公(かんこう・菅原道真のこと)を日夜お世話した浄妙尼(もろ尼御前)を祀っている祠です。
 
 
大宰府へ左遷されてから、一度も大宰府政庁へ出向くこともかなわなかった菅原道真の無念さがにじみ出ている歌です。
 
「都府楼は わずかに瓦の 色を看る 観音寺はただ 鐘音を聴く」
 
 
菅原道真の歌として特に有名なのが、
 
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
 
京の都を去る時に詠んだ歌です。
 
 
吉備真備といい、菅原道真といい、どろどろした権力争いの渦に巻き込まれて波乱の人生を送っていますねぇ・・・
 
私のような平凡な人生を送っている人間には、考えられないような人生ですね。
 
 
  --- 太宰府天満宮 につづく ---