舞台「TRIANGLE」感想文 | 気が向いた時に書く日記・かとう唯さん、応援します!

気が向いた時に書く日記・かとう唯さん、応援します!

ヒマなおっさんが適当なこと書きます

お座敷コブラ14畳目公演「TRIANGLE」@溝の口劇場を11/30~12/4に観劇しました。かとう唯ちゃんが出演した舞台です。3人芝居で、なかなか強い印象が残った舞台。気になった点についていくつか感想(というかほぼ妄想)を書いておきます。ちなみにグッズで台本が売っていたので買ったのですが、敢えてそれは見ずにまずは舞台を見て記憶していることだけで書いてみる。

 

 

 

・「女神のピアノ」について

かとう唯ちゃん演じる山口さんが上川さんの新作「TRIANGLE」発売にあたって、いろいろインタビューをしていくのが舞台全体の流れですが、その過程で山口さんは「デッドエンド」以降の作品とそれらにインスピレーションを与えた子たちに嫉妬し、失敗作となってしまっている「女神のピアノ」を「ちゃんと終わらせてほしい」という願望を持つようになる。山口さんが自分の正体(17年前に上川さんに保護されて「女神のピアノ」にインスピレーションを与えた当時7歳の子)を明らかにして、その後に上川さんが誘拐(保護?)した子たちのことを告発して、そして「女神のピアノ」をちゃんと終わらせてほしいと言う。その後山口さんは上川さんの罪をかぶって姿を消し、新担当編集の方が来て「女神のピアノ」リメイク作のインタビューをします。

 

このリメイク版「女神のピアノ」はどのようなものになるのだろうかというのが気になった1つの点。もともとの「女神のピアノ」は当時7歳の山口さんを「保護」している期間に書いていたもので、上川さんとしてはハッピーエンドにしたいのだが、主人公の「ゆめ(夢、夕女、どっち?どちらでもない?)」がそれと反する行動を取るキャラクターになってしまう。キャラクターとその言動にふさわしいのはバッドエンドであり、上川さんもそれを分かっていたが、ハッピーエンドを選択し、それが「女神のピアノ」が大賞を逃す原因になった。それを受ければ、改めて「ゆめ」を主人公にバッドエンドでリメイクするというのは当然想定されるところだ。「ゆめ」の破滅的なところは、当時7歳の山口さんの言動が反映されているようで、山口さんを「保護」し始めてから1年経った時のシーンでそれが示唆されている。そして、かとう唯ちゃん演じる24歳になった山口さんが「ちゃんと終わらせてほしい」と言うのも、それ(ゆめを主人公にしたバッドエンドでの書き直しと、それを反映しての自分自身のエンド)を求めているように、いちおうは思える。そしてその流れに沿うと、山口さんは死んでしまった、もっとはっきり言えば殺されてしまったのではないかとも、これまたいちおうは思える。

 

ところで、リメイク版「女神のピアノ」の担当編集さんはミカワユメさんというらしい(台本を見てないので漢字はわからず)。そしてミカワさんは連載第一回目をすでに読んでいる。ここからすると、リメイク版の主人公は「ゆめ」ではないのではないか?もし同じ名前なら(漢字が違うとしても)、作者と初対面らしいその時に話の取っ掛かりとして「実は私、今回の主人公と同じ名前なんですよ~」くらいのことは言って当然だろうに、そんなことには一言も触れない。オリジナル版「女神のピアノ」の主人公の名前の「ゆめ」は夢を持ってほしいという上川さんの願いが込められている。つまりもともと「ゆめ」は(=7歳当時の山口さんは)全く夢を持てないような人物だったわけだ。しかし、リメイク版の主人公は「ゆめ」ではない。ということは、リメイク版の主人公はそれとはだいぶ違う人物なのではないか?そして、そのような人物を主人公として、バッドエンドではなく、ハッピーエンドがふさわしいような物語に、リメイク版「女神のピアノ」はなるのではなかろうか。

 

ただし、それは通り一遍のハッピーエンドではなく、この上なく悲壮感のあるハッピーエンドである気がする。読後の喪失感は上川さんが高校生の小説コンテストを受けた時以来ずっとこだわっているものであり、それは変わらない、変えられない。実際上川さんは、今回のアイデアが最後で最高の出会いであって、それを失ってしまったらもう小説は書けない、だからリメイク版「女神のピアノ」が引退作になる、と言う。やはり失ってしまうこと、失ってしまったことが根底にある。

 

その出会いは7歳当時から現在までの、そしていなくなってしまった山口さんのことだろう。かとう唯ちゃん演じる山口さんが最後に、「生きててよかった!」と言う。このセリフはとても悲壮感のある「生きててよかった」だったと感じた。劇中で山口さんは人生のどこかの時点で「生きる目的を見つけた」と言っていたが、「生きててよかった」と言った時に、この目的を失った。リメイク版「女神のピアノ」は、それとシンクロするようなラストになるのかなあと想像したし、実は山口さんが求めていた「ちゃんと終わらせる」の終わらせ方もバッドエンドでの書き直しでなく、喪失感を伴うハッピーエンドなのだと信じる。そして、山口さん自身も死んでなどいなくて、何らかのハッピーエンドにつながる生き方をその後もしていると信じる。けれども上川さんにとってはやはり失われてはいるのだけれども。

 

・ラストシーンのところについて

最後の最後に、新担当編集さんがピアノの音を耳にして、それに対して上川さんが「ピアノを買ったんです」と答える。だけど、ピアノがあるだけでは音は鳴らない。じゃあ、誰が鳴らしたの?と。

 

ここ、ピアノの音が聞こえたという言葉に対して、ピアノを買ったという受け答え、問いと回答が明らかにズレていて、だからこれは意図的なズレだろうと思うので、初見では実は山口さんがそこにいて、ピアノを弾いていたということもあり得るかなとも考えました。そうだとすると、リメイク版「女神のピアノ」も含めて、全体が真正のハッピーエンドのような感じになるかもしれない。だけど何回か見たうちにそれは違うなと感じて、リメイク版「女神のピアノ」についても上のように考えた次第。ほんとに最後の最後のシーンで、舞台中に終始山口さんが(山口さんのみが)座っていた椅子が、誰も座っていない状態でライトアップされていたことも、やはり山口さんはすでに失われてしまった存在であることを示しているような気がしましたし。

 

というわけで、いちおう自分のなかではこのピアノの音は、スイッチを切り忘れた例のカセットテープから流れたきたドビュッシーの「夢」だということにしておきました。

 

一方で、上川さんがまた同じこと繰り返していて、また新しい子供を「保護」(誘拐)して、その子がピアノを鳴らしたと怖いことも考えられるなと。そしてリメイク版「女神のピアノ」はこの新しい子とのことをモチーフにして書いているなんていうことも考えられないことはない。だけど、これだと山口さんの存在はなんだったんだということになるし、上川さんがそこまでヤバい人だとも思えないので、これは自分の中で却下しました。上川さんについてはまた下に。

 

・小説家上川さんについて

最初から、良くも悪くも世間ずれしていなくて、クセのありそうな人物に見える。だいたい作家、小説家なんていうのはそういう人ばかりだろうと思うし(偏見です)、子供を何人も誘拐しているのだからヤバいのだけど、ずっとこの文章で書いてるように「保護」していた側面があるのではないかとも思える。小説「TRIANGLE」中の△の子はたぶん自殺していて、それはたぶん「TRIANGLE」執筆期に「保護」していた「ミスミ ナントカ(下の名前忘れた。あとで台本を見てみます)」ちゃんが自死していたことを反映している。だからこれは、保護・誘拐していた他の子たちも実はみんな自死したことも暗示していて、実は上川さんは誰も殺していないのではないかと、これは希望です。まあそれでもヤバい人であることは間違いないですが。ラストシーンでまた新しい子を保護中、ということはさすがに無いだろうと思っておきます。

 

・「TRIANGLE」という舞台の名称について

なぜ舞台の名称が「TRIANGLE」なんだろうかというのが最後の気になる点。劇中で出てきた上川作品の名前としては、「WorldWideWeb」「女神のピアノ」「デッドエンド」「時計のしおり」「終わった人間」「TRIANGLE」。「TRIANGLE」は最新作であって、この作品を発表するにあたってのプロモーション用にインタビューをするという形で劇は進んでいく。「△」にまつわる話は面白いし、そのインスピレーションを与えてくれた、上川さんが「保護」していた「ミスミ ナントカちゃん」(苗字はたぶん三角か三隅だろう。いずれにしろ△)は今村美歩さんが演じる形で少しだけ舞台にも出てくる。そういう意味ではそれが舞台の名称になっても別に不思議ではない。

 

しかし、舞台中では上川作品の中では「女神のピアノ」が特権的な地位を与えられているような気がするし、上川さんの作家人生の中で画期となっているのは「デッドエンド」だ。だけど、舞台の名前に採用されたのは「TRIANGLE」。

 

「舞台の名称への採用」というのは舞台の中の世界に対してメタ的次元の話であるし、そういう次元での何かがあるんじゃないかと想像をめぐらしていますが、個人的には今のところ全くの謎ということになっております。

 

 

まずは、純粋に舞台で見たものだけから感じたものを書いてみた。書いてて思ったのは、自分はこの舞台「TRIANGLE」がハッピーエンドであってほしい、というかハッピーな方向に開かれた終わり方であってほしいのだな。それは、上川さんの言葉を借りれば、自分のエゴかもしれませんが。

 

あとで物販で買った台本を読んでみます。またいろいろ面白いこととか、恥ずかしい勘違いかもしれないことなどが出てきそうで、それも楽しみです。