野球と歴史、関西への旅3日目。

この日は、海外から来た知人に会うため18時には大阪駅に戻らねばならない。

 

色々と迷いましたが、当初の予定をここでも変更!!

この日決めていたのは「南海ホークスメモリアルギャラリー」。南海ホークスの歴史が詰まったギャラリーですが、つい数年前まで「野村克也」の存在が無いものとされていました。

それが改装され、遂にノムさんが登場したとのことで、行ってみたいと思っていた場所です。

 

しかしそれだけでは時間を持て余してしまう・・・・。

当初は大阪市内を散策しようとしたのですが、ギャラリーのある「なんば駅」に向かっている途中にどうしても気になる場所がありました。

 

それは、和歌山の「高野山」。前日に巡った、真田信繁(幸村)が謹慎していた場所。

午前中の早い時間になんばに到着し、この時間なら行けると判断。ギャラリー近くで、「ノムさんが行ってこいと言っている」と勝手に自分に言い聞かせ(笑)、南海電車に乗ったのでした。

片道2時間の旅は、行って帰って1日が終わるのを覚悟しなければなりません。

 

南海電車の「なんば駅」近くの商店街に、美味しい立ちそば屋さんがありました。ここで2日連続できざみうどんを食べたのですが、かなり美味しい店でした。320円でこのクォリティなら有難い!!

店もうどんも、写真を撮り忘れたのが悔やまれます。昔ながらの立ちそば屋さん、趣のある素敵なお店でした。次に行くときにも残っていて欲しいです。

 

おなかを満たして、いよいよ高野山に!

南海電車の車内はそれほど混んでおらず、途中切り離しがあるとのことで注意して車両に乗り込みます。

1度行ってみたかった高野山、実際にどんなところかも知らずに出発しました。



 

電車は徐々に郊外へ。本来なら、真田親子が謹慎していた「九度山」で降りて遺跡を巡りたかったのですが、その時間は確保不可能。少々停車した駅で写真を撮るにとどまりました。

今度、また来いということでしょう(笑)。

 

六文銭の家紋が飾られていました。






真田十勇士のパネルが、ホームに飾られています。

物語の普及にも力を入れているのでしょうか?

これを機会に、真田十勇士を勉強してみようかな!(^ ^)












 

電車は終点の「極楽橋」へ到着。そこからケーブルカーに乗って高野山に向かいます。



 極楽橋、立派な橋でした。


 

ケーブルカーの車内は、ほとんどが外国人観光客。割合は、欧米諸国の方々が多いようです。日本人は見当たりませんでした。


日本の由緒正しいお寺に行くはずなのに、車内はまるでヨーロッパのようです。「🎵〜世界の車窓から〜🎶・今週は、スイスの山脈にあるケーブルカーをご紹介します」というナレーションが聞こえてくるかのようでした。





しかしここは、「高野山」です。弘法大師様がいらっしゃるところです!!

 

高野山について面食らったのが、山頂の立地。私はてっきり、高野山の上に行けば大きなお寺が存在し、そこを巡るとばかり思っていました。

ところが、高野山はひとつの街になっており、小さなお寺が数多く点在するところでした。高野山には高校もあれば大学もある、警察署もあれば消防署もある、コンビニもあれば個人経営の店もある、民家もあればアパートもある・・・。「勉強不足過ぎ」と大反省!!

しかし落ち込んでいる暇はない、最低限のところは巡ってから帰らねばなりません。

 

バスの一日乗車券を買い、バスに乗り込み、弘法大師様がいるという「奥の院」へ!!



途中色々なお寺を通り、本当にすばらしい街だと感動しながらバスの終点「奥の院前」に到着。

 

案内標識には「水曜どうでしょう」でもお馴染みの「龍神温泉」が表示されていました。

行ってみたい・・・・(笑)


 

奥の院の御廊に向かうには、しばらく山道を歩きます。短いコースを選んで「徒歩20分」とあったのですが、真っ直ぐ迎えばそれほど時間を要しませんでした。途中、色々な歴史上人物のお墓や碑があるので、目を奪われながら行くと、その程度かかってしまうかも知れません。

 

この周辺は写真撮影が禁止の場所がありました。どうも「どこからが禁止で、どこまで許されるか」が分かり難かったため、確実な場所以外は撮影するのを控えました。

 





さすが日本を代表する仏閣であり人気のパワースポットです。弘法大師の御廟に向かっているところで、徐々に心身が現れる感覚になりました。

 

有名な御廟橋を通り過ぎ、奥の院・弘法大師御廟に到着。予想していたより小ぶりなお寺で、その奥に弘法大師御廟があり、今もお経を読んでるとのこと。今まで観たことの無い世界観です。

 

色々とお願い事の多いこの頃でしたので、お恥ずかしながらアレもコレもとお願いしてきました。

人間は目標があって生きるのが、心の健康の第一歩。願い事は目標の裏返しと気が付きましたw。これでいいのですw

 

御廟の帰りの山道には歴史上人物のお墓が並んでおりました。ひとつひとつ確認するわけにもいかないので、それなりに気が付いたところをお参りしました。

 

「忠臣蔵」でおなじみ「浅野内匠頭」のお墓と、四十七士の碑もありました。

赤穂浪士は兵庫県赤穂藩。しかし転封となるその前は、茨城県の真壁藩だったのを知る人は少ない事実です。(私の地元の近くですw)

 

帰り際には織田信長の姪、大河ドラマにもなった「江」の碑、その傍には江の姪にあたる「千姫(豊臣秀頼の妻)」の碑がありました。

 

ここから遠回りすれば「武田信玄・勝頼の墓」や「石田三成」「明智光秀」の墓があるのですが、時間短縮のため泣く泣く最短ルートでバス停に戻るしかありませんでした。

 

高野山、いつかリベンジします!!(^∇^)

 

高野山の標高は1009m。ケーブルカーはかなり急な坂になっています。この地に、1200年も前に、これだけの街を作るのは相当な苦労があったのは想像に難しくありません。

 

ダンプカー・ショベルカーなどの重機なんてありませんし、おそらく牛馬も連れていけなかったのではと思うくらいの険しい場所です。

まさに「天界」という名にふさわしい場所でした。




 

この場所までの道を切り開き、木を切り倒し、地面を整備し、お寺や住居を建てる。

製造業の私は「どうやって資材を運んだのだろう?」「工員の道具や食事はどうしていたのだろう?」「どのくらいの人数がいれば、1200年前の技術力でこれほどの街が作れたのだろう?」と、帰りの電車でずっと考えていましたw

もちろん、答えは出ません(苦笑)。

 

高野山からケーブルカーに乗ったとき、私の目の前にファイターズのダウンを着た少年が座りましたw下手に声もかけられませんので何もありませんでしたが。

 

高野山を後にして南海電車に乗り換え、なんば駅に戻った後に「南海ホークスメモリアルギャラリー」へ!

 

「なんばパークス」という商業施設の9階に行くと、ギャラリーがあります。

中に入ると・・・・・。野村克也のパネルが確かにありました!



なんと鶴岡監督と並んでの登場です!!

捕手というポジションで戦後初の三冠王、歴代本塁打2位、通算安打2位(いずれも国内のみの成績)。

まさにレジェンドです。






現役時代の成績だけでなく、NPBの新庄監督・吉井監督・高津監督のほか、アマチュア・独立リーグ・外国のナショナルチームの監督に至るまで数々の指導者を輩出した名将です。

 

今岡との確執から昔は大嫌いだったのに、今ではすっかり尊敬する人と化したノムさん。

大阪球場のあった地に帰ることが出来て良かったですね。







 


私がお酒の席でお世話になっている、佐藤道郎さんのパネルもありますw


 

 

大沢親分が南海の選手というイメージを持っていない人も多いのではないでしょうか?

ファイターズの監督ですが、現役は南海ホークスです。某在京球団の名選手が大学時代、栄養費を持って行く役目を担っていた方でしたw



のちにファイターズの主砲になり、新庄の師匠となった柏原純一氏



ファイターズにも所属した唯一の200勝100セーブ達成男、江夏豊氏。


 

日本人初のメジャーリーガー、マーシー村上さんも!


名言「ベンチがアホやから野球ができへん」の江本孟紀氏。

確かに、会社がアホやから仕事ができない時ありますねw

間違ってないないと思いますw


 

小さな空間にたくさんの歴史が詰まった「南海ホークスメモリアルギャラリー」でした。

ホント行って良かった!!


その後は大阪駅に向かい、知人に日本食を楽しんでもらいました。

コロナと仕事で遠出出来なかったためか、海外の話は興味深いものでした。

そういえば、外出自粛の期間中は旅系YouTuberの番組よく観ていたなぁ〜。


楽しい宴は時が経つのが早いもの!

新幹線の時間が迫り、お店を後にしたのでした。


帰りは新大阪から新幹線で!

久々新幹線乗りましたが、帰りの時間もあっという間でした。




また行ってみたい場所、今度は会いたい人、食べたいものと未練も残しつつ、旅は終了。


色々と反省点もありましたが、野球も歴史も楽しめ、知人にも会えた満足の3日間でした!