5月26日、元プロ野球選手で現タレント「パンチ佐藤」こと佐藤和弘さんのトークショーに参加しました。




現役時代は数々の名言・迷言で楽しませてくれたバラエティ選手のパンチさん。今でいう杉谷拳士のような存在でした。


野球経歴は以下の通り。

本名:佐藤和弘

神奈川県川崎市出身。

武相高校→亜細亜大→熊谷組→オリックス

外野手

右投左打

1989年オリックスブレーブス、ドラフト1位


通算成績は

149試合

通算打率..273

通算本塁打3

通算打点26

盗塁3


…と、まぁプロ野球選手としては少々残念な結果に終わりましたが、ファンを楽しませることにかけてはメジャー級の選手でした。

ヒーローインタビューは、もはや伝説です。


今回、改めてパンチさんの主な経歴を確認してみました。

すると…

神奈川県川崎市出身

現在、名古屋で番組のレギュラー有

現在、茨城県笠間市の観光大使


私は

茨城県出身。(笠間市の近郊)

東海地区の学校出身

卒業後、川崎市の会社に就職


順番は逆ですが、生活の場が微妙に被っています。

観光大使を務めている笠間市では、近年BCリーグの試合が開催されています。私は子供の頃、剣道大会で足を運びました。


しかし残念ながら、オリックスの本拠地だった神戸には縁がなかった…。

( ̄▽ ̄;)



肝心のトークショーは、爆笑の連続!!

なんと、パンチさんも観客も飲みながらのトークショーでした!


・野球を始めたきっかけ

・高校時代のエピソード

・亜細亜大に進学した理由

・熊谷組での出来事

・オリックス上田監督への想い


を、面白く語って下さいました。


野球を始めたきっかけは、お兄さんに付いていったことから。


高校時代、チームメイト2人が亜細亜大からスカウトされたが、これを拒否。

そこでパンチさんが繰り上げ入学になったそうな。ちなみにもう1人の繰り上げ入学は、市立桜丘高・阿波野秀幸さんでした。


亜細亜大は厳しくて有名なところ。

そこで4年間続けば、どんな仕事に就いてもやっていけるという教育方針だったようです。


そしてパンチさん、本当は社会人で安定した収入を望んでいたという意外な発言があり、驚きました。


安定した企業で野球を続けるというのが目標、プロに入るとは思っていなかったそうです。

昭和の野球人、豪快な人かと思っていたら堅実な方でした。真面目なんでしょうね。

BIG BOSSとは、また違った魅力を感じました。


その後熊谷組に入社。

そこで全日本に選出され、プロ注目の選手へ成長。そしてドラフトへ。

野球好きならご存じ、ドラフト時に「これ以上の新人はもう現れない」と思わせる爆笑会見が、伝説の始まりでした。


爆笑会見により、8球団が競合した野茂英雄に匹敵する注目を浴びてしまったパンチさん!

上田監督からの電話に「自分の心は一つです」と答えたシーン、覚えている方も多いことでしょう。



トークショー中、パンチさんがよく言っていた言葉が「DYNAMITE!」

これは上田監督が良く口走っていた言葉で、元気の出るおまじないとか?

大声で「DYNAMITE!」と叫ぶと気分が晴れるそうなw



トークショーの後はサイン会!

わたくし…昨年暮れに、勢いで買ってしまった「万波スーツ」で参戦。

色々と、寄せてみましたw

もっと精度を上げないとダメだな(^◇^;)



…しかし、パンチさんは野球ユニでした。

よく、おシャレスーツでの写真をSNSにアップしているパンチさん。スーツを着て来ると思ったのですが、予想が外れました。


とはいえ、トークショーは大満足!!

パンチさんの現在の活動から、お酒のこだわりまで色々と語ってくれました。


また機会があれば、話を聞いてみたいです!